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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

スター・トレック イントゥ・ダークネス

2013-09-20 21:07:53 | 映画(さ)
評価点:74点/2013年/アメリカ/132分

監督:J・J・エイブラムス

話にスケール感が乏しい。やはり続編は厳しかったのか。

エンタープライズ号を任されていたカーク船長だったが、ある調査の際、異星人に介入してしまったことを理由に解任されてしまう。
そんなある日、地球のロンドンで大規模なテロが起こる。
容疑者として浮上してきたのはジョン・ハリソン(ベネディクト・カンバーバッチ)という男だった。
その討伐に任命されたカークは再びエンタープライズ号でハリソンが逃げたというクリンゴン帝国に向かうが、そこは惑星連合と緊張状態にある惑星だった。

「スター・トレック」最新作が公開されると言うことで、前作もBDで鑑賞した。
タイミングを逸したのでもうアップするのはやめたけれど。
J・J・エイブラムスといえば、今や話題の超売れっ子監督である。
なにせこの「スター・トレック」だけではなく、「スター・ウォーズ」の新シリーズの監督にも抜擢されている。
エンターテイメントに特化した作品でここまでのヒットメーカーといえばスピルバーグだが、本当に彼を彷彿とさせる。

その彼がTOHOシネマズなどで「これまでのあらゆる映画の知識を総動員して撮った映画だ」と言わしめるほどの力のいれようだ。
(たいていそういう言い方を映画関係者は言うのだけれど。)
前作からの主要キャスティングはもちろんそのままで、さらに、人気絶頂ともいえるカンバーバッチを敵として配役した。
当たり前のように3D上映され、この夏(もう秋やけど)の話題作品なわけである。

▼以下はネタバレあり▼

ハリウッド(彼は英国人やけど)のゴシップネタやテレビシリーズに関する情報はめっきり疎いので、ベネディクト・カンバーバッチと言われてもぴんとこなかった。
また、彼の作品をことごとく見ていなかったので、それほど思い入れもない。
ただし、少なくともこの映画においては、主役を食う役回りをもらっている。
それだけは断言できる。
だから、彼を目的としてこの映画を見るなら、絶対に外れない。
そして、おそらく、次も主要キャラとして名を連ねることになるだろう。
そう、まさに「聖闘士星矢」の一輝のようなキャラとして。

この映画シリーズの上手いところは、キャラクターの描きわけがしっかりしているというところにある。
しかも、主人公をかすませるほど、周りがきちんと描かれている。
この映画の主人公はカーク(クリス・パイン)なのだが、大きな成長を遂げるのはむしろその相棒であるスポック(ザカリー・クイント)である。
彼は前作から引き続き、副船長としてエンタープライズ号に搭乗する。
彼の父はバルタン人であり、理性的で論理的な行動をつねにとる。
母親は人間であり、そのハーフとして生きている。
感情を持つ人間と、殆ど感情によって左右されることのない合理的な人種であるバルタン人とで揺れ動くというのが、スポックというキャラクターなのだ。

前作もそうだったが、この映画でも、結局スポックが仲間や恋人に理性を越えた感情を理解できるか、という点がテーマになっている。
衝動的に助けに入ったカークに対し、なぜ規則を破ってまで自分を助けようとしたのか、と詰め寄る。
カークはそのことを上手く説明できずに、館長という職を解任されてしまう。
カークは、全体的に理性的になりすぎて、思い切った判断ができなくなっている宇宙艦隊の状況を憂慮し、スカウトされた経緯がある。
よってカークは思いきった常識離れした直観による行動が目立つ。
感情や勘を頼りに突き進む艦長に対して、副館長のスポックがそれをうまくブレーキングするという構図だ。
そしてお互いが少しずつ近づいていく、というのが大きな流れだ。

そして今回もそれが踏襲されている。
前作から見ているファンにとって、そのあたりはとくに違和感はなかっただろう。
そこに新たな風を吹き込むのが、カンバーバッチのハリソンというキャラクターだ。

