評価点:78点/2017年/アメリカ/113分
監督・脚本:エドガー・ライト
キャラクターとシナリオと、アクションと音楽と。
天才的なドライバー、ベイビー(アンセル・エルゴート)はいつもイヤホンをして音楽を聴いていた。
耳が不自由な義父の面倒を見ながら、銀行強盗の現場から警察の追跡から逃がす、逃がし屋をしていた。
強盗チームのリーダーであるドク(ケヴィン・スペイシー)の仕事を邪魔したことがあり、その罪滅ぼしをさせられていたのだ。
しかしその仕事も終わりに近づいていた。
そんなある日、コーヒーショップでデボラ(リリー・ジェームズ)と運命的な出会いをする。
気になっていたが、ずっと見られなかった一本。
ほとんど予備知識無しで見た。
こういう映画がアメリカでつぎつぎと生み出されることに、私は正直羨望を覚える。
非常にまとまった良作で、見るべき映画の一つだろう。
「ウェスト・サイド・ストーリー」の主演アンセル・エルゴート、ケヴィン・スペイシーをはじめ、ジェイミー・フォックスなど脇を固めるキャストも一流だ。
音楽とカーアクションの融合は、これぞ「映画だ」と思わせる作品である。
▼以下はネタバレあり▼
とにかくかっこいい。
そして激アツである。
この映画の成功の一つは、もちろん演出にあるのだが、シナリオが良い。
悪の巣窟に出入りしているにもかかわらずまったく心を動かされないベイビーが主人公だ。
彼は幼少期にあった事故のために耳鳴りが止まらない。
耳鳴りを防ぐためにイヤホンをつねにしている。
音楽を通して世界とふれあい、音楽のない世界では生きていけない。
どんな人間と対峙しても常に冷静でいられるのは、音楽という緩衝材が現実との間を取り持っているからだ。
だが、そんなクールな彼が、物語が進むにつれてどんどん裸になっていく。
音楽を奪われ、愛する女性を危険にさらし、冷静ではいられなくなっていく。
これだけのカーアクションをみせていながら、最もエキサイティングなアクションは車を奪われたベイビーが街中を駆け回るところだ。
これがやりたかったから、カーアクションがあったのか、と思わせる出来だ。
音楽と車という彼にとって鉄壁であった城を失い、まさに身を削って逃走する。
そこには打算や計算を超えた、生身の男がいる。
この豹変ぶりがこの映画の見所であり、テーマでもある。
彼は今のミッションをこなしながら、デボラたちと交流することで過去と対峙する。
なりふりかまわず、ノープランで走り出す彼の姿は、自己と外界を隔てる垣根(車と音楽)が取り除かれている。
ここではじめて彼は自己を取り戻す。
さらに、弱点である「耳鳴り」をバディ(ジョン・ハム)から突きつけられる。
それでも戦おうとしたベイビーは、過去を克服したと言えるだろう。
この展開が非常に素晴らしかった。
クールで感情を表さない主人公を、視点人物にすることの意味がよくわかる。
(一般的に感情表現に乏しい主人公を視点人物にすると観客は感情移入しにくいものだ)
そして、音楽の使い方だ。
耳鳴りがする、手話ができる、といったキャラクター性と、映画音楽と劇中音楽を一致させることで見事に観客を現場へと引き釣り込む。
銀行強盗なんて流行らない、そういう時代に置いてさえ、「ありえるかも(いやないけど)」という没入感をもたらせる。
不満があるとすれば2点だ。
一つは最後のドクの心理変化が唐突すぎること。
追い詰められたベイビーを、デボラとともにいるところをみた瞬間、協力的になる。
前半に死んだ恋人の写真を見つめるカットを入れるとか、「恋人を見つけて自立しろ」とかアドバイスするドクを入れておくとかしないと、ご都合主義に感じてしまう。
命を賭して「逃げろ」と言ったのはなぜなのか。
このあたりはちょっとわかりにくい。
もう一つは後日談が長すぎるという点だ。
二人が捕まるところで終わっても良かった。
「必ず待っているから」とデボラに一言言わせれば十分二人の行く末は暗示できた。
敢えて刑期を終えるところまで描く必要はなかったのでは。
正直蛇足だし、余韻がかえって減退した気がする。
監督・脚本:エドガー・ライト
