評価点:78点/2009年/アメリカ
監督:ジェイソン・ライトマン
日常に溢れている非日常。
ライアン(ジョージ・クルーニ)は、一年のほとんどを出張で過ごし、家と呼べるのは飛行機だと自負するほどの航空会社のお得意さんだった。
彼の仕事は、他人が言い渡すことができない「解雇通告」を代理で言い渡すこと。
ネットインフラの整備により、出張が不要になるかもしれない危機に、彼は断固反対する。
その改革案を言い出した、大学を首席で卒業した新人、ナタリー・キーナー(アナ・ケンドリック)とともに、解雇通告のレクチャーが始まる。
「JUNO」のライトマン監督作品であると知っては見にいかないわけにはいかない。
しかも、オスカーノミネート作品とあっては、なおのことである。
解雇通告という非常にホットな職業を見事にこなすのはジョージ・クルーニ。
もう単なるエロ親父にしか見えないが、それも彼の得意とするところだろう。
全然格好いいとは僕は思えないのだが、彼の人気は今のところかげりはなさそうだ。
こういうさらりとした映画は観ていてすがすがしい。
というのも、僕も最近解雇通告じみた通告を受けたばかりだからだ。
はい、「アド変」ならぬ、「職変」しました。
ちょっと複雑な思いを抱きながら、楽しんだ一本である。
▼以下はネタバレあり▼
実は、「JUNO」のライトマン監督というのをすっかり忘れて鑑賞していた。
冒頭の挿入歌を聴きながら、雰囲気が酷似しているなあ、と思っていたら、実際にそうだった。
最新作がもうすぐ公開されるということは頭にあったのだが、まさかこの映画だったなんて。
それにしても、彼の軽快なタッチは、本当に観ていて心地良い。
この映画の魅力は、物語性などではなく、この雰囲気そのものにある。
ラストの曲だって、下手な素人の曲を使いながらも、見事にこの映画のテーマにマッチングしている。
こういう嗅覚は見習いたいものだ。
ライアンは一流の人間である。
彼の価値観は一貫していて、非常にドライだ。
要らないものは持たないし、目的に対して一直線に進む。
彼の生き方を観ていて、「レバレッジ時間術」の本田直之を思い出した。
休むのも、働くのも、移動するのも全くの無駄がない。
すべて自分の管理の中で行っている。
カバンに何も詰めない、という講義を引き受け、またその依頼がなくならないのも無理はない。
時間に追われ、ものに縛られる現代人としては完全に成功者である。
その彼が趣味としているのが、マイルをためること。
僕がTOHOシネマズでマイルをためるのとは訳が違う。
彼は1000万マイルという途方もない目標を掲げ、マイルにならない金は使わない主義を貫いている。
彼は自分の生き方を自分で完全にコントロールしている。
何事においても。
そんな彼にちょっとした出来事が起こる。
それが新人の提案した直接会わないで仕事を成立させるというシステムである。
だが、実際にはこの物語はこちらが主軸ではない。
実はこの映画の本当の物語は、妹の結婚のほうである。
キーナーとの出会いは彼の生活を揺り動かす小波にはなったが、彼を大きく揺るがすのは妹とその新郎とのやりとりのなかなのだ。
妹の生き方と、ライアンの生き方は真逆である。
妹はお金がなく、旅行さえ行けない。
また、妹は不動産業を営む新郎と結婚することを選択する。
不動産業とはまったく地域にへばりつく仕事であることを意味する。
手広くするならともかく、彼の目指すのはサービスの行き届いた顔の見える不動産業である。
旅行に行けないので、彼らは周りに旅行に行ってもらい、言ったことのない地域をパネルとともに写真にしてもらうことを頼む。
ライアンももちろんそれに参加させられるわけだが、実際に飛び回っているライアンにはそのおもしろさが理解できない。
だが、彼女たちには多くの友人・家族たちがいる。
写真を撮ってもらうだけで、アメリカの多くが写真で埋まる。
それは、それだけ多くの友人たちや家族たちがいることを暗示する。
そう、ライアンと真逆なのだ。
彼は飛び回ることができても、帰る家がない。
逃げ回るだけで、還ってくるという経験はできない。
彼はその妹夫婦の生き方を観て、少し感化されてしまう。
