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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム

2019-07-05 19:22:48 | 映画(さ)
評価点:75点/2019年/アメリカ/135分

監督:ジョン・ワッツ

身から出たサビpart2!

アイアンマンが死に、指ぱっちんから復活した人々に日常が訪れた。
復活したピーター(トム・ホランド)は、夏休みを楽しめると思って慕っているMJとの距離をつめることを画策していた。
科学部の旅行でベネツィアに行くことになった彼は、水のヴィランに襲われる。
謎の男ミステリオ(ジェイク・ギレンホール)とともに、なんとか退けたピーターだったが、フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)から呼び出される。

エンドゲーム」からの続編。
もともと「スパイダーマン」だけは追っていこうと思っていたので、時間があったこともあり劇場で鑑賞した。
もちろん、むりくり「ホームカミング」を観たのもそのためだ。
アイアンマン達主要なアベンジャーズたちがこの世界を去ってしまったことによって世界が変容した、そのあとを描いている。

エンドゲーム」を観ていない人にはかなり刺激的な内容になっている。
その意味ではこれまでよりも自律性は低い。
それでも劇場に行こうとする人が多いということは、やはりこのシリーズの人気の高さを示しているだろう。
これまでのシリーズも含めて、単にスパイダーマンが好きな人にとっては、ちょっとついていけない部分があるのは確かだ。
アベンジャーズの流れで観るしかない。

▼以下はネタバレあり▼

前作の「ホームカミング」から正統進化したことは間違いない。
きちんと「スパイダーマン」としての世界観を守っている。
その上で、個々のキャラクターを描いているのだからやはりすごい。
賛否はあるだろうが、人気シリーズを描き続けるという態度が、もはや賛否にさらされる宿命にあるのだから仕方がない。
むしろそれを恐れずにおもしろい映画を撮り続けていることが、既に賞賛に値する。
今作品も、十分及第点だろう。
ただ、前回がおもしろすぎたので、今回は「こんなものか」と思ってしまうだけで。

身から出たサビ、父(トニー)の後始末をさせられる、「お前にはまだ早かった」という三つの要素を維持し続けている。
だから、物語の舞台がアメリカから変わったとしても、全く違和感はない。
これはすごいことだ。
見終わったあとすぐに、どのように「3」につなげるのか、わくわくしてしまう。
それだけでもこの映画の価値は高い。

さて、トニーが遺したものの一つに、ぞんざいに扱ってきた技術者たちがいた。
これは残骸処理をさせられていた前作のヴィラン、バルチャーと同じだ。
ミステリオことクエンティン・ベックは、トニーが去った後、すべての実権をにぎるべくドローンとリアルなホログラム技術によって新しいヴィランとヒーローを創り出す。
その危機にピーターをぶつけさせ、全権を奪おうとしたのだ。
その全権は、トニーが遺した万能めがねに納められていた。
ミステリオというヴィランは身から出たサビであり、めがねを巡る闘いはトニーの後始末に他ならない。

観ていた人はすぐ分かったことに、本来の敵であるエレメンタルが物語の序盤ですでに3体倒されてしまっている。
妙な急ぎ方だ。
新たなる敵が登場する不穏な中盤の解決。
これらはすべて、物語をひっくり返すためのものだった。
実際にはミステリオを真のヴィランとして描くために、仮想された敵だったわけだ。
危機が迫る中、正常な判断力を失ってしまったピーターはミステリオにすべての実権をもつ万能めがねを渡してしまう。
これは「ホームカミング」の補助輪モードを外したスーツの展開と同じだ。
そして、逆にミステリオが優位に立ってしまう。
まさに、「お前にはまだ早かったんだ」をもう一度味わうわけである。

その中でピーターは少しずつ現実の世界を知っていく。
なりたい自分と、なれない自分。
本当の自分はピーターなのか、アベンジャーズの一員としてのスパイダーマンなのか。
二律背反に苦しむピーターは、結局行き当たりばったり、自分なりのやり方で事件を解決することを選択する。

それ以外のキャラクターもしっかりと造形されている。
コミュニケーションが苦手なMJ、個性的な先生、クラスメイト、そしてメイとハッピー。
ミステリオの豹変ぶりは、役者冥利に尽きるというものだ。
やたらと顔を隠した戦い方をするのも、伏線だったわけだ。

もう一つ、指摘しておくべきことは、AR戦の見せ方が上手かったことだ。
劇中、リアルなホログラム技術を使ってスパイダーマンを罠にはめるシークエンスがある。
この描き方が絶妙なバランスだった。
ヴァーチャルリアリティのシークエンスが長かったら、観客は翻弄されて総てのシーンに対して懐疑的になる。
短ければスパイダーマンの危機に陥る様子が分かりにくい。
この長さは物語において、決定的な役割を与えてしまう。
ちょうど良い(むしろ長いくらいか?)長さだったことが、この映画への観客の信頼感につながっている。

その一方で、この映画がそれほどのスマッシュヒットにならないのは、映画の規模が大から小へと展開してしまうということだろう。
多宇宙(マルチ・バース)をミステリオに説明させておきながら、最終的にはスターク・インダストリー社の内輪もめだったことが明かされる。
映像美は楽しいが、それも「偽物」だったとだまされてしまうと、観客はすこし肩すかしを食らった様子になる。
前作や「96時間」、「ジョン・ウィック」のような小から大へという昇華のほうが物語としては面白くなる。
世界旅行していることもあり、どんどん世界が狭くなるのが物語の盛り上がりに欠ける。

とはいえ、ミッドクレジットと、エンドクレジット後の挿話は、新しい予感をもたせる。
ミステリオによって暴かれた正体はことのほか深刻だ。
なぜなら、すべてはミステリオのデマだった、と訂正することはアベンジャーズなどによって可能かもしれない。
けれども、スパイダーマンがピーターであることは、事実だ。
だからこれを否定するのはかなり難しい。
この後の展開は、否が応でもスパイダーマンとしてのピーターが求められることになる。
それがネッドたちとの関係性にどのように影響を与えるのか。
(ネッドは原作コミックではヴィランになっているらしい)

また、宇宙に旅立ったニック・フューリーはどのような展開を見せるのか。
いくらなんでも私は「ファー・フロム・アース」なんて、やめてほしいのだが。


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