」3月22日 国際報道2017
東日本大震災から6年の今年3月
1冊の本が出版された。
「アリガト 謝謝」。
震災のあと約200億円もの義援金を送ってくれた台湾の人たち。
彼らがどんな思いで募金を送ったのかを実話に基づいて描いた小説である。
著者は台湾在住の日本人 木下諄一さん。
これまで中国語で数々の作品を発表してきたが
今回初めて日本語で執筆した。
震災発生後の2011年3月16日
台湾の学生たちは募金を呼び掛けていた。
テレビではチャリティー番組が放送され
日本を応援。
子どもたちも小遣いを募金するなどして
集まった義援金は約200億円。
人口1人あたり800円余を出した計算である。
小説「アリガト 謝謝」を執筆した木下諄一さん。
留学をきっかけに親しみを持った台湾に移住して30年近くになる。
木下さんにとっても巨額の義援金を集めた台湾の人々の行動は驚きだった。
(「アリガト 謝謝」著者 木下諄一さん)
「台湾の人口を考えた場合
ちょっと考えられないような数字(金額)。
具体的にどのくらいの人がどんな感じで義援金を寄付したかを調べたところ
ものすごくたくさんの量
しかも多岐にわたっていると。」
台湾の人たちはどんな思いでこれだけのお金を集めたのか。
木下さんはさまざまな世代の人たちに話を聞いて歩いた。
当時 台北の大学で日本語を学んでいた闕振修さん。
台湾では当局の許可なく募金活動をすることはできない。
ところがキャンパスのあちらこちらで募金を呼びかける声が響いていたという。
(闕振修さん)
「あんなに多くの学生が自発的に募金活動をする姿は見たことがなく
とても驚きました。」
(「アリガト 謝謝」より)
何かしたい。
日本のために。
そんなことを思った人たちの気持ちが行きついた先のような気がする。
そして
いくつもの気持ちが集まってやがては大きな力になったんだと。
幼いころから日本のゲームやマンガなどに親しんで育った闕さんの世代。
日本が身近にあるという感覚が自然な行動につながったと木下さんは考えた。
(木下諄一さん)
「もう生まれながらにしてあったものですから
同時に自分たちの文化でもあるという認識。
それはもう どうしてって聞かれても
逆に自分たちもわからない なぜか。
これはもう当然 昔の世代には無かった現象だと思います。」
日本を助けようという声は飲食店でも広がった。
名物のオムレツの売り上げを全額寄付したレストラン。
100日間で20,000皿余
1,700万円を売り上げた。
日頃 観光客としてやってくる日本人へのお返しの気持ちがあったという。
(レストラン経営者)
「熱烈な反応がありました。
募金のことを知ると
2皿目3皿目と注文する人もいました。
オムレツだけでこんな金額が集まるなんて私自身もびっくりしましたよ!」
(「アリガト 謝謝」より)
「うちは日本のおかげでここまでやって来れたと思ってる
だから、この機会に恩返しがしたいんだ」
「恩返し?」
「ああ
売り上げを全部
日本の被災地に寄付してくれないか」
台湾の人たちが感じている日本への親しみ。
その中で異口同音に語ったのは日本への感謝の言葉だった。
1999年9月21日に台湾中部を襲った大地震。
2,000人以上が犠牲になった。
この時いち早く救援隊を派遣したのが日本だった。
危機に駆け付けた日本人
その姿は台湾の人たちに強烈な印象を残していた。
(「アリガト 謝謝」より)
「「921(自身)のときはどれだけ日本のお世話になったことか」
「あの時はやっぱり日本だった思ったもんね」
「そうだね。
日本はほんとに困ってるときに一番信頼できる国だから」
3年に及ぶ取材や執筆で
木下さんは
台湾の人たちの日本への思いの大きさを改めて気づかされたという。
(木下諄一さん)
「彼らの中で日本に対する距離というものが非常に近いというか
僕が思っていた以上に近かったのかもしれないですね。
台湾は親日なところと言われるし
日本に対するイメージはすごくいいんですけど
実際にそういう話を聞くなかでそれをさらに実感したというか
わかっていることでありながらも新しい発見であった。」
3月21日 国際報道2017
旧正月明けの台湾の繁華街。
新年を祝う人たちがワイングラスで味わうのは日本の福井県で作られた日本酒である。
「特徴のある酒蔵で酒の品質が高い。
味にも満足です。」
テーブルのそばでお酒を薦めるはっぴ姿の男性は
この日本酒メーカーの社長 加藤団秀さん(59)である。
(酒造会社社長 加藤団秀さん)
「私 年間70回くらい海外に行ってるんで
日本酒を楽しんでいただく機会をどんどん増やしていく。」
加藤さんはこれまで自ら海外を飛び回るトップセールスで海外市場を開拓してきた。
この日は台北市内になる日本料理店で従業員相手の講習会である。
「うちのお酒は全てワイングラスで飲んでもらいたい。
そうすると香りをいっぱい嗅いでもらえる。」
オーバーアクションでユーモアを交えて語りかける加藤さん。
言葉の壁を越え日本酒への思いが伝わっていく。
「このお酒は大切な人と2人で飲むお酒なんです。
今から楽しい宴を予感させる音が“ポンッ”と小っちゃく鳴るように設計しています。」
