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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

2005年 杭州・上海旅行記 その6

2009-07-10 21:52:29 | 旅行記
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【5日目】
この日の予定は、上海で有名な観光スポット「豫園」という庭園へ行くことになった。
豫園へは、やはり地下鉄で向かった。
人民広場で地下鉄を乗り換えて、「黄陂南路」駅まで行き、そこからタクシーに乗ることにした。

前日にも乗った地下鉄だが、ここで地下鉄の説明をしておこう。
地下鉄だから当然、地下にある。
日本と同じように、駅の周りに地下街がある駅もあり、大きな建物の地下に地下鉄の駅が直結している駅もある。
乗車券は、販売機か窓口で買うことができる。
初乗りは2元で、最長でも4元くらいで乗れる。

販売機は、さきに値段のボタンを押して、それからお金を投入する。
すると、カードのような乗車券が出てくる。
日本のように紙ではないので、意外に思える。
硬いものではなく、やわらかいペラペラしたカードで、日本のお店でもらえるポイント・カードのようなものだ。

これを改札にさして、手動で鉄の棒(よく遊園地にあるようなもの)を回して駅に入る。
そしてフォームまで降りて、電車を待つ。
フォームには、次の電車まであとどれくらいで来るのか、ということが、時間が出て教えてくれる。
○分○秒まで出るからすごい。
中国の信号機は、青になるまで○秒、○秒で赤になるということが、表示されているので、驚くほどではない。
ただし、地下鉄のフォームでは、この秒数どおりに電車が来るとは限らない。
やはり目安程度のものでしかない。

電車の中は、かなり広い印象を受ける。
幅自体は日本の電車とそう変わらないと思う。
しかし、社内全体が明るくきれいであるため、広い印象を受けるのだ。

また、車両どうしの連結部が、日本と比べ物にならないほど広い。
日本の車両は、連結部ごとに重いドアを開ける必要がある。
しかし、上海の地下鉄は広々としていて、連結部に立っていられるほど広いのだ。
車内が広く感じるのは、そのためでもあるだろう。

車両の中には、日本とおなじように広告が張られている。
驚くのが、ドアの横にある広告には、液晶が設置されているのだ。
左右のドアのどちらかに、一台あり、左右交互に液晶が設置されている。
音声はないが、CM映像が流れ続けている。
これにはさすがに驚いた。
17インチ程度の液晶だが、車両に六つほどある。
これが全車両にあるのだから、相当なコストになる。
だが、こんなことができるのも、この液晶じたいが広告だからなのだ。
液晶のメーカーは「サムスン」。
地下鉄の車両に設置することで、企業名を知ってもらい、その品質を宣伝しているのだ。
中国自体が大きなビジネス・チャンスを迎えているが、それは中国国内だけではなく、他の国の企業も同じなのだ。
大きな投資をするだけの価値が、中国という国にはあるということだろう。

地下鉄に乗るときの注意点は、やはりスリ。
観光地や、人が集まる場所はどこでもスリには要注意だ。
肩から提げるような鞄や、リュックの場合は、絶対にチャックを開けていてはいけない。
また、地下鉄のようなところなら、リュックは身体の前に持ってくる。
鞄から見える場所や外側のポケットに、財布などの貴重品はもってのほか。
勿論、鞄だけではなく、衣服のポケットも、必ずチャックが付いているところに現金や貴重品を入れておくようにしなければならない。

財布は基本的に持ってはいけない。
財布を持っている人種は、中国では極限られている。
要するに、財布を持っているという時点で、「お金持ち」だと思われて狙われてしまうのだ。
だから、お金はそのままポケットに突っ込んでおくのだ。
ゆえに、中国旅行ではチャックの付いたポケットが不可欠になる。
もしくは、ジーパンなどのズボンのポケットにお金をしまう。
慣れるとそうでもないが、これは意外と面倒くさい。

いくら中国といっても、一昔前のアメリカ映画のように、巷を歩いていて囲まれるようなことはあまりない。
だが、スリは日常的のようだ。
Dも、知らない人に給料の大半をあげてしまったという経験があるそうだ。
(ちなみに、この旅行のあと、彼は空き巣にも入られた。
電子機器を一式すべて持って行かれたらしい。
厳密には空き巣ではなく、家で寝ていたところをこっそり持って行かれたらしく、逆に目が覚めなくて良かったのかもしれない、という複雑な目にあった。)