ハリソン(本名:カーン)は、デザイン・ヒューマンであり、能力がずば抜けて高い人間として設計されている。
判断力もずば抜けており、あまりにも危険であるという判断から300年前に冷凍保存されていた。
しかし、前作の特異点によって発見され、仲間とともに蘇生される。
そして、軍事カードとして新たに利用されていた。
そのことに反発したカーンは、ロンドンで大規模なテロを起こしたわけだ。
手出しができないはずのクリンゴン帝国に向かったカーンを追ってきたのは、最新兵器を積んでいるというカークだった。
その魚雷にはカーンの仲間が埋められており、カーンがその魚雷によって死ねば全員が提督の思惑通りに死ぬ。
逆にカーンが勝ったとしても、それを理由に敵国クリンゴン帝国に攻め入る口実もできる。

カーンはうまく利用され、そしてカークもまた提督にうまく利用されてしまう。

余談だが、
「スター・トレック」ファンには、ハリソンが実はカーンだったということに大きな衝撃を受けたようだ。
なぜならシリーズの中でカーンは重要な人物として描かれているから、らしい。
だからアメリカ人はこの映画をエイブラムスの単体映画としてはなく、一連のシリーズの中に位置づけられる作品として体験している。
私はほとんど「スター・トレック」シリーズを知らないので、それには共感できない。
本当の意味で楽しめなかったのはそのコンテクストを知らなかったというところが大きいだろう。
逆に、シリーズに親しみがある人は、「ここでそうきたか!」と嬉しかったに違いない。
「これまでの映画の知識を全て盛り込んだ」という監督の言葉は、嘘ではなかったのだろう。

話を戻そう。
このカーン、カーク、提督という対立の構図は、言うまでもなく最近のアメリカを取り巻くテロの環境に酷似している。
少数の人権を蹂躙することで、大多数の利益(この場合提督の)を得ようという理論だ。
アメリカのそうした時事的な問題に、さらにシリーズファンの喜ぶポイントを突いた非常にまとまったシナリオとなったわけだ。

だが、私にはそれほどエキサイティングなシナリオだとは思えなかった。
一つは、コンテクストとなるシリーズをほとんど知らなかったから。
そしてもう一つは、この一連の事件に、大きな危機感を抱けなかったからだ。
提督の計画にしても、カーンの脱走にしても、宇宙というスケールで考えた場合、それが大きな致命的な危機に至るというのがどうも解せなかった。
加えて、物語が進み、話の全貌が見えれば見えるほど、「それは一部の人にとっての危機じゃないの?」と思えてしまった。
なるほど、エンタープライズ号は目の前にある脅威に対して打開できないほどの状況に追い込まれる。
しかし、それが全宇宙(少なくとも惑星連合)の危機であることがどうしても理解できなかった。
宇宙船がロスに落とされても、もはやカーンにほとんど反撃の余地はない。
記号化されてしまった放射能汚染に対しても、カークに命の危険が迫っているようには写らない。
(だってどうせ助かるんでしょ?)

それは話のスケールの問題というよりも、もっと根本的な問題に昇華できなかったからだろう。
つまり、アメリカのテロ以降、こういう三つどもえの構図はそれほど珍しくなくなってしまった。
もっと言えば勧善懲悪を描けなくなった以上、このような構図でしか映画の脚本は書けなくなってしまった。
その状況で、次に見せるべきは「どのような問題点を突けるのか」という点にあったと思う。
カーンの存在にしても、提督の計画にしても、それが「これまで築き上げてきた惑星連合のあり方そのものを問う」ものではない。
だから、理性と感情というつばぜり合い以外に、根本的な対立に見えないのだ。

結局、カーンが冷凍保存され、カークが命を救われ、最後に5年間の長い調査に出かけるという結論ありきのシナリオだったように見えてしまった。
それはとりもなおさず、次回作への伏線そのものだ。
カーンが再び目覚めるような可能性を残し、そして主要クルーが上手く元の鞘に収まり、次回作へとつながっていく。
そういう予定調和の中で物語が進行していくような印象を受けた。

映画としておもしろいとは思う。
けれども、もっと深く、もっとスマートに、もっとクリエイティヴに、描けたのではないかという不満が残る。

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