また、若いキーナーの情熱的な考え方にも感化されてしまう。
何もないキーナーや、妹夫婦に、自分にないすべてを見いだしてしまう。
よって彼は突然、恋人であったアレックス(ヴィラ・ファーミガ)に会いたくなってしまう。
だが彼女には還る場所があった。
すなわち、セックスフレンドとしてのつきあいであると割り切っていた彼女にとって、ライアンの人生に「踏み込む」つもりは全くなかったのだ。
ライアンは自分の人生が、不意に揺らいでしまったことを自覚する。
彼は初めて自分の人生がレールの上だけでないことを悟る。
だが、彼は生き方を180度変えるような人間ではない。
ニヒルに、ドライに、そしてクールにアメリカ全土を股にかける彼にとって、それは決定的な揺らぎとはならない。
ちょうど「天使のくれた時間」でニックが自分の生き方を変えられなかったのと似ている。
この映画が不倫だ、辞職だ、離婚だ何のと、泥沼化していかないのは、そうした絶対的な安定をライアンは持っているからだ。
そのために、映画として、感動が薄く、いまいちカタルシスに欠けるのも事実だ。
だが、僕はこれくらい明るいタッチでなければ、この「解雇通告をする代理人」を描けなかったのではないかとさえ思う。
1000万マイルを達成したとき、航空機内で祝ってもらう。
そのときの、機長との会話をほとんど僕は予想することができた。
なぜなら、彼に完全に感情移入できていたからだ。
邦題の「マイレージ、マイライフ」というのも抜群だ。
軽快な音楽に、エロ親父の代表ジョージ・クルーニ。
ハイセンスな映画である。
監督:ジェイソン・ライトマン
日常に溢れている非日常。
ライアン(ジョージ・クルーニ)は、一年のほとんどを出張で過ごし、家と呼べるのは飛行機だと自負するほどの航空会社のお得意さんだった。
彼の仕事は、他人が言い渡すことができない「解雇通告」を代理で言い渡すこと。
ネットインフラの整備により、出張が不要になるかもしれない危機に、彼は断固反対する。
その改革案を言い出した、大学を首席で卒業した新人、ナタリー・キーナー(アナ・ケンドリック)とともに、解雇通告のレクチャーが始まる。
「JUNO」のライトマン監督作品であると知っては見にいかないわけにはいかない。
しかも、オスカーノミネート作品とあっては、なおのことである。
解雇通告という非常にホットな職業を見事にこなすのはジョージ・クルーニ。
もう単なるエロ親父にしか見えないが、それも彼の得意とするところだろう。
全然格好いいとは僕は思えないのだが、彼の人気は今のところかげりはなさそうだ。
こういうさらりとした映画は観ていてすがすがしい。
というのも、僕も最近解雇通告じみた通告を受けたばかりだからだ。
はい、「アド変」ならぬ、「職変」しました。
ちょっと複雑な思いを抱きながら、楽しんだ一本である。
▼以下はネタバレあり▼
実は、「JUNO」のライトマン監督というのをすっかり忘れて鑑賞していた。
冒頭の挿入歌を聴きながら、雰囲気が酷似しているなあ、と思っていたら、実際にそうだった。
最新作がもうすぐ公開されるということは頭にあったのだが、まさかこの映画だったなんて。
それにしても、彼の軽快なタッチは、本当に観ていて心地良い。
この映画の魅力は、物語性などではなく、この雰囲気そのものにある。
ラストの曲だって、下手な素人の曲を使いながらも、見事にこの映画のテーマにマッチングしている。
こういう嗅覚は見習いたいものだ。
ライアンは一流の人間である。
彼の価値観は一貫していて、非常にドライだ。
要らないものは持たないし、目的に対して一直線に進む。
彼の生き方を観ていて、「レバレッジ時間術」の本田直之を思い出した。
休むのも、働くのも、移動するのも全くの無駄がない。
すべて自分の管理の中で行っている。
カバンに何も詰めない、という講義を引き受け、またその依頼がなくならないのも無理はない。
時間に追われ、ものに縛られる現代人としては完全に成功者である。
その彼が趣味としているのが、マイルをためること。
僕がTOHOシネマズでマイルをためるのとは訳が違う。
