5月15日 キャッチ!ワールドEYES
太平洋戦争が終わった1945年
それまで統治していた日本に代わって
台湾に入ってきたのは
蒋介石をリーダーとする国民党だった。
しかし人々が国民党の統治のあり方に不満を持つと
1949年に発令した戒厳令のもと
集会や結社
言論の自由は厳しく制限され
体制に批判的だとされた人々は政治犯として次々と収容所に送られた。
30年にわたる戒厳令が解除されたあと
不当な取り締まりや冤罪があったことが明らかになったが
被害の全容はいまだ解明されていない。
台湾北部桃園市にある蒋介石ゆかりの公園。
4ヘクタールの広さの公園にずらりと並ぶ250体余の像。
その9割近くにあたる226体が蒋介石のものである。
近年撤去した像を持ち込みたいという依頼が後を絶たず
1年に10体ほどが運び込まれていると言う。
(公園の係員)
「もう少しで満杯です。」
台湾の偉大な指導者として敬意の対象とされてきた蒋介石。
その像が各地で撤去されている背景には
戦後1党支配のもとに行われた弾圧の実態がある。
初代総統 蒋介石は
戦後国民党の1党体制によて台湾の発展の礎を築いた。
一方で全域に戒厳令を敷き
言論や集会の自由を厳しく制限。
民主化を求める市民を弾圧する独裁政治を行なった。
1987年
38年続いた戒厳令がほぼ解除されると
政治犯として収容された多くの人が
冤罪だったり不当な取り締まりを受けていたことが次々に判明。
1党体制が終わったあと1998年には
当時の国民党政権によって被害者の保証制度も設けられた。
約8、000人の被害者はすでに保証を受け取ったが
いまだ調査が行われていない部分も多く
被害者の総数は現在も分かっていない。
この歴史の闇に光を当てようとしてるのが
一昨年政権交代を果たした
民進党の蔡英文総統である。
71年前に国民党が市民を弾圧した2、28事件。
その犠牲者の追悼式典に参加した際
近く専門の省庁を設立することを明言。
1945年から
戒厳令が完全に解除された1992年の間に行われた
不当な取り締まりの実態の調査を本格化させる方針を示した。
(台湾民進党 蔡英文総統)
「資料と照らし合わせながらさらに調べを続け
過去に起こった出来事の真相を徹底的に明らかにしていく。」
蔡英文政権が実態調査を急ぐ理由に
弾圧の被害者の高齢化がある。
被害者団体の名誉会長を務める蔡さん(85)。
1960年ごろ教師をしていた蔡さんは生徒や友人たちに日本で知り合った人物について話した。
その人物が蒋介石政権から独立を目指す運動家だったと言う。
(被害者 蔡さん)
「当時 若者が台湾人としての意識を持って将来を考えるのは大切だと思いました。
組織を作ったり政治活動を行なったりはしていません。」
しかし蔡さんが話した内容を友人の1人が
「台湾民族独立運動」としたビラに掲載。
この友人とともに蔡さんは反乱罪で逮捕されたのである。
「当時はビラを見るだけで懲役10年でした。
ビラを作った友人は懲役10年
私は思想に影響を与えたとして懲役10年です。」
蔡さんは当初冤罪だとして最新を訴えたものの拒否された。
収監中に当局が求める思想に改めなかったため
刑期がさらに3年延びたという。
釈放後同じく不当に逮捕された1人と被害者の会を結成。
当時の取り調べの実態について調査し
世の中に明らかにすることが必要だと訴え続けてきた。
「20,000人が逮捕
2,000人が射殺されました。
生きて戻った人たちももう2割しか残っていません。
蔡さんは国民党による弾圧の真相が明らかになれば
この問題をめぐる政治的対立は解消され
台湾社会の分断が緩和されるのではと期待している。
(被害者 蔡さん)
「台湾では選挙があるたびにこの歴史問題を取り上げて
国民党と民進党が対立してきました。
このままでは社会は平和になりません。
弾圧の責任を明らかにする必要があります。」