治安面で細心の注意が必要になるのは、その程度で、あとはさほど「危険」な印象は受けない。
ガイドブックはトラブルを防ぐために、多少誇張して書かれていたようだ。

電車に乗るときはさほどでもない。
だが、日本人にとって降りるときは、「戦争」だと思っていい。
なぜなら、中国には「降りる人が優先」という概念がないからだ。
電車が止まると、乗る人、降りる人がドア一枚を挟んで、にらみ合う。
その光景は、実に物々しい。
僕はこれを見たとき、「ウェスト・サイド・ストーリー」の喧嘩のシーンとイメージがダブった。
降りたいなら、相手を押しのけてでも進むくらいの気概で「対決」しなければならないのだ。
僕は日本の平均身長くらいはあるので、まだ対抗できたが、背が低い、もしくは女性なら、かなりの苦労がありそうだ。

地下鉄の説明をしたので、ついでに中国の交通事情についても説明しておこう。
先ほども書いたように、大きな通りの信号機には、後何秒で青になるか、赤になるのか、表示されている。
だが、赤であろうと青であろうと、あまりどうでもいい。
中国において、信号機という概念は、ほとんどないに等しい。
特に歩行者にとって、信号機も横断歩道も、あまりどうでもいい。
どこでも渡るし、いつでも渡る。

車との我慢大会である。
車が事故を嫌がってよけるか、歩行者が怖がって渡らないか。
当然、基本的には歩行者が勝ってしまうのだが。
ドライバーもそれがわかっているので、
下手によけようとすると逆に事故に遭うらしい。
「轢けるものなら轢いてみろ」という度胸が肝心だ。

「あれ、この交差点はやたら行儀がいいなぁ」と思ったら、それは交通整理の公安が立っているからだ。
そうでなければ、車がズンズン通っていても関係なく渡る。
ドライバーは大変だろうなぁ、と思うかもしれないが、ドライバーもたいがいである。

杭州では、一方通行の道路を逆走するタクシーに乗った。
Dの話によれば、ふだんその道を逆走しないタクシーに乗ることのほうが珍しいらしい。
日本のように一方通行といっても、それほど道幅は狭くない。
二台は通れるので、それも通用するのかもしれない。

タクシーを停めるときも、命がけだ。
タクシーは、日本のように手を挙げているだけでは先を越されてしまう。
タクシーは中国でも一般的な移動手段だが、圧倒的に台数が足りない。
だから客同士で取り合いになる。
乗りたかったら、強引に窓を叩く。
そして停まったら、自分でドアを開けてすばやく乗る。
たいてい、すぐに後から車が来るから、ちんたらしていたら、ぶつかってしまうのだ。
すばやく乗る、すばやく降りる(降りたら、だいたい次の客がすぐに乗り込んでくる)。
これが基本なのだ。

中国の乗り物は、何事も強引さと積極さ、すばやさが重要なのである。

さて、「黄陂南路」駅についた僕たちは、タクシーを拾って、「豫園」に向かった。
「豫園」は簡単に言うと、16世紀に造られた中国式の庭園である。
だが、日本の観光スポットの多くと同じように、ただ庭園があるのではなく、その周りには観光客目当てのお土産もの屋や、飲食店など、様々な店でにぎわっている観光スポットになっている。

タクシーで着いた先は、その一画の入り口。
観光スポットになっているだけあって、「豫園」に入る前から、中国の昔の街並みを髣髴とさせる建物が並んでいる。
杭州の観光スポットでも思ったことだが、やはり「ジャッキーが出てきそう」な街並みだった。
平日だというのに観光客も多く、日本人や韓国人の観光客も数多く見かけた。
しかも明らかに大阪弁を話す一団も見かけて、僕らは、街並みとのギャップを楽しんでいた。

だが、歴史的な街並みを再現している一画だといっても、それでも近代化の波をとどめることは出来ないらしい。
日本の京都・河原町のように、新旧の街並みが混在している格好になっている。
建物じたいは、歴史的な概観をしているものの、入っている店の名前はまたしても「マクドナルド」。
しかも一軒や二軒ではない。
ファスト・フードが一割程度は占めているのではないかと思わせるほど、古い街並みに混在しているのだ。
面白いといえば面白いが、興ざめな印象はぬぐえない。

「豫園」の中心に行けば行くほど人の数が増えていく。
入り口を探しながら、良い匂いがしてくる。
まだ昼には早かったが、朝食を食べていなかった僕たちは、点心の店に入った。
ここ「豫園」に来た理由は少なくとも二つあった。
一つは、上海の観光スポットとして有名な「豫園」の庭園を見ること。
もう一つは、スープ肉まんと呼ばれる点心を食べることだった。

スープ肉まんとは、大きな肉まんにスープが入っていて、ストローが真ん中に突き刺さっている。
ストローでスープを飲みながら、周りの皮を食べていく、というものだ。
これは、ガイド・ブックでも紹介されている料理で、行く前から絶対これだけは食べて帰ると決めていたものだった。