(台湾 日本料理店店員)
「社長さんのユーモアあふれる説明のおかげで日本酒がもっと好きになりました。」
台湾の人を魅了した酒は福井県鯖江市で生まれた。
創業万延元年(1860年)。
11代目社長の加藤さんは原料米と水にこだわった純米酒だけを造り続けている。
加藤さんの転機は19年前。
国際コンテストの日本酒部門で最高賞に輝いたのをきっかけに
日本酒の素晴らしさを世界に広めたいと考えたのである。
(酒造会社社長 加藤団秀さん)
「例えばヨーロッパに行っても全然ハンガリー語とかしゃべれないので
それでも『うまい』て言われるんですよ。
それがうれしかったですね。
日本酒は限りない市場が広がっていると私は考えていますね。」
それ以来始まった世界行脚。
1年の半分は海外でセールスに飛び回る。
こうして世界44の国と地域に販路を築いた加藤さん。
売り上げはこの10年で10倍の10億円に達した。
日本にいる間は逆に海外から輸入業者を招く。
はるばるやって来たのはイスラエルの貿易商 シャボ・オレンさん。
加藤さんは外国の業者に蔵を案内し
日本酒がどれだけ繊細な作業で生み出されているのかを実際に見てもらう。
「米こうじです。」
(イスラエルの貿易商 シャボ・オレンさん)
「毛布をかけられたいまれたばかりの赤ちゃんみたいだ。」
「彼(社氏)の赤ちゃんみたいなものです。」
外国の業者に酒蔵のファンになってもらい
世界でその魅力を広める戦力になってほしいと期待しているのである。
加藤さんはイスラエル進出を前にある認証を取得していた。
ユダヤ教の教えに定められた食品管理基準を満たしていることを示す“コーシャ”である。
コーシャの認証には
原料の米や水の由来や製造現場の清潔さが厳しく求められ
ユダヤ教の指導者が実際に工場を訪れて確認する。
(イスラエルの貿易商 シャボ・オレンさん)
「コーシャ認証があれば
イスラエルだけでなくニューヨークやヨーロッパでも高品質だと認められます。
日本酒人気はもっと広がっていくでしょう。」
世界の消費者の間で広がる安全志向も先取りし市場を切り開いてきた加藤さん。
目標は野心にあふれている。
(酒造会社社長 加藤団秀さん)
「“世界の醸造酒”と呼ばれるワインというすごい市場がありますから
そのワインというお兄さんの市場を追い付け追い越せじゃないですが
『日本酒ってすごいよね』って言われるように頑張っているのがここ数年。
まだまだこれから始まったばかりではないかなと私は思います。」
4月12日 編集手帳
正の10を10個足すと100になる。
負の10同士を掛けても100になる。
〈答えは同じでも、
正を積み重ねた100には陰(いん)翳(えい)がないのだ〉。
“言葉の魔術師”と称された歌人、故・塚本邦雄氏の語録にある。
フィギュアスケート女子の浅田真央選手(26)が現役を引退するという。
絶望、落胆、失意、悔し涙…いくつもの負数を一夜にして、
正数の“真央伝説”に変えたソチ冬季五輪のひとこまは誰の目にも焼き付いていよう。
前日のショートプログラムに失敗し、
メダルの望みが絶たれたなかで、
フリーの完璧な演技が世界を魅了した。
メダルに手が届きそうな場面で全身全霊を傾けるのはやさしい。
負数だらけの絶望のとき、
どうしてそれができるのか。
ひたむきな姿に、
多くの人が泣いた。
競技人生で手にした栄冠の総量と釣り合うほどに重い6位だったろう。
それでいて「陰翳」には遠い、
あの清楚(せいそ)なほほ笑みである。
愛されたのも分かる。
〈きよく
かがやかに
たかく
ただひとりに
なんじ
星のごとく〉
(佐藤春夫『夕づつを見て』)。
金メダルよりも美しいものがあることを教えてくれた人である。
3月21日 国際報道2017
3月18日にカイロで開かれたお米が主役のイベント。
エジプトでも人気が高まっているお寿司。
お米は日本から輸入する必要はない。
実はエジプトで生産されるのはほとんどがジャポニカ米。
日本からちょうど100年前に伝わった。
エジプトの人たちは中東では例外的に粘り気のあるジャポニカ米に慣れ親しんでいる。
(参加者)
「パーフェクト!ベリーナイス!」
「ウマイ!」
国土の大半を砂漠が占めるエジプト。
肥沃な土地はナイル川沿いに限られる。
面積量あたりの収穫量が多い米として白羽の矢が立ったのがジャポニカ米だった。
エジプトに14店舗を展開しているすしのチェーン店。
材料のほとんどは輸入せざるを得ない。
(すしチェーン経営者 ターメル・エルリーシさん)
「サーモンもわさびもしょうゆもショウガも海苔も
すべて輸入しています。」
ただ米だけは地元産。
これでコストを大幅に抑えリーズナブルな価格で提供できるというわけである。
(すしチェーン経営者 ターメル・エルリーシさん)
「すしに欠かせないコメは地元エジプトの市場から調達しています。
日本と全く同じコメです。」
18日のイベントに参加した日本企業はわずか10社と
治安などへの不安からまだ積極的とは言えない。
それでもエジプトに大きな可能性を見出している企業。
大手牛丼チェーンである。
「これはすしではないですよね?