キャラクターとシナリオと、アクションと音楽と。
天才的なドライバー、ベイビー(アンセル・エルゴート)はいつもイヤホンをして音楽を聴いていた。
耳が不自由な義父の面倒を見ながら、銀行強盗の現場から警察の追跡から逃がす、逃がし屋をしていた。
強盗チームのリーダーであるドク(ケヴィン・スペイシー)の仕事を邪魔したことがあり、その罪滅ぼしをさせられていたのだ。
しかしその仕事も終わりに近づいていた。
そんなある日、コーヒーショップでデボラ(リリー・ジェームズ)と運命的な出会いをする。
気になっていたが、ずっと見られなかった一本。
ほとんど予備知識無しで見た。
こういう映画がアメリカでつぎつぎと生み出されることに、私は正直羨望を覚える。
非常にまとまった良作で、見るべき映画の一つだろう。
「ウェスト・サイド・ストーリー」の主演アンセル・エルゴート、ケヴィン・スペイシーをはじめ、ジェイミー・フォックスなど脇を固めるキャストも一流だ。
音楽とカーアクションの融合は、これぞ「映画だ」と思わせる作品である。
▼以下はネタバレあり▼
とにかくかっこいい。
そして激アツである。
この映画の成功の一つは、もちろん演出にあるのだが、シナリオが良い。
悪の巣窟に出入りしているにもかかわらずまったく心を動かされないベイビーが主人公だ。
彼は幼少期にあった事故のために耳鳴りが止まらない。
耳鳴りを防ぐためにイヤホンをつねにしている。
音楽を通して世界とふれあい、音楽のない世界では生きていけない。
どんな人間と対峙しても常に冷静でいられるのは、音楽という緩衝材が現実との間を取り持っているからだ。
だが、そんなクールな彼が、物語が進むにつれてどんどん裸になっていく。
音楽を奪われ、愛する女性を危険にさらし、冷静ではいられなくなっていく。
これだけのカーアクションをみせていながら、最もエキサイティングなアクションは車を奪われたベイビーが街中を駆け回るところだ。
これがやりたかったから、カーアクションがあったのか、と思わせる出来だ。
音楽と車という彼にとって鉄壁であった城を失い、まさに身を削って逃走する。
そこには打算や計算を超えた、生身の男がいる。
この豹変ぶりがこの映画の見所であり、テーマでもある。
彼は今のミッションをこなしながら、デボラたちと交流することで過去と対峙する。
なりふりかまわず、ノープランで走り出す彼の姿は、自己と外界を隔てる垣根(車と音楽)が取り除かれている。
ここではじめて彼は自己を取り戻す。
さらに、弱点である「耳鳴り」をバディ(ジョン・ハム)から突きつけられる。
それでも戦おうとしたベイビーは、過去を克服したと言えるだろう。
この展開が非常に素晴らしかった。
クールで感情を表さない主人公を、視点人物にすることの意味がよくわかる。
(一般的に感情表現に乏しい主人公を視点人物にすると観客は感情移入しにくいものだ)
そして、音楽の使い方だ。
耳鳴りがする、手話ができる、といったキャラクター性と、映画音楽と劇中音楽を一致させることで見事に観客を現場へと引き釣り込む。
銀行強盗なんて流行らない、そういう時代に置いてさえ、「ありえるかも(いやないけど)」という没入感をもたらせる。
不満があるとすれば2点だ。
一つは最後のドクの心理変化が唐突すぎること。
追い詰められたベイビーを、デボラとともにいるところをみた瞬間、協力的になる。
前半に死んだ恋人の写真を見つめるカットを入れるとか、「恋人を見つけて自立しろ」とかアドバイスするドクを入れておくとかしないと、ご都合主義に感じてしまう。
命を賭して「逃げろ」と言ったのはなぜなのか。
このあたりはちょっとわかりにくい。
もう一つは後日談が長すぎるという点だ。
二人が捕まるところで終わっても良かった。
「必ず待っているから」とデボラに一言言わせれば十分二人の行く末は暗示できた。
敢えて刑期を終えるところまで描く必要はなかったのでは。
正直蛇足だし、余韻がかえって減退した気がする。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます