評価点:87点/2023年/アメリカ・日本/95分
監督:アーロン・ホーバス/マイケル・ジェレニック
「私たちが立脚しているのはゲームである」、という自負。
マリオとルイージは、水道管工事を専門とする業者として自立した。
しかし、ドジでうだつの上がらないマリオは最初の仕事も完遂できずに、惨めな結果となって帰宅した。
二人は家族からも批判されて、落ち込んでいたところ、ブルックリンで大きな水道管の事故があり、天命だと感じて現地に赴く。
地下に不思議な緑の土管を見つけたルイージは、不意に吸い込まれてしまう。
マリオが後を追うが、二人は不思議な世界で離ればなれになってしまう。
ニンテンドーが満を持して映画化した作品だ。
アメリカで先行上映されて、非常に大きな話題になっていた。
絶対に見たいと思いながら時間が全くなく、ド平日に時間を見つけて映画館に駆け込んだ。
吹き替え版しか上映していなかったので、ちょっと残念ではある。
すでに前評判が高いことは知っていたが、ほとんどトレーラーにも触れないようにしてきた。
子どもともう一度見に行きたいが、家族が許してくれるかどうか。
とにかく、幅広い世代で受け入れられる、非常によい映画であることは間違いない。
▼以下はネタバレあり▼
シナリオはもちろん、映像やカット、アングルや動き、そして音楽や効果音に至るまで、細部まで「マリオ」である。
これが私たちが知っているマリオだ、と言えるほど、おそらく世界観にすんなり入れるだろう。
何より、この作品からうかがえるのは、マリオという世界がゲームの延長上であり、制作者たちが作っているのは紛れもない「ゲーム」なのだ、という自負が感じられることだ。
だから裏切られることはない。
コントローラーを持って映画館に! という話があったが、それもうなずける。
ゲームでありそれ以上でもそれ以下でもない。
背伸びすることなく、ゲームの世界を映画にする。
それを体現した映画だ。
だから、おもしろくないはずがない。
ゲームのファンはきっと、「あのころ私が熱中したマリオ」に必ず出会えるだろう。
クッパが一方的にピーチ姫を好きなり、キノコ王国を攻め落とす。
その後ろ盾となるのはスターであり、クッパはピーチ姫に求婚する。
ゲームでもおなじみの展開であるが、しかし、この世界は「マリオ」だ。
ピーチ姫はおしとやかで弱々しい姫ではない。
サブカルチャーであるゲームの世界を体現するかのように、マリオを鍛えて率先して前線で戦う。
現実やこれまでの「おきまり」の文脈を反転させるのは、サブカルでは常識であり、そしてそれが「ゲーム」の世界そのものを肉付けしている。
彼女がバイクに乗ってキノピオを助ける展開も無理がないし、王冠の上からヘルメットを被るあたりもまさにゲーム的だ。
紆余曲折あり、戦いの場を現実にしていくのは、実にうまかった。
この物語は典型的な往来の物語であり、異世界に迷い込んだマリオが、再び現実に戻ってくるという結構をもっている。
現実を舞台にもってきたのは、「ゲームはしょせんゲームだが、それでも現実に影響を及ぼしうる」という強い自負が込められている。
間抜けで弱虫だったマリオはゲームの世界で強くなり、現実でも英雄になる。
この筋は、まさにゲームばかりしていてはダメだ、という苦言をはねのけるかのような強さがある。
ゲームの世界だけで閉じさせない、物語の展開が、ゲームが大好きで、現実を忘れて熱中した私たちを魅了することだろう。
音楽もまたサブカルだ。
誰でも知っているような往年の曲を挿入歌にして、「私たちが大好きなのは、サブカルとしてのゲームなのだ」という開き直りと自信に満ちている。
勇気と少しの工夫があれば、私も英雄になれる、それがゲームの世界であり、想像の世界なのだ。
誰もが知っているタイトルでも、大風呂敷を広げずに、その世界観を拡張しながら、立脚している自分たちを見失わない。
完成度を高めるということだけを意識した、非常によい作品になっている。
任天堂のゲームは、まだまだ映画化できるだけの魅力的な世界観を持ったタイトルが存在する。
それもこれも、テーマパークのように、きちんとしたコンセプトで作られているからだろう。
MCUのようになるのがいいのか、それはわからないが、映画界も賑わせてほしい。
監督:アーロン・ホーバス/マイケル・ジェレニック
