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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ミッション:8ミニッツ

2011-11-19 00:49:07 | 映画(ま)
評価点:76点/2011年/アメリカ・フランス/93分

監督:ダンカン・ジョーンズ

映画通かどうかよりも、こういう話が好きかどうかによって評価が分かれる作品。

空軍ヘリのパイロット、コルター・スティーブンス大尉(ジェイク・ギレンホール)はある日見知らぬ列車内で目覚める。
目の前には女性が座っていていきなり話しかけてくる。
違和感を覚えた彼は、鏡に自分の姿を映してみると、完全に別人だった。
身分証も自分ではないものだった。
そして8分後、列車が大爆発を起こす。

月に囚われた男」で一躍その名を世間にとどろかせたダンカン・ジョーンズ。
デビッド・ボウイの息子であることよりも、監督としての手腕で評価されるべき人だろう。
その彼が主演に「ブロークバック・マウンテン」のジェイク・ギレンホールを起用し、SFサスペンスを撮った。

映画のキャッチコピーが「映画通ほどだまされる」。
これにひかれてサスペンス好きが映画館にいくと痛い目にあう場合がある。
だまされるのはこの映画のキャッチコピーであって、映画そのものではない。
この映画は、サスペンスの要素があるので頭が必要であることは間違いない。
けれども、それよりも作品のテーマを受け取るだけの心があるかどうかのほうが大事だろう。
もちろん、この映画が面白くないと感じたからと言って人の心の機微がわからないという意味ではない。
感性で見るべき映画であり、だまされないように、と構えて見るとテーマの意外性に愕然とするだろう。

タイトルの「ミッション:8ミニッツ」もよくない。
原題「ソース・コード」ではあまりにも想像しにくいけれども、もっと何かあったのではないか。
とにかく、見に行く価値は充分にある。
ぜひどうぞ。

▼以下はネタバレあり▼

この映画を、どういう映画だとおもって見るかによって大きく評価が変わる。
僕は前評判なしに見に行ったので、特に違和感はなかったが、前評判をがちがちに固めて見に行った人は期待はずれだと感じたかもしれない。
そう、「アンブレイカブル」のように。

この映画の構造は実は非常にシンプルだ。
要するに「密室劇」である。
それに早く気付いていれば、それほど違和感なく楽しむことが出来ただろう。
映画をよく見る人は、あのキャッチコピーではないが、類似するいくつもの映画をあげることができる。
アイデンティティ」「ステイ」「ミスターノーバディー」「バンテージ・ポイント」などなどラストは「25時」なんかも彷彿とさせる。
そうかといってありきたりな話ではないし、陳腐であるわけでもない。
不思議な感覚にとらわれる映画である。

とりあえず、話を整理してみようか。
二つの世界を行き来するスティーブンス大尉は、二ヶ月前に爆撃を受け瀕死の重傷を負っている。
意識はなんとか保っているが昏睡状態にちかい。
外部とのやり取りは直接脳にコンピューターで信号を送ることで成立する(ようだ)。
彼はある実験のために利用されている。
それは、既に死んでしまった人間の脳とリンクさせることによって死ぬ8分前の状況を再体験するというものだ。
何度も8分間の死を体験することになるが、それは時間がさかのぼったということではない。
凶悪犯罪が起ったとき、その被害者の脳を取り出し、8分間の様子を探ることができる。
それによって次に起るかも知れない犯罪を未然に防ぐことができる。

しかし、それが永久に続けられるわけではない。
死者の脳はやがて完全にその機能が失われる。
だから、スティーブンス大尉は急がねばならないのである。

爆弾テロに巻きこまれた人間の脳から8分間の再生を行ない、テロの真相を知る。
よくあるタイムトラベルとは違う構造だが、SFであることには変わりない。
ただし、この映画を他のSFと同じように体験してしまうと、とんでもないことになる。
そもそも、この設定は無理がある。
死んだ人間と脳をリンクできたとして、8分間体験できたとしても、それは確定された過去の出来事に過ぎない。
死んだ人間と全く同じ8分間を体験できたとしても自由に動きまわることができるとは信じがたい。
電車を降りなかった人間の脳から、電車を降りた場合の状況を再現できるわけがない。
同様に爆弾に気付かなかった人間は爆弾を見つけ出したり、処理したりすることはできないはずだ。
SFということで、その点に引っかかってしまった人はきっと楽しめなかっただろう。
この映画はSFの設定をもっているが、極めて人間的な部分がテーマとなっている。