エジプトに店舗はありますか?」
「まだです。
それで調査をはじめました。」
アフリカと中東の玄関口エジプトへの進出に向けて調査を本格化。
地の利に加え“コメの利”もあるからである。
(大手牛丼チェーン 山本俊和さん)
「相当改良もされて
ごはん文化もできているし
いいお米もできていると思うので
我々にとって非常に追い風になる。
そういう意味でもエジプトを置いてほかにはないと思う。」
3月18日 経済フロントライン
海外の労働や人権の問題を扱うコンサルティング会社。
企業からの問い合わせがこの1年で倍以上に増えている。
この会社では国や地域ごとにどんなリスクがあるのかを分析し企業に情報を提供している。
多くの企業では
海外にあるすべての下請けの状況を把握しきれないのが現状だという。
(EY Japan 名越正貴マネージャー)
「やらないといけないんだなということを感じている企業が増えていると思います。
自社のサプライヤーの人権・労働的課題を把握しようとしても規模が大きすぎて
調達先の数があまりにも大きい。
展開している国の数があまりにも大きい。」
この新たな課題に社をあげて取り組み始めたのが大手電機メーカーの日立製作所である。
世界66カ国に約3万社の下請けを抱えている。
去年 東原社長は社員に向けてあるメッセージを送った。
人権の尊重を需要な経営課題に掲げ
全員がその意識を高めるよう呼びかけたのである。
グループ各社の担当者を集め
下請けの労働環境の改善を徹底するよう指示している。
(日立製作所 CSR・環境戦略本部 荒木由季子本部長)
「人権問題に対して社会の目が厳しくなってきている。
より厳しい進展も踏まえて
この会議で皆様と意識を共有して。」
対策に本腰を入れ始めたきっかけの1つがマレーシアで起きた出来事だった。
6年前 下請け工場で働く移民労働者が「賃金の差別がある」と主張。
それがネットを通じて世界中に広まり
各地で日立に対する抗議やデモが起きたのである。
(日立製作所 CSR・環境戦略本部 荒木由季子本部長)
「海外ということに対しては目が行き届かない
そういうところはあったかと思うんですね。
大きな企業はそういうリスクにさらされていることは間違いない。」
1月 日立は中国深圳に担当の幹部を派遣し
下請けを対象にした説明会を開いた。
集まったのは現地の企業32社。
担当者は
以前ある工場が16歳の少年を違法に働かせていた実態や
既定を超えた長時間労働があったことなどを説明した。
「労働時間が法定時間を超えている
給料が法定どおり支払われていない
皆さんもこういうところを重点的にチェックしていただけたらと思う。」
下請けへの指導は始まったばかり。
直接管理していない企業まで徹底できるかが大きな課題である。
(日立製作所 戸嶋宏担当部長)
「まだノウハウがないので手探り状態で悩んでいます。」
具体的に労働環境などをどう改善するかは現地の企業に委ねられているのが現状である。
説明会に参加していた企業。
主に変電設備に使われる部品を製造している。
会社にとって日立は売り上げの半分を占める大切な取引先である。
従業員は80人。
人数に対して業務の量が多く人手不足が深刻である。
残業を前提にしないと生産が追い付かない状態が常に続いている。
中国の法律では残業はひと月に36時間まで。
法律を守るためには従業員を増やすしかない。
(社長)
「とにかく今の仕事量からみると従業員を増やさないと難しい。」
(接合部門責任者)
「今の仕事をこなすにはあと3人から4人は必要です。」
(生産部門責任者)
「10人の部署ですがあと2,3人いれば従業員の負担は減るでしょう。」
(社長)
「それはダメだ。
そんなことをしたらコストがかかり過ぎる。」
人件費の増加は避けられないが
日立との取引を維持するため最低限の増員に踏み切らざるを得ない。
(日立の下請け 機械部品メーカー 楊進社長)
「規定に沿ってやるしかありません。
法律に違反したら日立も含め大企業と契約中止になってしまいます。
我々は小さな企業です。
日立とトラブルが起きたら大変です。」
日立ではこうした下請けの実態を把握し
今後どうサポートしていくか検討していく考えである。
そのため海外の労働や人権の問題に詳しいアドバイザーを招き勉強会を重ねている。
この日の会議では
下請けの支援にあたる専門の社員を数多く育てている欧米企業の事例が示された。
(アドバイザー)
「専門の社員が中国に4,5名いて1年中順番にまわっている形ですね。」
日立では今後世界の地域ごとの実情に合わせた対策を急ぐ方針である。
(日立製作所 CSR・環境戦略本部 荒木由季子本部長)
「人手とコストもかかると思うが
それをなしにやった時の事業のリスクを
さまざまな事業のリスクを考えると
ある程度は負担をしていかなければいけない。
日立グループ各社が世の中の流れに応えて事業ができるようブラッシュアップしていく。」
3月18日 経済フロントライン
2013年 バングラデシュで縫製工場が入るビルが倒壊。
1,100人以上が犠牲となった。
壁にひびが入るなど劣悪な環境にもかかわらず操業が続けられていたのである。
犠牲者の多くは欧米のアパレルメーカーの下請けで働く人たちだった。
メーカーの責任を求める抗議行動が世界各地で発生。
労働環境や人権の問題はグローバル企業の経営を揺るがしかねない事態となっている。
いま日本の企業はこうしたリスクへの対応を迫られている。
1月25日 国際的な人権団体が会見を開いた。
日本の子ども服メーカー ミキハウスのミャンマーの下請け工場で
違法な労働があったと告発したのである。
(人権団体 事務局次長)
「労働時間規制に違反する違法な長時間労働が行われている。」
ミキハウスのグループ会社は問題があったことを認め
再発防止に向けて取り組むことを約束した。
2015年にはユニクロの服を作る中国の下請け工場でも
労働者を過酷な環境で働かせていたことが明らかになった。
2020年に東京オリンピック・パラリンピックを控える日本。
海外での労働環境や人権への配慮がいま大きな課題として浮上している。
3月14日 大会で使用するものやサービスの調達条件について
企業の担当者を集めた説明会が開かれた。
ビジネスチャンスをつかもうと参加した企業は定員の2倍近く。
世界中の厳しい目が注がれるなか
「サプライチェーンの末端まで人権に配慮しなければならない」という条件が
組織委員会から示された。
(組織委員会 持続可能性部長)
「例えばこういうバールペンを調達しようとした場合に
海外で作った場合安いというような考えから海外から調達しようと考えたときに
このボールペンを作るところが児童労働があったりするとなると
非常にリスクが高いということ。」
しかしこの問題をリスクととらえる企業はまだ多くないのが現状である。
(参加者)
「海外の労働基準はわかっていないので
日本の企業ですので。」
「気にはしていますけど直接的にまだ他の話かなという感じもありますので。」
これまで安いコストを求めて海外に進出してきた日本の企業。
いまや国際競争力を高めるためには
労働環境や人権への配慮は欠かせないと専門家は指摘する。
(ジェトロ アジア経済研究所 法・制度 研究 グループ長 山田美和さん)
「いわゆるチープレイバー(安い労働力)でものを作っていくということは限界がある。
人権尊重が重要
それをやっていくことが日本企業の競争力を高めていくという
シグナルを国としてまだ出せていないので
日本企業が遅れているひとつの原因になっている。」
3月17日 キャッチ!