「私たちが立脚しているのはゲームである」、という自負。
マリオとルイージは、水道管工事を専門とする業者として自立した。
しかし、ドジでうだつの上がらないマリオは最初の仕事も完遂できずに、惨めな結果となって帰宅した。
二人は家族からも批判されて、落ち込んでいたところ、ブルックリンで大きな水道管の事故があり、天命だと感じて現地に赴く。
地下に不思議な緑の土管を見つけたルイージは、不意に吸い込まれてしまう。
マリオが後を追うが、二人は不思議な世界で離ればなれになってしまう。
ニンテンドーが満を持して映画化した作品だ。
アメリカで先行上映されて、非常に大きな話題になっていた。
絶対に見たいと思いながら時間が全くなく、ド平日に時間を見つけて映画館に駆け込んだ。
吹き替え版しか上映していなかったので、ちょっと残念ではある。
すでに前評判が高いことは知っていたが、ほとんどトレーラーにも触れないようにしてきた。
子どもともう一度見に行きたいが、家族が許してくれるかどうか。
とにかく、幅広い世代で受け入れられる、非常によい映画であることは間違いない。
▼以下はネタバレあり▼
シナリオはもちろん、映像やカット、アングルや動き、そして音楽や効果音に至るまで、細部まで「マリオ」である。
これが私たちが知っているマリオだ、と言えるほど、おそらく世界観にすんなり入れるだろう。
何より、この作品からうかがえるのは、マリオという世界がゲームの延長上であり、制作者たちが作っているのは紛れもない「ゲーム」なのだ、という自負が感じられることだ。
だから裏切られることはない。
コントローラーを持って映画館に! という話があったが、それもうなずける。
ゲームでありそれ以上でもそれ以下でもない。
背伸びすることなく、ゲームの世界を映画にする。
それを体現した映画だ。
だから、おもしろくないはずがない。
ゲームのファンはきっと、「あのころ私が熱中したマリオ」に必ず出会えるだろう。
クッパが一方的にピーチ姫を好きなり、キノコ王国を攻め落とす。
その後ろ盾となるのはスターであり、クッパはピーチ姫に求婚する。
ゲームでもおなじみの展開であるが、しかし、この世界は「マリオ」だ。
ピーチ姫はおしとやかで弱々しい姫ではない。
サブカルチャーであるゲームの世界を体現するかのように、マリオを鍛えて率先して前線で戦う。
現実やこれまでの「おきまり」の文脈を反転させるのは、サブカルでは常識であり、そしてそれが「ゲーム」の世界そのものを肉付けしている。
彼女がバイクに乗ってキノピオを助ける展開も無理がないし、王冠の上からヘルメットを被るあたりもまさにゲーム的だ。
紆余曲折あり、戦いの場を現実にしていくのは、実にうまかった。
この物語は典型的な往来の物語であり、異世界に迷い込んだマリオが、再び現実に戻ってくるという結構をもっている。
現実を舞台にもってきたのは、「ゲームはしょせんゲームだが、それでも現実に影響を及ぼしうる」という強い自負が込められている。
間抜けで弱虫だったマリオはゲームの世界で強くなり、現実でも英雄になる。
この筋は、まさにゲームばかりしていてはダメだ、という苦言をはねのけるかのような強さがある。
ゲームの世界だけで閉じさせない、物語の展開が、ゲームが大好きで、現実を忘れて熱中した私たちを魅了することだろう。
音楽もまたサブカルだ。
誰でも知っているような往年の曲を挿入歌にして、「私たちが大好きなのは、サブカルとしてのゲームなのだ」という開き直りと自信に満ちている。
勇気と少しの工夫があれば、私も英雄になれる、それがゲームの世界であり、想像の世界なのだ。
誰もが知っているタイトルでも、大風呂敷を広げずに、その世界観を拡張しながら、立脚している自分たちを見失わない。
完成度を高めるということだけを意識した、非常によい作品になっている。
任天堂のゲームは、まだまだ映画化できるだけの魅力的な世界観を持ったタイトルが存在する。
それもこれも、テーマパークのように、きちんとしたコンセプトで作られているからだろう。
MCUのようになるのがいいのか、それはわからないが、映画界も賑わせてほしい。
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