彼は1000万マイルという途方もない目標を掲げ、マイルにならない金は使わない主義を貫いている。
彼は自分の生き方を自分で完全にコントロールしている。
何事においても。
そんな彼にちょっとした出来事が起こる。
それが新人の提案した直接会わないで仕事を成立させるというシステムである。
だが、実際にはこの物語はこちらが主軸ではない。
実はこの映画の本当の物語は、妹の結婚のほうである。
キーナーとの出会いは彼の生活を揺り動かす小波にはなったが、彼を大きく揺るがすのは妹とその新郎とのやりとりのなかなのだ。
妹の生き方と、ライアンの生き方は真逆である。
妹はお金がなく、旅行さえ行けない。
また、妹は不動産業を営む新郎と結婚することを選択する。
不動産業とはまったく地域にへばりつく仕事であることを意味する。
手広くするならともかく、彼の目指すのはサービスの行き届いた顔の見える不動産業である。
旅行に行けないので、彼らは周りに旅行に行ってもらい、言ったことのない地域をパネルとともに写真にしてもらうことを頼む。
ライアンももちろんそれに参加させられるわけだが、実際に飛び回っているライアンにはそのおもしろさが理解できない。
だが、彼女たちには多くの友人・家族たちがいる。
写真を撮ってもらうだけで、アメリカの多くが写真で埋まる。
それは、それだけ多くの友人たちや家族たちがいることを暗示する。
そう、ライアンと真逆なのだ。
彼は飛び回ることができても、帰る家がない。
逃げ回るだけで、還ってくるという経験はできない。
彼はその妹夫婦の生き方を観て、少し感化されてしまう。
また、若いキーナーの情熱的な考え方にも感化されてしまう。
何もないキーナーや、妹夫婦に、自分にないすべてを見いだしてしまう。
よって彼は突然、恋人であったアレックス(ヴィラ・ファーミガ)に会いたくなってしまう。
だが彼女には還る場所があった。
すなわち、セックスフレンドとしてのつきあいであると割り切っていた彼女にとって、ライアンの人生に「踏み込む」つもりは全くなかったのだ。
ライアンは自分の人生が、不意に揺らいでしまったことを自覚する。
彼は初めて自分の人生がレールの上だけでないことを悟る。
だが、彼は生き方を180度変えるような人間ではない。
ニヒルに、ドライに、そしてクールにアメリカ全土を股にかける彼にとって、それは決定的な揺らぎとはならない。
ちょうど「天使のくれた時間」でニックが自分の生き方を変えられなかったのと似ている。
この映画が不倫だ、辞職だ、離婚だ何のと、泥沼化していかないのは、そうした絶対的な安定をライアンは持っているからだ。
そのために、映画として、感動が薄く、いまいちカタルシスに欠けるのも事実だ。
だが、僕はこれくらい明るいタッチでなければ、この「解雇通告をする代理人」を描けなかったのではないかとさえ思う。
1000万マイルを達成したとき、航空機内で祝ってもらう。
そのときの、機長との会話をほとんど僕は予想することができた。
なぜなら、彼に完全に感情移入できていたからだ。
邦題の「マイレージ、マイライフ」というのも抜群だ。
軽快な音楽に、エロ親父の代表ジョージ・クルーニ。
ハイセンスな映画である。
やはり、かなりしっかりと観てるなぁ。
ほぼオレの見方と同じやわ。
ただ、オレの場合、この映画を「幸せ」とは何かという視点で、強く観たせいで、最後の場面の解釈がmenfithと違う。もちろん、多義的な解釈ができるように作っているんやけど、最後、ライアンは、翻身したとオレは感じた。
「幸せ」の基準が変わったのだと。
「自由」の意味が変わったのだと。
書き込みありがとうございます。
ラストは確かに微妙な終わり方だとは思う。
特に最後の語りは、何かしらの変化を遂げないと言えない言葉だった。
だから、何らかの翻身は確実にあったのだろうとは思うけれど、僕は結局その日常を変えることはできないだろうというふうに読んだ。
いわば、閉め切った部屋にちょっと軽く外からの風が吹いた、その程度かな、と。
理由はいくつかあるだろうけれど、この映画は全体としてそれくらい「軽いタッチ」の映画だと思ったからかな。
まあ、どちらにしても、おもしろい映画だね。