日本では去年12月にカジノを含むIR(統合型リゾート施設)の整備推進法が成立し
今後 政府が1年をめどに
カジノの運営業者に対する規制やギャンブル依存症などの対策の
具体的な措置を定める法案の作成を進めることになっている。
となりの韓国では
今から50年も前に外国人観光客の誘致を目的としてカジノが合法化された。
現在では国内17か所にカジノがあり
年間売り上げが2,800億円を超える一大産業となっている。
そのうち東部のカンウォン道につくられたカジノ施設は
炭鉱の閉山に伴う地域の振興を目的に作られ
唯一 韓国人も利用できることから最大の収益を上げている。
韓国東部にあるカンウォン道チョンソン群。
ソウルをはじめ国内各地から次々と高速バスが到着する。
訪れた人々が向かう先は2000年にオープンしたカジノ施設カンウォンランド。
年間約300万人が入場し
国内のカジノの収益の半分以上を占めている。
さらにスキー場やゴルフ場なども併設した総合リゾート施設として観光客を集めている。
カンウォンランドのあるチョンソン群は韓国有数の石炭の産地として栄えてきた。
韓国の石炭の3割を算出し
最盛期には14万人が暮らしていた。
しかし1990年代に炭鉱が相次いで閉山となり
人口は3分の1にまで減少した。
住民は地域の存続をかけ炭鉱の代わりとなる産業の誘致を要求した。
こうして実現したのがカジノの建設だった。
町で食堂を経営するカン・ジェソクさん。
当時炭鉱で働いていたカンさんもまた誘致運動に参加した1人である。
(食堂経営者 カン・ジェソクさん)
「各廃棄物の処分場でも刑務所でもどんなものでもよいからと
地元を離れずに暮らしていけるなら何でもいいと思うほど追い詰められていました。」
カジノは地域に雇用と収益をもたらした。
チョンソン群の税収はオープン前と比べ5倍に増加。
住民の多くがカジノに関連した仕事で生計を立てている。
炭鉱で働いていたイ・サンホさんは閉山後タクシーの運転手になり町に残った。
客のほとんどはカンウォンランドの利用者である。
(タクシー運転手 イ・サンホさん)
「炭鉱がなくなって子どもを養っていけるか心配でした。
カンウォンランドができたおかげでタクシーの客が増えて助かっています。」
一方でカジノは町の風景を一変させた。
中心街にはカジノ客を相手にした性風俗の店が増え
環境の悪化を懸念する人もいる。
カジノの周辺には24時間営業の質屋が立ち並んでいる。
店の前に置かれた高級車の列。
カジノでお金を失った客が質入れしたものである。
(質屋の店主)
「どの質屋の駐車場にも70~80台あります。
お金を失って家にも帰れなくなりここで暮らすしかなくなるのです。」
街中で福祉団体から弁当を受け取る人たち。
カジノで無一文になったいわゆる「カジノホームレス」。
その数は1,000人にもなると言われている。
(ホームレスの男性)
「1度カジノにはまると何も考えられなくなります。
全財産を失っていくところがありません。」
行き場をなくした人たちのカウンセリング施設であるバス。
自殺を予防するため10年前から活動を行っている。
この日訪れた男性はもとは不動産の仲介業を営んでいた。
5年前 知り合いに誘われたことが転落のきっかけだった。
「1度やったらダメになると聞いていたので近くに来たこともありませんでした。
でも偶然に後輩と一緒に来てカジノにはまってしまいました。」
男性はカジノに通い詰めるようになり
1年間で全財産の5,000万円を失った。
妻や2人の子どもとは別れ別れになった。
「最後のころは換金できるものが何もなくなりました。
もらっていた国民年金も口座に入った瞬間全額おろしてカジノに使いました。
世間体を保つための最小限のお金も残しませんでした。
自分が本当に嫌になりました。
カジノにはまらなければ
今頃 子どもや孫と手をつなぎ一緒に幸せに過ごしていたでしょう。」
カジノによる環境の悪化を理由に町を去る人が後を絶たない。
廃校になった小学校。
チョンソン群の人口はカジノのオープン以降も減り続けている。
地域振興団体の代表を務めカジノの誘致を推進してきたチェ・ギョンシクさん。
自分たちの決断は正しかったのか
複雑な思いを抱いている。
(チェ・ギョンシクさん)
「カジノができてよかったことはありません。
最後の手段・選択だったのです。
現状をどう維持し幸せに暮らせる町にするか
そのことだけを考えています。」
雇用と収益を生み出し
地域の再生を担ってきた家事の施設。
一方で変貌する町の姿に住民の心は揺れている。
3月17日 おはよう日本
アイデアを思いついた人がインターネットを通じて広く資金を集めるクラウドファンディング。
映画の製作やイベントの企画など幅広い分野に広がっている。
そしていま一見とっつきにくそうな学術の世界でも注目されている。
東京スカイツリー。
地上458mの場所で作業している国立極地研究所の研究員 植竹淳さん。
植竹さんの専門分野は北極や南極などの氷河にいる微生物の研究である。
厳しい環境の極地になぜ微生物がいるのか。
植竹さんは
「微生物が気流に乗って地球全体を循環しているのではないか」と考え
基礎的なデータを集める場所としてスカイツリーを選んだ。
大気中の微生物が生態系や健康などに及ぼす影響を明らかにして
将来的にはどのように極地まで運ばれてくるのか
つきとめようとしている。
(国立極地研究所 植竹淳さん)
「微生物がいっぱい漂っていると思うが
それがどこから飛んできているのか
風向きによって
海寄りから来るかもしれないし
北から来るかもしれない。
季節の変化などもみられれば面白い。」
研究を進めるのにあたって課題となったのが予算の確保である。
極地の研究に結びつくのか不透明だとして
DNAの解析に研究所の予算を使うことが認められなかったのである。
「解析機器を1回まわすのにウン十万かかる。
ウン十万ですね 1回。」
そこで頼ることにしたのがクラウドファンディングである。
目標は70万円。
サイトを運営する柴藤亮介さん。
国や民間の研究費の助成を受けることが難しい地道な研究や
実績が少ない若手の研究を手助けしようと
3年前にこのサイトを開設した。
これまでに集まった研究費は合わせて5千万円近くに上る。
(クラウドファンディングサイト運営 柴藤亮介さん)
「おもしろい研究をやっている人がいることはなかなか社会に知られていない。
自分のなかだけでアイデアをため込まず
外に出してファンを作っていく。」
植竹さんは研究をより身近に感じてもらおうと
金額によって5段階のリターン(お礼の品)を用意した。
1,000円を提供した人には極地で撮影した写真のポストカードをプレゼント。
30,000円では家庭のほこりを送るとその中の微生物を調べてもらえる。
スカイツリーの近くに住む人たちを含めて
126人から目標を大きく上回る100万円超の資金が集まった。
面白い研究ですね 応援しています
大変興味深く思っております
成果に期待しております
こうした声も寄せられ研究へのモチベーションにつながったという。
植竹さんの研究所を化粧品会社の担当者が訪れた。
この会社は
大気中の微生物が健康に及ぼす影響を知りたいと
10万円を提供。
リターンの1つとして
社員の家で採取したほこりを解析してもらう。
(化粧品会社 担当者)
「PM2、5 ハウスダスト 微生物と
健康への影響にすごく興味があった。
今の研究の先端
ここまでできるということを実感持って見られるからとても楽しい。」
(国立極地研究所 植竹淳さん)
「研究としてスタートしていない段階から多くの声が聞けるのは面白かった。
こんな研究があるというのを一般の人に伝えるのは意義がある。」
植竹さんは
東京スカイツリーで集めた微生物の解析結果を
今年秋に開かれる学会で発表する予定だということである。
3月15日 キャッチ!
