評価点:53点/2013年/アメリカ/130分
監督:ギレルモ・デル・トロ
私の期待値が高すぎた。
突如として襲ってきた「怪獣」によって地球は危機に瀕した。
しかし、イェーガーと呼ばれる決戦兵器を開発、怪獣を見事に撃退していった。
そんな時、マニラにあらわれた怪獣を撃退すべく、アメリカ軍のエース、ベケット兄弟が迎え撃つことになった。
いつもどおりに撃退できるはずだったのに、敵の逆襲に遭い、兄のヤンシー(ディエゴ・クラテンホフ)が殺されてしまう。
それから数年後、次第に攻勢を強める怪獣に対してイェーガーが押される展開が次第に増えてきた。
イェーガーについては凍結するべきだという議論も起こっていた。
そんなとき、イェーガーの司令官が、生き残ったローリー・ベケット(チャーリー・ハナム)を訪れ、イェーガーに復帰するように促すが……。
周りから「あれは観た方が良い」と言われ続けて、借りては観ずに返し、借りては観ずに返し、を繰り返した挙げ句、今回やっと観ることができた。
私の期待値はうなぎ登り、ただし全く予備知識無しで観ることになった。
誰が出ているかも、誰が撮ったかも知らなかった。
結果評価点を観て頂けばわかるが、玉砕となった。
う~ん、話題になる前に出逢えればそうでもなかったのかもしれないが、私には怪獣との闘いよりも、眠気との闘いのほうが辛かった。
▼以下はネタバレあり▼
怪獣という日本語を敵の名前に使ったり、菊地凛子や芦田まなちゃんが出てきたり。
日本びいきの作品であることは間違いない。
日本で様々な怪獣ヒーローものがあるが、そのハリウッド実写版といっても良い。
だからこそ、日本で高評価を得たのだろうと思う。
少なくとも私の周りは、高評価だったし。
だが、私にはそれよりもチープさが目立ってしかたがなかった。
おそらく映画館で観た場合、もっと違った印象を受けただろう。
小さいテレビ画面で見たことは、この映画にとっては不利に働いたと思う。
怪獣と呼ばれる敵を最初からまともに見せすぎていた。
そのため、恐ろしさが半減していた。
どれだけひどいのか、という点を一般人からの視点が欠如している。
芦田愛菜ちゃんの震える回想シーンだけではその恐ろしさが伝わらない。
話の筋をしっかりさせるためには、主人公の心理を中心に描くためには、しかたがなかった部分も否めない。
しかし、世界を救うためにはイェーガーが必要であることを強調するためにも、ただ壊されていく街の映像だけではなく、人が死ぬ、悲しみにくれる部分を描かなければ敵の重さがわからない。
エイリアンからの侵略というよくあるパターンの話にしても、敵の恐ろしさが物語の熱さ(厚さ)につながる。
部分的に見せたり、残虐性や人々の喪失感を描いたりすることで、その点は十分にクリアできたような気がする。
人々の様子を描かなかったことで、話のスケールも小さくなってしまった。
世界を巻き込んだ防衛戦であることはわかっても、それがどちらかというと軍人のみに限られていたため、人の命の重みも、「世界を救う」という点も見えにくくなってしまった。
その意味では「オール・ユー・~」に似た雰囲気だったが、あちらのほうが狭い世界とはいえ、主人公の「絶望感」が大きかったように思う。
人間物語でもその熱さは伝わらなかった。
私には。
笑っていいのか、まじめに受け取ったらいいのか、戸惑いながら観た。
このあたりはB級らしいところではある。
私が求めていたのは、おそらく「なにかよくわからないが熱い」ということだったのだろう。
その熱さよりも、むしろ丁寧に、菊地凛子の過去などが描かれることによってますます冷静になってしまったのかもしれない。
B級映画はあらためて作品外の「文脈」が重要だということがよくわかった。
監督:ギレルモ・デル・トロ
私の期待値が高すぎた。
突如として襲ってきた「怪獣」によって地球は危機に瀕した。
しかし、イェーガーと呼ばれる決戦兵器を開発、怪獣を見事に撃退していった。
そんな時、マニラにあらわれた怪獣を撃退すべく、アメリカ軍のエース、ベケット兄弟が迎え撃つことになった。
いつもどおりに撃退できるはずだったのに、敵の逆襲に遭い、兄のヤンシー(ディエゴ・クラテンホフ)が殺されてしまう。
それから数年後、次第に攻勢を強める怪獣に対してイェーガーが押される展開が次第に増えてきた。
イェーガーについては凍結するべきだという議論も起こっていた。
そんなとき、イェーガーの司令官が、生き残ったローリー・ベケット(チャーリー・ハナム)を訪れ、イェーガーに復帰するように促すが……。
周りから「あれは観た方が良い」と言われ続けて、借りては観ずに返し、借りては観ずに返し、を繰り返した挙げ句、今回やっと観ることができた。
私の期待値はうなぎ登り、ただし全く予備知識無しで観ることになった。
誰が出ているかも、誰が撮ったかも知らなかった。
結果評価点を観て頂けばわかるが、玉砕となった。
う~ん、話題になる前に出逢えればそうでもなかったのかもしれないが、私には怪獣との闘いよりも、眠気との闘いのほうが辛かった。
▼以下はネタバレあり▼
怪獣という日本語を敵の名前に使ったり、菊地凛子や芦田まなちゃんが出てきたり。
日本びいきの作品であることは間違いない。
日本で様々な怪獣ヒーローものがあるが、そのハリウッド実写版といっても良い。
だからこそ、日本で高評価を得たのだろうと思う。
少なくとも私の周りは、高評価だったし。
だが、私にはそれよりもチープさが目立ってしかたがなかった。
おそらく映画館で観た場合、もっと違った印象を受けただろう。
小さいテレビ画面で見たことは、この映画にとっては不利に働いたと思う。
怪獣と呼ばれる敵を最初からまともに見せすぎていた。
そのため、恐ろしさが半減していた。
どれだけひどいのか、という点を一般人からの視点が欠如している。
芦田愛菜ちゃんの震える回想シーンだけではその恐ろしさが伝わらない。
話の筋をしっかりさせるためには、主人公の心理を中心に描くためには、しかたがなかった部分も否めない。
しかし、世界を救うためにはイェーガーが必要であることを強調するためにも、ただ壊されていく街の映像だけではなく、人が死ぬ、悲しみにくれる部分を描かなければ敵の重さがわからない。
エイリアンからの侵略というよくあるパターンの話にしても、敵の恐ろしさが物語の熱さ(厚さ)につながる。
部分的に見せたり、残虐性や人々の喪失感を描いたりすることで、その点は十分にクリアできたような気がする。
人々の様子を描かなかったことで、話のスケールも小さくなってしまった。
世界を巻き込んだ防衛戦であることはわかっても、それがどちらかというと軍人のみに限られていたため、人の命の重みも、「世界を救う」という点も見えにくくなってしまった。
その意味では「オール・ユー・~」に似た雰囲気だったが、あちらのほうが狭い世界とはいえ、主人公の「絶望感」が大きかったように思う。
人間物語でもその熱さは伝わらなかった。
私には。
笑っていいのか、まじめに受け取ったらいいのか、戸惑いながら観た。
このあたりはB級らしいところではある。
私が求めていたのは、おそらく「なにかよくわからないが熱い」ということだったのだろう。
その熱さよりも、むしろ丁寧に、菊地凛子の過去などが描かれることによってますます冷静になってしまったのかもしれない。
B級映画はあらためて作品外の「文脈」が重要だということがよくわかった。
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