日暮しの種 

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ましゃロス

2015-10-03 07:15:00 | 編集手帳

10月3日 編集手帳

 

 人が亡くなったという知らせを「訃(ふ)」という。
訃報の訃である。
前衛俳句の旗手と呼ばれた高柳重信さんに、
その文字を含んだ一句がある。
〈きみ嫁(ゆ)けり遠き一つの訃に似たり〉

かつて思慕した女性が結婚した。
その知らせを訃報のように聞く作者の胸には、
青春の傷痕がうずいたことだろう。
「きみ嫁けり」を「きみ娶(めと)れ り」に置き換えるならば、
世の女性ファンの偽らざる心境かも知れない。

芸能界の人気者同士、
福山雅治さん(46)と吹石一恵さん(33)の結婚で生じた世間の波立ちはなかなか終わらないようである。

ヨミウリ・オンラインの掲示板「発言小町」で、
“ましゃロス”なる言葉を知った。
「ましゃ」(福山さんの愛称)をなくした喪失感のことだという。
いやな事件のつづく昨今、
何であれ茶の間をなごませるおめでたい話題はそれだけでありがたい。

男であるのに変わりはなし、
いつかその人の百万分の一ぐらいはモテてみたいものだと、
ため息をついたご同輩も世に多かろう。
♪ 目方で男が売れるなら…(星野哲郎作詞、山本直 純作曲『男はつらいよ』)。
寅さんはこういう時のためにいる。

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北海道新幹線開業まで半年 広がる利用客の呼び込み

2015-10-02 07:15:00 | 報道/ニュース

9月26日 おはよう日本


本州と北海道を結ぶ北海道新幹線が3月26日に開業する。
いま東京~函館は新幹線と特急で5時間半余。
北海道新幹線が開業すると東京~新函館北斗は4時間で結ばれる。
新幹線の駅に近い函館市やその周辺では新幹線の利用客を呼び込もうという動きが活発になっている。
こうした動きは北海道の他の地域にも広がっている。

9月5日に函館で行われた食のイベントでひときわ盛り上がりを見せていたのが
日高や胆振(胆振)地方のブースである。
函館以外の地域から道内で唯一の出店した。
特産の煮物の販売をしているのは日高胆振の全18の自治体や地元企業で作る協議会のメンバー。
登別温泉から鬼も応援に駆け付けた。
(日胆地域戦略会議 成田晃さん)
「胆振・日高の存在を函館の人 道外の人にPRするのが最大の目的です。
 新幹線が函館に来ますので
 その後に日胆(日高・胆振)エリアに来ていただきたい。
 一生懸命PRしています。」
必死に地元をPRする背景には新幹線効果から取り残されるという強い危機感があった。
新幹線が乗り入れる函館エリアから特急に乗り換えて札幌に向かう場合
いまは日高胆振地域を通過する。
しかし北海道新幹線が延伸すると小樽方面を通る北回りになるため
新幹線が来ない地域になってしまうのである。
新幹線効果をどのように地域に呼び込むのか。
施策として協議会が考えたのが噴火湾の横断ルートである。
8月 協議会は旅行会社の商品開発担当者たちを道南の森町に招いた。
噴火湾クルーズの実証実験に参加してもらうためである。
乗り込むのは32人乗りのクルーズ船。
明治初期には人や物資を運ぶために使われていたこのルート。
雄大な景色と
野生のイルカやクジラが見られることもあり
観光ルートとして再開拓できると見込んだのである。
参加者にイルカの姿を見せられるか。
協議会の担当者は気をもむ。
そしてイルカの群れが姿を現した。
参加者も普段味わえない体験に興奮気味。
(修学旅行を扱う旅行代理店 担当者)
「水族館でしか見られないものが野生で室蘭が目の前に見えるところで見えたりするので
 これからの観光資源としてはいい目玉になると思う。」
(航空会社の旅行開発担当者)
「新幹線で来た方がこの船を使って室蘭に来てもらって
 新千歳空港で帰れるのはいいことだと思う。」
2時間近くの船旅を終えて室蘭に到着。
一行は登別温泉に向かった。
噴火湾クルーズの観光客を地元の観光名所に誘うことで
宿泊や買い物など地域経済の活性化につなげられると期待している。
(日胆地域戦略会議 成田晃さん)
「イルカも見られましたしほっとして非常にうれしいです。
 来年3月に開業が迫っていますので地域全体で盛り上げていきたい。」
新幹線が来ないからこそ知恵を出すことで観光客を呼び込む。
日高や胆振の取り組みは他の地域にとってもヒントになりそうである。

 

 

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プラザ合意から30年 円高は何をもたらした?