スティーブンス大尉は何度も本来の自分と、ショーンを往来することによって、爆弾テロ班を見つけ出す。
同時に、このシステムの綻び(あるいは可能性)を発見する。
即ち、救えないとされてきた乗客を何とか救う方法があるのではないか、ということだ。
転送されるショーンは、スティーブンス大尉にとっては疑うはずもない「真実」である。
この感覚は、過去を変えることが出来るのではないかという疑問となり、変えられるはずだという確信へと変わっていく。

スティーブンス大尉の案内人であるグッドウィンにシステムの停止を頼み、最後のソースコードを稼働させる。
爆弾を解体し、テロリストを排除し、父親との和解を果たす。
そして、クリスティーナ(ミシェル・モナハン)に自分の想いを告げたところで8分間の「タイムリミット」が終了する。
生命維持装置を止められたスティーブンス大尉はそこで死を迎える。
彼が置かれたはずの、すべての世界が停止し、スティーブンスがいたはずの世界は凍結される。
彼が味わうのは物理的時間を超越した「永遠の刹那」である。

そこには哲学的で、宗教的な問いが秘められている。
すなわち、人は死してどのような世界を体験するのか、ということである。
その意味では彼がこの止まった世界以降で味わう体験はすべて「夢オチ」であり、「幻想」なのかもしれない。
夢かうつつか、正気か狂気か、幻想か真実か。
そういう二項対立でとらえようとするとどうしても矛盾に陥り、結局は死後に見た甘美な幻想ととらえることになるだろう。
けれども、僕たちが味わうのはそういう甘くはかない理想主義者のような曖昧なものではない。
もっとはっきりとした、確固とした「もう一つの世界」である。

SFでいうところのタイムトラベルしたような、可能性の一つ、のようなものである。
夢か現実かではなく、それは彼の「確信」ともいえるようなものなのだ。

この映画は密室劇である。
自分というカプセルの中と、列車という密室の中で物語は進行する。
しかし、8分後の世界は、紛れもなく密室からの脱出に成功する。
だからこそ、この映画が荒唐無稽な話でありながら妙なカタルシスを得ることができる。
事故で閉じ込められたエレベーターから救い出されたかのような開放感である。
それは完全に閉じ込められた自己だけの世界が、他者への世界にまで影響を及ぼすという広がりでもある。

彼は何度も自分の世界と他人の世界を往来するとき、クリスティーナとともに街を歩く自分の姿を見出す。
それは「もう一つの世界」の「未来」だった。
同時に、自分が送ったメールが、届くはずのないもう一人のグッドウィンに届く。
コルター・スティーブンス大尉の世界が、独りよがりな閉じられた世界ではないことを証明する。

様々な矛盾にはらんだ映画である。
それだけにこの映画の評価は大きく二分されるだろう。
それは映画通かどうかではなく、魂の方向性とでもいうべきパーソナルな問題だ。
じわじわ温かくなる、不思議な映画だ。

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2011-12-03 17:06:57
だから、スティーブンス大尉は急がねばならないのである。

違いますよ。テロが進行中だからですよ。
返信する
返信遅れました。 (menfith)
2011-12-07 22:41:31
管理人のmenfithです。
近日中に記事を更新する予定です。
全く放置していて申し訳ありません。
生きています。なんとか。

>Unknown さん
書き込みありがとうございます。
無視していた格好になって申し訳ありません。
体調を崩したり、ラルクのライブ行ったりしていました。

ご指摘の点ですが、僕の勘違いかもしれません。
再三テロが起こるからとせかしていましたが、序盤でちらっと被害者の余命について触れていたと思ったのですが、違いましたか?
記憶が定かでなくて申し訳ありません。

間違えていたら、愚かな記事を書いたとしてそのまま恥ずかしい記事をさらしておきます。
(訂正してもいいんですが、そうなるとこの書き込みのやりとりも分からなくなってしまいますので…)
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