点心の店に入った僕とDとマィクは、とりあえずワンタンを頼んで席に着く。
(先にレジで食券を買って店員にその券を渡すと食事が出てくるシステム)
すると、テーブルには、あのスープ肉まんの写真が貼られている!!
これは食べないといけないと思い、Dが店員に聞く。
すると食べられることがわかり、それも追加で頼むことにした。
先にワンタンが到着。
三日目の朝にも食べたが、中国のワンタンは日本のものとはちがって、スープではなくワンタンが主役。
おなかが減っていたが全て食べ終わる頃には結構空腹感はおさまっていた。
ところへ、あのスープ肉まんが到着。
ガイド・ブックの写真でみたものよりも、小ぶりだった。

感動の瞬間である。
ストローでスープを飲もうとする。
が、熱い。
半端じゃないくらい熱い。
もともと熱いスープを、ストローという圧縮されたもので飲むから、舌の一部分だけに、強力な熱湯が注がれるのだ。
「ぅわっちぃ!!」

この後、三人とも等しく舌が火傷したことは言うまでもない。
だが、火傷よりも、問題はものすごくスープが濃厚だということ。
その時の心境で言えば、「脂っこい」のだ。
ワンタンでそれなりに満たされたおなかには、この濃厚スープが意外とつらい。
僕はまだ朝から脂っぽいものを食べられるような体質だったが、朝に弱い、デリケートなマィクには、相当きつそうだった。

なんとか完食できたものの、ちょっと胃がもたれ気味。
もたれ気味の胃を抱えながら店を出て、いよいよ一向は「豫園」へと入っていく。

「豫園」の中はさすがにすばらしい。
中国の建造物と日本のものとは、やはり共通しているところはあるものの、大分違う。
窓が円形だったり、窓に細かい細工がしてあったり。
これはもう、実際に行ってもらうしか説明しようがない。
この「豫園」でも面白い体験があった。

中にはたくさんの観光客が来ていた。
日本人、中国人、韓国人の修学旅行生……。
修学旅行なのか、ボーイスカウトなのか、いまいちよくわからなかったが、小学生くらいの韓国の子どもたちが、興奮気味に走り回っていた
(話している言葉が明らかに中国語ではない)。
僕らが写真を撮ろうとすると、どうしてもそのアングルに入ってきてしまう。
そこでDが子どもたちに話しかける。

「●◇※★!」(僕には聞き取れない)
そういうと、小学生たちはすぐに退いてくれた。
写真を撮った後、Dに確認すると、「ああ、あれ? ハングルで“ちょっと待って”って言ってん」
おいおいおい。
お前はいったい、何ヶ国語しゃべれるんだ?
(あ、日本語は多少拙いか。)

また、「豫園」の奥へ進んでいくと、いくつかお土産物屋があった。
その中に、漢方の中国茶を売っているという店に入った。
そこにいた中国人の店員が、日本語がうまい。
発音がうまい、といった言語の技術的なうまさではなく、トークがうまいのだ。
「これとこれを同時に飲んだら、日本で言う鬼に金棒です。
中国では虎に翼と言います。」
などと、知的な表現を交えながら、どんどん客(主に僕ら)を引き込んでいく。
極めつけは「甜茶」の試飲。

そのおじさんの話によると、甜茶は「舌に甘い」と書くように、本来甘い葉っぱなのだと言う。
そう言いながら、数ミリだけ客に葉っぱを配る。
それを直接食べてみると本当に甘い。
甜茶は日本でも有名だが、花粉症に効果がある。
そんな説明をしながら、ウーロン茶に甜茶を混ぜて飲ませてくれる。
すると、甜茶を入れる前のウーロン茶は甘さなど全くなかったのに、甜茶を入れると、甘さが出てくる。

「うおー、すげー」と感動しながら、
どんどんマシンガン・トークでおじさんペースになっていく。
甜茶をすすりながら、僕ら三人は、心の中で思っていた。
「買うか……」

セールス・トークなのは解っている。
マシンガン・トークなのも解っている。
それでもおじさんのトークを聞いていると、だまされても買ってやるか、と思ってしまうのだ。
それほど日本語がうまいし、態度も好感が持てる。
Dの中国語がうまいことに感心して、話がますます弾んだ。

まんまとカモられた僕たちは、仲良く三人で甜茶を買ったのだった。
今では買った甜茶を大事に少しずつ紅茶に入れて飲んでいる。
紅茶に甘さが出て、砂糖が要らないくらい甘くなる。
売る人の人柄で買う、という買い物は実に楽しいものだ。

なぜ、ここまでそのおじさんに惹かれたかというと、それまでの中国人の店員で、これほど熱心な人を見たことがなかった、というのも一つの理由だった。

どの店に行っても、ほぼ店員の態度は日本のようなものではない。
飲食店などでは、客に料理を運ぶとき、テーブルに料理を置く直前まで店員同士で話している。
そして置いた後、また話し出す。
サービス精神なんてものは、かけらもない。