東南アジア各国の高齢化率の推移を見ると
タイでは2000年ごろから急速に高齢化が進んでおり
2050年には全人口の約30%が65歳以上の高齢者になると予測されている。
高い経済成長のなか晩婚化が進むことで子どもの出生率が低下し
同時に医療技術の進歩によって平均寿命が延びているタイ。
現地は高齢化の対策に追われている。
高齢化が進むタイ東北部。
朝9時に町の集会所に集まるセーラー服を着た人たち。
これはタイ各地で開かれている「高齢者学校」である。
タイ政府の支援によって全国500か所以上で開かれていて
60歳以上の人たちが週に1度制服を身にまとって集まる。
(高齢者学校の生徒)
「子どもは家を出てひとり暮らしですが
ここに来れば友だちにも会えて幸せです。」
タイでは若者の多くがバンコクなどの都会で働くようになり
地方にはひとり暮らしのお年寄りが増えている。
高齢者学校ではそうしたお年寄りに歌やダンスを楽しんでもらい
健康を維持してもらおうという狙いがある。
(市長)
「学校で高齢者はリラックスできます。
お年寄りの心の健康は私たちにも重要です。」
この一風変わった試みの裏には深刻な地方の医師不足がある。
タイ東北部の医師1人あたりの患者数は3,700人と
バンコクの4倍。
タイではすでに65歳以上の割合が人口の10%以上。
5年後には14%を超え
国際的な基準で「高齢社会」に突入し
医師不足がさらに深刻になると見られている。
(国立病院の院長)
「地方での高齢者の数や割合は今後さらに増えるでしょう。」
急速な高齢化のためタイ国内では介護施設の数も十分ではない。
タイ政府が運営する老人ホームには約230人の高齢者が生活しているが
施設の数が限られ入居待ちの人が増えているという。
公的に運営されている介護施設は全国に25か所しかなく
施設に入るため10年以上待たなければならない場合もある。
ここ数年 民間を含め施設の数は増えているが
高齢者の増加に追い付いていないのが実情である。
(介護施設 所長)
「施設が対応できる人数は埋まっていて
入所希望者には空きを待ってもらっています。」
早急な高齢化への対策が求められるタイでは
より高齢化が進む日本の技術や経験へのニーズが高まっている。
大分県で会社を経営する吉武俊一さん。
吉武さんが広めようとしているのは
ベッドに寝ているお年寄りの体の動きをセンサーで感知し
離れた場所にいる人に伝え
映像により確認できる介護用のシステムである。
この病院では
増加するお年寄りの入院患者を少ない看護師で効率的にケアできると
導入を決めた。
1セット約15万円するこのシステム。
JICA国際協力機構の支援を受けており
タイ全土に向けた実証実験にもなっているという。
(ソフトウェア会社 吉武俊一さん)
「日本と同じように
介護する人や看護師の人材不足は間違いなく起こってきている。
僕らが持っているIT技術・製品が負担軽減に大きく寄与できる。
吉武さんが向かったのは
新たに富裕層向けの介護病棟を建設しているバンコクの大病院。
吉武さんは病院側にシステムの利便性をアピールした。
(病院の院長)
「高齢者の転落防止に役立つとわかったら
喜んで一緒に研究しましょう。」
現在複数の病院と交渉を進める吉武さん。
まずこうした富裕層が通う病院で利益を確保し
中間層などが通う公立病院にも機器を広めたいと考えている。
(ソフトウェア会社 吉武俊一さん)
「介護の世界での必要性は日本のあとを必ずついて行く。
中間層から貧困層に向けての国立や地方の病院で
少し金額を落としてでも皆さんに使っていただける
そういうことができたら一番いい。」
4月6日 編集手帳
詩人の大岡信(まこと)さんに『銀座運河』という一編がある。
〈西銀座三丁目
そこにあった新聞社で
十年間ロクを食(は)んだ〉。
いまの大手町に社屋が移る前の読売新聞東京本社である。
国際ニュースを扱う外報部員として若き日を過ごしている。
締め切りの迫る深夜、
社内は殺気立つ。
〈…ザラ紙の
原稿用紙と駆けっこした
それが性(しょう)に合ってゐた〉。
およそ詩的でない職場で、
詩人の感性がよくぞ無事でいてくれたものである。
大岡さんが86歳で死去した。
朝日新聞『折々のうた』などの名解説者としてもおなじみだろう。
映画の世界で言うならば、
黒沢明、
淀川長治の両氏を一人二役で演じた人である。
ある年の歌会始に詠んだ歌も忘れがたい。
〈いとけなき日のマドンナの幸(さつ)ちやんも孫三(み)たりとぞe(イー)メイル来る〉。
詩人という枠に納まらない表現者だった。
雨に愛された人だという。
俳人の加藤楸邨(しゅうそん)いわく、
〈行くところかならず雨ふるとて雨男と呼ばるるは大岡信大人なり〉
(岩波文庫『加藤楸邨句集』)。
訃報(ふほう)が届いたきのう、
東京は終日、
暖かな光に包まれた。
詩ごころと春の雨雲を連れて旅立ったのだろう。
3月14日 キャッチ!
