評価点:86点/2010年/アメリカ/122分
監督・脚本:ポール・ハギス
王子が悪い王妃から姫を救う。これは、現代版のおとぎ話だ。
いつものような朝、家族三人で食事をして仕事へ出かけようとすると、そこへいきなり警官が押しかけてきた。
「妻ララを殺人容疑で逮捕する」
殺人罪で起訴、収監された妻の無実を裁判ではらすことはできなかった。
あきらめた方がいい、と弁護士から告げられた夫ジョン・ブレナン(ラッセル・クロウ)は新たな決断を下す。
それは、ピッツバーグの刑務所から妻を脱獄させるという、無謀な計画だった。
「すべて彼女のために」というフランス映画をハリウッドリメイクしたのがこの作品である。
それほど大々的に公開されたわけではないので、見逃した人も多いだろう。
僕はM4会で勧められたので公開最終日のレイトショウで見に行った。
仕事で疲れていたので予告の時点でかなりうとうとしていたが、始まるやいなや、完全にのめり込んでしまった。
間違いなくおもしろい。
脱獄する作品は数多いが、脱獄させるという作品はそう多くない。
もう公開が終了した地域が大半だろうから、DVDでチェックしてみよう。
見た人は、下の批評をぜひ読んでくださいまし。
▼以下はネタバレあり▼
リメイク前のオリジナルは見ていない。
今日、先ほどレンタルしてきたので近日中にアップしよう。
だから比較はできない。
そのことを最初に断っておこう。
むしろ、ほとんどの予備知識がなく映画館にいった。
だから映画の制作陣としては理想的な観客だったに違いない。
この映画は様々な点で現代的だ。
エンターテイメントとして成功しているだけではなく、深く考えさせるコードが埋められている。
見る人にとって、スパイアクションのように見る人もいれば、社会的な象徴が数多く隠されていると感じるかもしれない。
それだけ完成度が高い映画ということだ。
その一つの手法として、描写が二通りに解釈できるカットが多いことだ。
例えば、高架下のフェンスを切るところ。
はじめ見たときは何をしているのかまったくわからない。
けれどもいざ逃走するとそれは入念に練られた逃走経路であることがわかってくる。
だから観客は緊張感を失わずにハラハラさせられながらジョンに感情移入していく。
銀行強盗をしようとするシークエンスもみごとだ。
どちらを決断するのかギリギリまで見えてこない。
二通りの方向性が示されるので、「葛藤」している内面が手に取るように解るのだ。
その最たるものが、「妻は本当に無罪なのか」という逡巡である。
3年前の段階では妻が殺したのか、物取りの犯行なのか観客にはわからない。
妻まで「私に一度も殺したのかと聞かなかったわね。
本当は殺しているかもしれないのよ」と言い出す。
だから真相がどちらなのか、見えない中で脱獄計画が進められていく。
妻は無罪なのか、有罪なのか。
だが「狂気」に駆られた夫にとってそれはもはやどうでもよいことなのだ。
理性の中でみる狂気は、どこか現代人に陥る〈病〉のようにも見える。
イラクへの報復戦争や、大量破壊兵器の捜索、映画でいうなら「タクシー・ドライバー」にも通ずるようなテーマだ。
もし有罪だったら? それは誰も救われない脱獄劇であることになってしまう。
自己肯定するために必死に掴もうとしたものが何だったのか。
きっと脱獄が完了した後、夫は妻に問うことは無かっただろう。
映画としてそれが明らかになるのは終幕である。
残されたボタンは永遠に闇に消え、誰も立証することが出来なくなった事実はグレーのままだ。
何を信じるのか。
そしてそのためにどう行動するのか。
結果として行動で示したことが正義なのか。
倫理的な、道義的な、非常に難しい問題である。
しかし、この観客もどちらかわからない、という選択の迫り方は物語をよりスリリングにした。
脱獄したカタルシスと、真相が明らかになったカタルシスの二つの効果は絶大である。
映画館を後にしたとき、本当に満足して帰れるのはそのためだ。