だが、逆に、露天商や客引きは、必死だ。
少しでもその気を見せると、どんどん引き込もうとする。
だから「ブーヤオ」という言葉が必要になるわけだ。

この違いは一体何処にあるのか。
Dの話によると、要はお金に原因があるという。
基本的に、給料はいくらか決まっている。
仕事ができようができまいが、必死に仕事をしようがしまいが、給料は決まっているのだ。
だから、どんなにサービスを振りまいても無駄、という意識がある。
一方、露天商などは、客引きしないと口を糊することもできないのだ。
彼らは彼らなりに、利害を考えて行動しているのだ。
そんな話をすると、決まってDはこう言う。

「日本はサービスがいいとか言うけれど、どうしても口先だけに見えてしまう。
コンビニとか特にうそ臭い。
中国人は、喜怒哀楽がはっきりしていて、そういううそ臭さはない。」

確かにそのとおりだ。
マニュアル、マニュアルで叩き込まれる日本の店員は、どうしてもうそ臭さ、うわべだけの態度に見えてしまう。
その意味で、おおらかで、感情豊かな中国人の姿を見ていると、単にサービス精神がなっていない、という批判は空虚にも思える。
実際、僕は彼らの無愛想な態度を見ていると、怒りよりも微笑ましいとさせ思うようになった。
外から見ていたのでは、気づかない発見の一つである。

「豫園」を出た僕たちは、飲食したり、見物したりしながら、街並みを楽しんだ。
昼食も点心で、ショウロンポウを食べた。
やはり何度食べても美味しい。
そして安い。

そうこうしているうちに、気がつけば予定時間に迫っていた。
フライト時間に間に合わなければ、当然帰国できない。
激安チケットの裏にある注意書きにはこう書かれていた。
「いかなる条件でもキャンセルはできません」
それはそうだろう。だが続きにはこうも書かれていた。

「現地で間違った案内によって乗りそこなった場合でも、当社は一切責任を負いません」

おいおいおい。
それは俺の責任なのか~?
そこまできっぱりと責任放棄されると逆に潔いが……。

急いでタクシーを拾い、地下鉄へ乗り込み、ホテルに預けていた荷物を受け取る。
地下鉄駅近くから出ている空港行きのバスに乗り込み、バタバタと空港に到着。
お土産にハム味のクラッカーを買うつもりが、その時間はなく、そのまま円に換金。
窓口でチェックインして、荷物を預けた。

そうして感慨にふける暇もなく、中国を後にする時間になってしまった。
杭州の会社を休ませてまで、上海まで付き合わせたDにお礼を言って、「絶対もう一回来たいよ」と別れを告げて、そのまま飛行機に乗り込んでいった。

そして、飛行機に乗り込んでびっくり。
僕らは当然エコノミーだと思って奥へ奥へ進んでいくと、一向に自分の席が見つけられない。
フライト・アテンダントに聞いてみると、なんともっと前。
つまりエコノミー・クラスではなく、ビジネス・クラスだったのだ!!
ギリギリにチェックインしたから、席が確保できなかったのか、激安チケットでビジネス・クラスになっていたのだ。
最後にこんなサプライズが用意されているなんて。

席はゆったり、自動で背もたれが動く。
機内食は美味しくて、量も多い。
極めつけは、フライト・アテンダントが客を名前で呼んでくれること。
僕は残念ながらその機会がなかったのだけど、なんというサービスだ。
調子に乗って、ワインを食前酒に飲んで、機内食の写真をパチリ。

行儀悪く機内食をほおばりながら、
最新の映画「フォーガットン」の続きを見ていた。
フライト時間が短いため、行きのフライトでは半分しか見られなかったのだ……。
観終わるとちょうどベルトサインが点灯し、そのまま空港に滑り込んでいった。
それまで飛行機に乗るたびに、「ほんまに落ちへんよな!?」という恐怖感があった。
頭では理解できるが、鉄の塊が飛ぶのがどうしても感覚的に理解できなかったのだ。
乗り物酔いするタイプでもあるので、離着陸は気分が悪くなることもあった。
だが、それは一種の貧乏性であることに、このとき気づいた。

「ビジネス・クラスなら全然揺れない。怖くない!」

ビジネス・クラスで良かったな~と思ったのは、機内食でもないし、フライト・アテンダントの過剰とも言えるサービスでもない。
飛行機って怖くないじゃん! と思わせてくれたことが一番良かった。

そして、重い荷物を引きずりながら、自宅へ無事帰ったのだった。
大きな「経験」というお土産とともに。

→その7へ

(2005/4/29執筆)

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