アメリカのメディアをめぐっては
トランプ大統領が
ニューヨークタイムスやNBCニュースなど大手メディアを名指して
「フェイクニュース(嘘のニュース)」と呼び
ツイッターには「アメリカ国民の敵」とまで書き込んでいる。
一方こうした大手メディアへの対決姿勢とは対照的に
トランプ政権のお気に入りと言われるのが
新興の保守系のインターネットメディア「ブライトバート」である。
内容は白人至上主義的な記事が目立ち
国民の分断を助長するとの批判の声もあるが
トランプ大統領の就任後も閲覧数は増え続け
存在感をさらに高めている。
全米の保守派が年に1度集う最大のイベントCPAC(保守派政治集会)。
トランプ政権以来 与党共和党の幹部が大勢参加。
保守派の結束をうたう一方で大手メディアに対する不満も相次いだ。
(トランプ大統領)
「メディアは情報源の名前を明らかにしないなら報道すべきではない。」
(ボルトン元国連大使)
「既存の大手メディアのニュースは本質を伝えていない。」
一方で存在感が際立っていたのが信仰の保守系メディア「ブライトバート」。
CPACのメインスポンサーに名を連ねたほか
ブライトバートの編集者や記者が代わる代わる壇上に立ってスピーチを行い
「自分たちこそ保守派のメディア」だとアピールした。
(ブライトバート編集長 アレックス・マーロウ氏)
「私が話題にしたいのは既存メディアの偏見です。
もし共和党が貧困層に1%でも税金を上げたとしましょう。
するとワシントン・ポストなどのフェイクニュースは
『共和党が50%の国民に増税する』を騒ぐでしょう。
このメディアの状況にどう対処しますか?」
保守系ウェブサイトブライトバー」は2007年に設立。
インターネットを中心にラジオや動画でもニュースを発信している。
「避妊は女性の魅力をなくし頭をおかしくする」
過激な表現を見出しに掲げ
社会の分断を会わる記事が目立つ。
「欧米に住む若いイスラム教徒は時限爆弾だ」
このブライトバートが閲覧数が常に上位にランキングされるアメリカでいま人気のサイトである。
人気の立役者がトランプ大統領の懐刀バノン主席戦略官である。
去年夏までブライトバートの会長を務めていた。
過激な見出しで注目を集め保守派が喜ぶ記事を提供する。
バノン氏のそうした戦略を功を奏したと「ブライトバート」の記者は証言する。
(ブライトバート特約記者 ジョン・パドナー氏)
「バノン氏は保守系メディアを作り
国民に違った視点のニュースを伝えたかったのです。
ニュースを魅力的に伝える方法を理解していたので
ブライトバートは大人気となったのです。」
ブライトバートは去年の大統領選挙でトランプ旋風と共に一気に躍進した。
ブライトバートのポラック編集者は
大統領選挙期間中トランプ氏を支持する記事を書き続けてきた。
共和党から議会下院に立候補したこともあり
自らの政治的立場を報道に反映させていると認めている。
(ブライトバート編集者 ジョエル・ポラック氏)
「われわれは明らかに偏っています。
記事は正確を期しますが客観的ではありません。
われわれは立場が明らかな一方で
大手メディアは中立を装いながらも実は左翼的です。」
トランプ政権発足後
ブライトバートは大手メディアと異なり
政権の政策をたたえる情報を発信している。
「TPPは米国の製造業に死をもたらしていただろう」
「良いことに
トランプ大統領はTPPを葬った」
トランプ政権発足を受けてさらなる躍進を目指すブライトバート。
しかし専門家の間では懸念を示す人も少なくない。
(アメリカン大学 チャールズ・ルイス教授)
「ブライトバートは特定の政党を支持する内容でニュースではありません。
ジャーナリズムではなく単なるプロパガンダです。」
(ジョージワシントン大学 二コル・アッシャー准教授)
「アメリカ社会はかつてなく両極化が進んでいます。
この両極端の人たちこそが最もニュースに関心があるのです。
ブライトバートは非常に偏っています。
これはアメリカの深い分断を象徴する懸念すべきことです。」
ブライトバートが共和党支持者をひきつけている理由は
共和党支持者の大手メディアに対する不信感である。
共和党支持者の大手メディアに対する信頼度の変化をみると(出店:ギャラップ)
2016年に「信頼する」と答えたのはたったの14%。
前年よりも18ポイントも減った。
この原因について世論調査を行ったギャラップは
大統領選挙で大手メディアの大半がトランプ氏に批判的な一方で
クリントン氏には好意的だったことから
大手メディアが偏向していると共和党支持者が感じたのではないかと分析している。
こうした共和党支持者の一部が大手メディアに不満を抱き
ブライトバートに流れたと見られている。
さらにもう1つ指摘されているのは
アメリカ社会のかつてない分断の深さである。
アメリカには
これまでもフォックスニュースやナショナルレビューなど保守系といわれるメディアはあった。
しかし分断がより深まった結果
白人至上主義やオルト・ライトと呼ばれる極端な右派の動きも勢いづくなかで
これまでの保守派とは異なる極端な論調を掲げるブライトバートが
一部から熱狂的な支持を得たのではないかと言われている。
民主党支持者の去年の大手メディアに対する信頼は
前年に比べ4ポイント落ちたとはいえ51%ある。
共和党支持者の14%と比べると大きな差があり
メディアに対する印象が共和党と民主党の支持者の間で大きく異なっているのがわかる。
大手メディア中でもリベラルな論調で知られるニューヨークタイムスは
大統領選挙後に電子版の有料読者数が急増し
過去最大の伸びを記録したと発表している。
民主党支持者を中心に
批判的な報道が支持されていると見られている。
大手メディアの大半はいま客観的な報道ではなくリベラル寄りだという批判を受けている。