M4会の薦めてくれたメンバーは、「ビューティフル・マインド」のラッセル・クロウと重なったと話していた。
たしかにこういう現実と幻想の往来は、彼の過去の作品を彷彿とさせる。
ラッセル・クロウははまり役だったのかもしれない。
僕はこの映画を観ながら、「現代のおとぎ話のようだな」と思ってしまった。
脱獄王のニーアム・リーソンが登場したときだ。
彼はジョンにどうすれば妻を奪還できるかという知恵を授ける。
僕はそれを見たとき、まるでガラスの靴を授けるシンデレラの魔女のようだと思った。
昔からの童話や説話、おとぎ話には、必ず課題と報酬、そして援助者と呼ばれる人間が登場する。
課題は妻を悪い看守や警察、司法という王妃から奪うことである。
言うまでもなく、報酬は姫である妻である。
援助者とは、主人公を助けてくれる、七人の小人や、猟師、魔女たちである。
その援助者であるのは、脱獄王である。
まったく不可能な刑務所からの脱獄、そのために必要なキーを授ける。
そして刑務所(法律)というのは、権力の象徴であり、どうにもならない社会の制度の象徴である。
それはどこかおとぎ話の悪い継母の王妃のようだ。
この物語は新しいようで、実は物語の典型を見出すことができる。
だからこそ、僕たちは完全に、安全に感情移入できるなかもしれない。
ある意味では、おとぎ話をこの「スリーデイズ」のように昔の人々は体験していたのかもしれない。
しかも、それがあらゆるハイテク機器による攻略だから極めて現代的だ。
前半は人間ドラマ、後半はどこかスパイ映画のような臨場感、そしてテーマは非常に現代社会を投影したようなもの。
さらには物語の典型を踏まえている。
さすが「クラッシュ」のハギス監督である。
2011年の後半は、この映画が当たりのようだ。
監督・脚本:ポール・ハギス
王子が悪い王妃から姫を救う。これは、現代版のおとぎ話だ。
いつものような朝、家族三人で食事をして仕事へ出かけようとすると、そこへいきなり警官が押しかけてきた。
「妻ララを殺人容疑で逮捕する」
殺人罪で起訴、収監された妻の無実を裁判ではらすことはできなかった。
あきらめた方がいい、と弁護士から告げられた夫ジョン・ブレナン(ラッセル・クロウ)は新たな決断を下す。
それは、ピッツバーグの刑務所から妻を脱獄させるという、無謀な計画だった。
「すべて彼女のために」というフランス映画をハリウッドリメイクしたのがこの作品である。
それほど大々的に公開されたわけではないので、見逃した人も多いだろう。
僕はM4会で勧められたので公開最終日のレイトショウで見に行った。
仕事で疲れていたので予告の時点でかなりうとうとしていたが、始まるやいなや、完全にのめり込んでしまった。
間違いなくおもしろい。
脱獄する作品は数多いが、脱獄させるという作品はそう多くない。
もう公開が終了した地域が大半だろうから、DVDでチェックしてみよう。
見た人は、下の批評をぜひ読んでくださいまし。
▼以下はネタバレあり▼
リメイク前のオリジナルは見ていない。
今日、先ほどレンタルしてきたので近日中にアップしよう。
だから比較はできない。
そのことを最初に断っておこう。
むしろ、ほとんどの予備知識がなく映画館にいった。
だから映画の制作陣としては理想的な観客だったに違いない。
この映画は様々な点で現代的だ。
エンターテイメントとして成功しているだけではなく、深く考えさせるコードが埋められている。
見る人にとって、スパイアクションのように見る人もいれば、社会的な象徴が数多く隠されていると感じるかもしれない。
それだけ完成度が高い映画ということだ。
その一つの手法として、描写が二通りに解釈できるカットが多いことだ。
例えば、高架下のフェンスを切るところ。
はじめ見たときは何をしているのかまったくわからない。
けれどもいざ逃走するとそれは入念に練られた逃走経路であることがわかってくる。
だから観客は緊張感を失わずにハラハラさせられながらジョンに感情移入していく。
銀行強盗をしようとするシークエンスもみごとだ。
