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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

2005年 杭州・上海旅行記 その7

2009-07-10 21:59:17 | 旅行記
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【後日談】
さてさて。
帰国した僕は、皆にお土産を配り歩いた。
買ったものは、お茶、印鑑、扇子、湯のみ茶碗、中国の地図、吉野家のレンゲ(上海の吉野家では箸のほかに使い捨てのレンゲが付いてくるので、それをもって帰ったのだ)、お酒の小瓶などなど。
大半は自分のために買ったのだけれど、いくつかは、友人・知人へのお土産として買って帰った。

行く前に「何か強烈なものを買ってきてほしい」と言った冒険者がいたので、それをDに話したところ、「是非に!」と言って勧めてくれたものがあった。

それは小さい瓶に入っていた。
中身は白い立方体がいくつも漂っている。
外のパッケージには「白腐乳」というラベルが貼られている。
Dの話では、中国の豆腐で、味はそれほどでもないが、匂いが強烈な食べ物、ということだった。
赤いものもあるそうだが、白いほうがより強烈だということを聞いて、迷わず買って帰った。
そう、あのカルフールで買った品である。

依頼人にブツを持って行くと、いきなりその場で開け始めた。
「おいおいおい! それはおまえが個人的に楽しむために買ってきたんだよ。
俺まで巻き込んでくれるなああああああ~~~!!!」という僕の悲痛な願いもむなしく、その封印は解かれた。

それは食べ物と言うにはあまりにもくさすぎた。
臭く、そして臭すぎた。
まさに劇薬だった。

買う前に聞いた話では「うん○」に似た強烈な匂いが、嗅覚を奪う。
ということだった。
それは予想以上の臭さで、食べ物と認識することをほとんど否定しているような、
諦念さえ感じさせる芳醇な香りがした。

だが、冒険者であり依頼者である彼は、何を思ったか箸を持ち出して、食べよう、ということになった。
「はあ? お前が勝手に食えや!」という怒りに近い感情を抑えつつ、好奇心も手伝って、彼がお召し上がりになる様子を見つめた。
口に含んだとたん、みるみる顔色が変わっていく。
「これは駄目だ!」

それでも、人間は好奇心には勝てない。
あまりに「美味しそう」なその表情を見た僕も、一口。
「くっさ! そして、塩っから!」

このことを、その後、知り合いの中国人に聞いた。
「ああ、あれね。あれはお漬物みたいなもの。お粥と一緒に食べると美味しいよ。」
「え? それだけで食べたの? そんな食べ方は中国でもしないよ。」

ええ~~!! お漬物として食べるんですか~。
もっとはよ言うてくださいよ~!
僕らそのまま食べましたやん。

無知って恐ろしいよね。
という教訓がそこには込められていたのでした。チャンチャン。

いい話のネタになりますので、是非瓶入りの白い豆腐を、お土産にお持ち帰りになることをオススメします。
ただし、持ち帰るときには密封して、絶対に開かないように注意してください。
もし万が一トランクの中で開いてしまったとしても、僕は一切知りませんので。


【今回の旅行を終えて】
少しまじめな話をしたい。

今回、僕がこの旅行を、ネット(あるいはブログ)にこのようなかたちで公開しようと思ったのは、他でもない、今回の旅行を楽しませてくれた中国に対して、
何かしたいと思ったからだ。

映画サイトで、こんな旅行記を載せること自体、あまり好ましいことだとは思わない。
なぜなら、自分の旅行を公開しても、自己満足に陥るだけだからだ。
けれども、僕は今回、中国という国に実際に足を踏みいれて、観光して買い物をして街を歩いた時に、感じた感動や楽しさを、誰かに伝えることで、感謝の意を示したかったのだ。

今、日中関係はかつてないほど好ましくないような方向に向かっている、ようにマスコミで報じられている。
中国のイメージはますます悪くなっていくような嫌いがある。
だが、そんなイメージの先行は、正に「イメージ」であって、本来の姿ではない。