専門家も
大手メディアの報道が都市部のリベラルな人たちを対象にしたものが目立つと
苦言を呈している。
(ジョージワシントン大学 二コル・アッシャー准教授)
「大手メディアの記者たちは
都市部に住み
他の地域の問題には関心がないのです。
これは大きな問題で
都市と地方の問題で
記者のエリート意識の問題でもあります。」
(アメリカン大学 チャールズ・ルイス教授)
「アメリカではこの20年間で約2万人の記者がリストラされました。
その結果
取材が中西部で十分にできず大都市に集中していまっているのです。」
アメリカでは財政的な理由から多くの地方メディアが失われ
調査ジャーナリズムも少なくなっていると指摘されている。
そうしたなかで視聴者・読者の信頼を回復するには
画一的な報道から脱却するとともに
アメリカの多様性を反映した多角的な視点から物事を伝えていくことが重要である。
3月13日 国際報道2017
東京電力福島第一原子力発電所の事故から6年。
当時 所長だった吉田昌朗氏が
生前
政府の委員会の聞き取りに対して
事故直後の対応などを語った証言の記録
いわゆる「吉田調書」が世界有数の原子力大国フランスで注目されている。
「吉田調書」のフランス語翻訳本。
400ページ
述べ28時間に及ぶ証言全てがフランス語に翻訳された。
3冊の本にまとめられる予定で
これまでにそのうちの2冊が出版された。
翻訳作業を取り仕切ったパリ国立高等鉱業学校 フランク・ガル二エリさん。
ガル二エリさんは
フランス有数の研究機関で原発などのリスク管理の専門家として研究を続けている。
3年前 吉田調書が公開されると
フランスの原発の危機管理に役立つと考え翻訳に着手。
当時の政府や東京電力などの関係者30人近くから聞き取りも実施してきた。
(パリ国立高等鉱業高校 フランク・ガル二エリさん)
「原発所長の証言が発表されたのは初めてです。
スリーマイル島やチェルノブイリでも存在しません。」
2月 翻訳にかかわったメンバーが集まり「吉田調書」の意義について意見を交わした。
ガル二エリさんたちが注目しているのは
事故の経緯や事実関係よりも
事故の責任者としての吉田元所長の感情や心理などである。
事前の想定を大きく超える事態に直面した時に
吉田元所長がどのような気持ちで決断を下していたのか
読み解くことができるという。
(メンバー)
「誤っているかもしれない情報を
たった1人で評価するという過酷な現実が提示されています。」
「公的な報告書には人間的な要素がありません。
吉田調書との大きな違いです。」
50基を超える原発があり
電力の7割以上を原子力発電に頼る“原子力大国”フランス。
幸いにもこれまで大きな原発の事故が起きたことはない。
ガル二エリさんは
深刻な事故を経験した当事者がいないフランスだからこそ
原発に関わる人たちが当事者の証言に触れる必要があると考えている。
(パリ国立高等鉱業学校 フランク・ガル二エリさん)
「いつか同じような状況に身を置いた場合に備えて
吉田調書を読んでおくことが重要です。」
この日ガル二エリさんはパリ近郊にある原子力・代替エネルギー庁を訪れた。
担当局長に調書の内容を説明。
想定外の事態に直面した際
責任者がどういう心理になるのか
極限状態になることを想定した事故対策の必要性を訴えた。
(フランス原子力・代替エネルギー庁 ジャンマルク・カブドン局長)
「大事故を経験していないフランスは
証言を聞き
人として危機管理に取り組むしかありません。」
(パリ国立高等鉱業学校 フランク・ガル二エリさん)
「吉田調書を直視することで
原子力に携わる機関が事故対策の改革につなげられるはずです。
吉田調書にしかない要素が存在し
科学的な検証の対象になるということを提唱していきたい。」
ガル二エリさんは福島第一原発を視察し
今後は「吉田調書」の証言をもとに
事故の経緯を映像化することも検討していうということである。
3月13日 国際報道2017
ヨハン・シュトラウス2世が作曲したワルツの名曲「美しく青きドナウ」。
オーストリアのウィーンで初めて演奏されてから3月13日で150年。
初演のとき
この曲に歌詞が付けられていた。
この歌詞に込められたメッセージがいま混乱が続くヨーロッパで見直されている。
音楽の都ウィーン。
モーツァルトやベートーベンといった名だたる作曲者阿智が活躍した町として知られている。
「美しく青きドナウ」の初演から150年を記念する式典が開かれた。
初演当時を再現しようと
現在は演奏されることが少ない歌詞の付いた曲が披露された。
ヨハンシュトラウス2世作曲 「美しく青きドナウ」
ウィーンっ子よ 陽気にいこうよ!
えっ どうして?
見回してみなよ!
だからどうして?
ほら ほのかな光だ
そんなもの見えないよ
ほら カーニバルだよ!
ああ 本当だ!
(参加者)
「歌詞付きはほとんど聞いたことがないので
すばらしいわ。」
「美しく青きドナウ」が初めて演奏された1867年。
そのころのウィーンは普墺戦争でプロイセンに敗れ経済が低迷。
さらにコレラが流行するなど苦難の時代だった。
そうした時代に作られた「美しく青きドナウ」。
オーストリアではいま歌に込められた思いを伝えようと
各地で展示会や講演会が開かれ話題となっている。
「作詞をした詩人のヨゼフ・ワイルは
歌詞を通して暗く沈んでいた当時のウィーン市民を元気づけようとしていた」と
研究者は指摘する。
(シュトラウス研究所 ノルベルト・ルーバイ教授)
「この作品の本質的な部分は次の歌詞に集約されています。
“過去を振り返るな
だから踊るのだ 踊るのだ”と。」
こんな時代はごめんだね!
こんな時代なんて!
悲しんだってどうしようもない!
そうだ そのとおり
悩んだりくよくよしてもしょうがない
だから楽しく陽気にいこうよ!