どちらを決断するのかギリギリまで見えてこない。
二通りの方向性が示されるので、「葛藤」している内面が手に取るように解るのだ。
その最たるものが、「妻は本当に無罪なのか」という逡巡である。
3年前の段階では妻が殺したのか、物取りの犯行なのか観客にはわからない。
妻まで「私に一度も殺したのかと聞かなかったわね。
本当は殺しているかもしれないのよ」と言い出す。
だから真相がどちらなのか、見えない中で脱獄計画が進められていく。
妻は無罪なのか、有罪なのか。
だが「狂気」に駆られた夫にとってそれはもはやどうでもよいことなのだ。
理性の中でみる狂気は、どこか現代人に陥る〈病〉のようにも見える。
イラクへの報復戦争や、大量破壊兵器の捜索、映画でいうなら「タクシー・ドライバー」にも通ずるようなテーマだ。
もし有罪だったら? それは誰も救われない脱獄劇であることになってしまう。
自己肯定するために必死に掴もうとしたものが何だったのか。
きっと脱獄が完了した後、夫は妻に問うことは無かっただろう。
映画としてそれが明らかになるのは終幕である。
残されたボタンは永遠に闇に消え、誰も立証することが出来なくなった事実はグレーのままだ。
何を信じるのか。
そしてそのためにどう行動するのか。
結果として行動で示したことが正義なのか。
倫理的な、道義的な、非常に難しい問題である。
しかし、この観客もどちらかわからない、という選択の迫り方は物語をよりスリリングにした。
脱獄したカタルシスと、真相が明らかになったカタルシスの二つの効果は絶大である。
映画館を後にしたとき、本当に満足して帰れるのはそのためだ。
M4会の薦めてくれたメンバーは、「ビューティフル・マインド」のラッセル・クロウと重なったと話していた。
たしかにこういう現実と幻想の往来は、彼の過去の作品を彷彿とさせる。
ラッセル・クロウははまり役だったのかもしれない。
僕はこの映画を観ながら、「現代のおとぎ話のようだな」と思ってしまった。
脱獄王のニーアム・リーソンが登場したときだ。
彼はジョンにどうすれば妻を奪還できるかという知恵を授ける。
僕はそれを見たとき、まるでガラスの靴を授けるシンデレラの魔女のようだと思った。
昔からの童話や説話、おとぎ話には、必ず課題と報酬、そして援助者と呼ばれる人間が登場する。
課題は妻を悪い看守や警察、司法という王妃から奪うことである。
言うまでもなく、報酬は姫である妻である。
援助者とは、主人公を助けてくれる、七人の小人や、猟師、魔女たちである。
その援助者であるのは、脱獄王である。
まったく不可能な刑務所からの脱獄、そのために必要なキーを授ける。
そして刑務所(法律)というのは、権力の象徴であり、どうにもならない社会の制度の象徴である。
それはどこかおとぎ話の悪い継母の王妃のようだ。
この物語は新しいようで、実は物語の典型を見出すことができる。
だからこそ、僕たちは完全に、安全に感情移入できるなかもしれない。
ある意味では、おとぎ話をこの「スリーデイズ」のように昔の人々は体験していたのかもしれない。
しかも、それがあらゆるハイテク機器による攻略だから極めて現代的だ。
前半は人間ドラマ、後半はどこかスパイ映画のような臨場感、そしてテーマは非常に現代社会を投影したようなもの。
さらには物語の典型を踏まえている。
さすが「クラッシュ」のハギス監督である。
2011年の後半は、この映画が当たりのようだ。
更新速度が遅くて申し訳ありません。
明日も仕事です。
とほほ。
>ララさん
返信遅くなって申し訳ありません。
「プリズン・ブレイク」実は見たことがあります。
一話だけ、何かのDVDについていたので見ました。
う~ん、感想はあんまりでした。
映像のテンポやリズムがいまいち乗れませんでした。
海外ドラマじたい、批評にしていないこともあり、最近は全然見ていません。
「24」もシーズン5くらいで止まっています。
時間が食われてしまうということも一つの理由です。
映画の批評を書けるように、もっとがんばります……。