2015-10-01 07:15:00 | 経済フロントライン

9月19日 経済フロントライン


通貨政策の歴史は30年前にさかのぼる。
ニューヨークの老舗ホテルを舞台にしたプラザ合意
当時急速に進んだドル高を是正するため
G5(先進5か国)アメリカ イギリス 西ドイツ フランス 日本が強調介入することを決めたのである。
しかし想定を超えて進んだ円高。
輸出に支えられてきた日本企業は翻弄された。

多くの町工場が軒を連ねる東京大田区。
1983年には9177の工場があったが
プラザ合意後の30年で3分の1近くの3181に減った。
鈴木規方さんは父の代から70年にわたって町工場を経営して来た。
長年 円高と戦ってきたが5年前に廃業。
工場は引っ越し会社に変わっていた。
「このあたり全部が工場地帯だったけど
 残念ながら今工場をやっているところは一軒もない。」
1985年9月22日 G5が電撃的に発表したプラザ合意。
ドル高を是正するため各国が協調してドルを売る市場介入を行うことを決めた。
これをきっかけに円高が急速に進む。
1ドル80円を突破した1995年。
鈴木さんの工場では主に製作機械用の部品を製造していた。
海外への輸出が2割を占めていたが
円高のなかで価格競争力を失いドイツなどのメーカーにシェアを奪われてしまう。
さらに取引先から値引きを迫られ社員数を3分の2にするリストラを行った。
再び1ドル80円に迫った2010年 
限界に達し廃業を決めた。
「さびしいよね。
 急激な円高や円安は企業を翻弄するだけでついていけない。
 努力を超えちゃうと思う。」
日本経済に大きな影響を与えたプラザ合意はなぜ決断されたのか。
駐米公使としてアメリカ政府との交渉にあたった内海孚(まこと)さん。
当時 日米の間に貿易摩擦が問題となっていた。
円安を背景に日本からアメリカへの輸出が急増し貿易赤字が拡大。
批判が高まっていた。
アメリカ側と水面下で交渉を重ねていた内海さんが当時日本に送った報告書には
アメリカ側が日本への不満を募らせていたことが記されている。
(アメリカ側の発言)
日米貿易問題は爆発状態にある。
このままでは本当に
「よし、日本に対し保護主義的政策をとろう」
ということになるかもしれない。
(元駐米公使 内海孚さん)
「日米貿易問題はもう来るところまで来ていて
 そんな遠からずに対日貿易立法が成立することになりかねない。
 日米貿易不均衡を解決する努力を加速してもらいたいと言われた。」
アメリカの中央銀行にあたるFRBの議長だったボルカーさんは
日本に対する警戒感は高まる一方だったと言う。
(当時の米FRB議長 ポール・ボルカーさん)
「当時 日本の産業はその競争力と効率性によって称賛されていたが
 競争力がありすぎるのではないかという懸念も生まれていた。
 大げさかもしれないがアメリカの産業は日本の産業に圧倒されてしまうのではないかと。」
日本側も実力と比べ円は安すぎるという認識があったと内海さん言う。
(元駐米公使 内海孚さん)
「日本自身も
 1ドル240円 250円という水準が決して日本のためにはならないと言う認識は持っていました。
 日本の輸出企業は何の努力もしなくてもどんどん輸出が増えていくと
 経済全体としてひずみがすいぶん膨らんでいた。」
こうした日米双方の懸念の背景に異例の協調策が実現したのである。
急速な円高で廃業する企業がある一方
海外に活路を見出す企業もあった。
自動車メーカーなどに工作機械の部品を納めている町工場。
産業機械メーカー 南武 野村和史会長は1990年代の円高で国内のコストダウンも限界に達したと判断。
少しでも安い労働力を求めて2002年にタイへの進出を決めた。
中小企業にとっては社運を賭けた決断だった。
(産業機械メーカー 南武 野村和史会長)
「日本のコストは高い。
 もちろん賃金も高いしね。
 それに比べればタイは日本のあの当時は25%ぐらいだったんじゃないか。」
その後 中国に進出。
生産拠点を分散させたことで経営が為替に左右されにくくなったと言う。
(産業機械メーカー 南武 野村和史会長)
「あのままで我慢していたら現在やっていけないというか
 非常に難しい立場だったと思うね。
 大変だったけど乗り越えて良かった。」


 

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