“困難があっても前向きに生きていこう”という歌詞に込められたメッセージ。
イギリスのEU離脱に反イスラムなどの排外主義。
そしていまだ実感できない景気の回復
ヨーロッパは数々の困難に直面している今
「美しく青きドナウ」のメッセージが人々の心に響いている。
2月に開かれた講演会。
作曲者のシュトラウス2世の遠い子孫で
オーストリアの最高裁判所の判事を務めるエドワルド・シュトラウスさんが
歌詞の1節を息子のトマスさんと朗読した。
どんなに経済がダメでも
まずは まあ踊ろうよ
昔の方が良かったと 悔いて悲しむことに 何の意味がある?
今をできるだけ大切にしよう
自分のことだけで精一杯になり排他的になりかねない時代だからこそ
「美しく青きドナウ」に込められたメッセージを思い起こすべきだと訴えた。
(参加者)
「この歌詞は重要です。
なぜなら今の時代楽しいことばかりではないですから。」
「“人生を楽しみなさい”という当時のメッセージは
今の困難な時代にも通じます。」
(エドワルド・シュトラウスさん)
「英国のEU離脱など不安や不満はありますが
心配ばかりしていても始まりません。
皆が前向きになればよくない時代を乗り越えられるでしょう。」
時代を超え
今もウィーンの舞踏会で流れる「美しく青きドナウ」。
これからの未来を
暗く衝突の絶えないものをするのか
明るく融和が進むものにするのか
全ては人々の気持ちしだい
150年を迎えた名曲。
当時込められたメッセージが
2017年 一層響いている。
3月11日 経済フロントライン
3月2日
サッポロビールは
女優の深田恭子さんを起用して
定番ブランド「エビス」の新商品を発表した。
豊かな香りと苦みを抑えた味で若い女性の“家飲み”需要を取り込む狙いである。
PR の方法も若い世代を意識した。
発売前のイベントでは色とりどりの花を飾った。
写真を撮ってSNSなどに投稿してもらうための演出である。
(サッポロビール ブランド戦略部 後藤正明さん)
「SNSで拡散してもらうこともひとつの狙い。
たくさんの客がそれを見てシェアしてもらえるということは
この世界観を作った狙い通り。」
業界トップのアサヒビールも定番商品を強化する戦略である。
国内のビール出荷量の半分を占める「スーパードライ」は今年誕生から30年。
このタイミングに合わせ
若者をターゲットにした限定商品の開発に取り組んできた。
スーパードライの特徴である切れ味を生かしながら
どんな要素を加えればいいのか試行錯誤を繰り返した。
(アサヒビール マーケティング本部 松橋祐介さん)
「やはり発売当初から比べると
飲んでいるユーザーも50~50代が多くなっている。
30周年は新しいユーザーの獲得
これをしっかりとやっていきたい。」
商品開発のため若者が求める味を徹底的に分析した。
20~30代を対象にビールを飲んだ時どんな気分になりたいか」を調査。
より強い刺激や爽快感を求めているのではないかと考え
導き出したのが“超刺激”というコンセプトだった。
通常のスーパードライよりアルコール度数を上げ苦みを強めた限定商品を発売する。
(アサヒビール マーケティング部 松橋祐介さん)
「いまビールに大きな関心を寄せていない客にも
今一度ビールに関心を寄せてもらって
新規顧客をしっかりと引き出していきたい。」
定番商品の体験イベントを組み合わせる戦略を取るメーカーもある。
2月24日初めてのプレミアムフライデー。
特別列車に揺られながらビールを楽しむイベント。
企画したのはサントリービールである。
高価格帯のビール「ザ プレミアムモルツ」を楽しむさまざまなシーンを提案することで
消費者の心をつかむ狙いである。
(客)
「今日ぴったり。
プレミアムフライデーでプレミアムモルツ。」
「やっぱり特別な日に飲みたい。」
(サントリービール プレミアム戦略部 馬場直也さん)
「週末の頑張ったご褒美といった気分は
幅広い年齢層に指示してもらえるシーンだと思う。
積極的にシーンを提案していきたい。」
3月11日 経済フロントライン
東京新宿の居酒屋。
1杯目はとりあえずビールかと思いきや
「これはモヒート。
ビールはあまり好きではなくて飲まない。」
「ビールの時もあるけど
最近は糖質を考えてハイボール。」
若い世代をひきつける商品の提供がビールメーカーの大きな課題になっている。
キリンビールは
定番商品にこだわらず幅広いビールを取りそろえることで
若者のニーズに応えようとしている。
力を入れているのは個性的な味わいが特徴のクラフトビール。
少量生産のため価格は高めだが
コクや香りなど
自分に合った味を見つけることができると若者の間で人気が広がっている。
クラフトビール事業の現場リーダー 牧原達郎さん。
新たに販売することにした商品の営業戦略を練った。
ワインのように料理に合わせて選ぶのもクラフトビールの楽しみ方である。
会議では
レストランなどに売り込む際
肉料理に合うことをセールスポイントにした。
(キリンビール 企画部 牧原達郎さん)
「ビール会社なので
ビールの良さや飲みに行く文脈で考えがちだったが
まず料理中心
客の行動を中心に考えて
ビールがどういう役割を果たしていくかというやり方。」
翌日 イタリアンレストランに商談に向かった。
まず試したのはハーブとガーリック味のローストチキンとの組み合わせ。
(店長)
「個人的にはブルックリン(クラフトビール)にチキンはあまり合わないかな。」
料理よりもビールの個性が立ちすぎるという反応だった。
トマトソースのパスタ アラビアータと合わせてみると
「最高だと思います。」
1時間余りの商談の末
翌月から商品を置いてもらえることになった。
キリンでは4種類のクラフトビールを提供できるサーバーを開発。
今年中に1000店舗での設置を目標に掲げている。
クラフトビールを入り口に
若者に興味を持ってもらい
時間をかけてビールファンに育てていくという戦略である。
(キリンビール 企画部 牧原達郎さん)
「市場の規模というよりも
ビールが楽しい 面白いと思ってもらう。
本当の喜んでもらえるビールをたくさん提供することが大きな使命。