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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

マッドマックス 怒りのデスロード

2015-07-19 09:44:37 | 映画(ま)
評価点:82点/2015年/オーストラリア/120分

監督:ジョージ・ミラー

それは、マッドが支配する世界。

地球が戦争により汚染され、荒野が広がっていた。
マックス(トム・ハーディー)は、元警官で一人で荒廃した砂漠を走っていた。
そんなある日、あたりを縄張りとしていたイモータン・ジョー(ヒュー・キース・バーン)の一団に襲われて捕虜となった。
ジョーは地下水をくみ上げ、それを利用して小さな王国を築いていた。
ジョーの部隊の隊長フュリオサ(シャーリーズ・セロン)は、弾薬を購入するために使いに出された。
しかし、東へ逸れて、脱出を試みる。
それに気づいたジョーは、討伐部隊を編成し、彼女を追った。
そこに、「輸血袋」として捕虜のマックスも連れて行かれる……。

メルギブ・ソンの出世作、「マッド・マックス」の最新作が出る。
そんなニュースに心を躍らせた人はれくらいいるのか。
どちからというと「北斗の拳」のほうが日本にはなじみがあるかも知れない。
荒廃した大地で水とガソリンを求めて人々が爆走する。
そんな20世紀ばりばりの世紀末映画が、2015年に帰ってきた。

21世紀になっても、「セカンド・インパクト」も起こらなかったし、「使徒」も襲ってこなかった。
今更? という感じも否めないが、見にいく価値はあるだろう。
しかも、あのトム・ハーディーが再び「マスク」を付けて主演に挑む。
渋い声に、きれいな顔、野生の彼がどんなマッドぶりを発揮するのか。
公開はずいぶん前なので、劇場では厳しいかもしれない。
私は、DVDを、買います!

▼以下はネタバレあり▼

これは往来の物語である。
ジョーが住まう王国から逃走を図ったフュリオサが、再び王国に復讐しに帰ってくるという物語だ。
なぜ帰ってくるか。
それは、荒野の大地に「未来」はなく、過去との決別にこそ「未来」があるというテーマと関連づけられている。

マックスは冒頭で語る。
「俺は生者と死者、両方に追われている」と。
彼に何があったのか、具体的にはほとんど明かされない。
おそらく守りたかった娘を守ることができなかった、その幻影に常に追われ続けているのだろう。
わからないが、そこは問題にされない。
彼のそのトラウマと、フュリオサの状況を重ね合わせて、彼らは来た道を引き返して復讐することを決意する。
日常から非日常、そして日常へという往来の物語になっているわけだ。

フュリオサがかつて生きていた緑の楽園は、汚染されて生き物が住まうことができない場所になっていた。
かろうじて生きていた人々は、旅人から奪うことによって生きながらえていた。
そこには楽園はなく、絶望だけが広がっていた。
それをみたマックスは、「逃げる」ことに希望を見出すことはできず、闘うことにしか未来はないことを思い知る。
それがこの作品のテーマとなっている。

その貫くテーマがしっかりとしているため、それ以外のディティールはなぜだかすんなり受け取れる。
ウォー・ボーイが輸血が必要な理由も、ジョーの町でなぜあんなに人々がぼろぼろの格好をしているのか(もはやギャグ)も、説明されない。
だが、なぜだかそういう世界なのだと受け入れてしまう。
そうなるとこの映画は、アクションに没頭できるアドレナリン爆発の映画になっていく。

ディティールが不自然であればあるほど、そういう世界なのだと納得できる。
なぜなら、この現代もまた、ディティールが不自然なことが多いからだろう。
「どうでもいい機能」が充実した家電に囲まれて生活している私たちは、ありえない走るギターがいても違和感はない。
画一化されないところに、人間性を感じ、必然性を感じる。
この荒野と私たちの物があふれる時代とが絶妙に共通しているからこそ、私たちは熱くなれるし、感情移入もできるのだ。

公開から何十年も経っているのに、これほど輝く映画も珍しいだろう。
もう一度「マッドマックス」を見直さないといけないな……。


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