僕は今回旅行に行くまで、ずいぶんと中国や中国人と関わる機会があった。
たまたま手に取った読んだ本が、「大地の子」であったとか、
高校のころ、地理の先生がその「大地の子」のビデオを見せてくれたとか、
知り合いに中国人がいたり、中国へ行ってトリコになった友人がいたり。
そのほか、様々に中国や中国人に関する人や出来事、本などに出会ってきた。
だから、今回いきなり中国に誘われたといったが、実際にはその胎動は、ずいぶん前からあったと言わなければならない。

以前に出会ったそれらは、偏見に満ちた情報であったり、一方的な意見であったりしたわけだが、それでも、僕は僕なりに、中国や中国人について考えてきた。
僕は、行く前から、ある程度、その他の全く中国を知らない人たちよりも、ある程度知っている、はずだった。
単に、中国人キライとか、中国人って怖いとか、そういった意見だけではない、
もっと冷静に一歩引いた見方をしている、つもりだった。

だがそれでも、見たり聞いたり、そして考えたりしていた時とは、全く違う中国が、今回の旅行で見えてきた。
だからといって、手放しで、中国ってすばらしい、といったそんな歯の浮いた話は、到底出来ない。
ここには書かなかったが、Dからは中国の負の側面の話も、たくさん聞いた。
著作権の問題、反日感情の話、台湾の問題、中国共産党の教育、中国人の勤務態度などなど、日中に横たわっている問題をすべて度外視できるほど、僕は冷静さを失うことはできない。

しかし、それでも、留学してそのまま住み着いてしまったDを、それほどまで惹きつけた理由は、わかる気がするのだ。
そして、それは、単に僕らの胸に収めてしまっていいようなことではない、そんな気がした。

カルフールに行ったとき、いかに日本と中国が強く結びついているかを知った。
お互い、相手の国がなければもう成り立たないほど、生活に密着した存在なのだ。
不買運動なんてしても、もう到底否定しきれないほど、日本という国は、既に中国の中にあるのだ。

問題は確かに多い。
互いにとって不幸な歴史が、問題をより一層深く大きなものにしている。
けれども、と思えたのだ。
この直観は、それまで僕が見聞きして知った事柄を、やすやすと壊してしまう。

「中国人って」と思う人は、一度行ってみればいい。
けれど、それは単にツアーに行くだけではだめだ。
どんな生活をしているのか、どんなことを考えているのか、といったことを、積極的に見出そうとしなければ、きっと見えてこない。
中国に行って、有名な観光名所を回って、世界中共通したサービスを期待するようなツアーや旅行では気づかないことが、きっとあるはずだ。
それが海外旅行の面白さなのだろうし、文化交流なのだと思う。

中国が悪いとか、良いとかという言葉はものすごく安易に口からこぼれるだろう。
しかし、それでは古来より恩恵を受けてきた日本人として、無責任すぎはしないだろうか。
今は確かに治安が心配だろうから、行けないかもしれない。
だが、ただ単に外からしか見ないで語るのは、卑怯であり安直だ。

今回の旅行で、僕が心底「中国が怖い」と思ったのは治安ではない。
彼らの勢いだ。
彼らは「なんとかするぞ」「どうにでもなるぞ」というような活気に溢れていた。
それは成長中の街並みに見られるような外的な様子だけではなく、人々の生きるたくましさのようなものにある活気だ。
執拗な客引きにしろ、勤務態度サイアクな店員にしろ、必死でシャッターを切る観光客にしろ、全てに共通するものだ。
このパワーというか、活気というか、勢いは、日本が見習うべき点でもあるし、また、日本にとって脅威となることは間違いないだろう。

僕たちは、もっと何かできる。

これこそ、中国と日本とが全ての問題を超えてつながる、一つのスローガンなのではないだろうか。
「病んでいる」場合ではないのだ。

(2005/4/30執筆)

あれから丸四年が経過した。
結局機会を持てずに、ここまできてしまった。
そろそろ海外旅行をしたい頃合いだし、そろそろあの中国をもう一度覗いてみたい。
また、行く機会があれば、そして書く機会に恵まれれば、書こうと思う。

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