銅版画制作の日々

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FLAGS OF OUR FATHERS 『父親たちの星条旗』

2006-11-01 | 映画:シネコン


この一枚の写真が戦争を終わらせた。その真実とは・・・。
2006年8月、ひとりの写真家がこの世を去った。ジョー・ローゼンタール、享年94歳。61年前彼が撮影した一枚の写真が、太平洋戦争の運命を変えた・・・・・。

その写真は1945年2月23日、日本の領土である硫黄島で撮影された。そしてこの写真はピュリッツァー賞を獲得記念切手の図柄やポスターにもなり、アメリカ中の雑誌の表紙や新聞の一面を飾りさらにバージニア州アーリントン墓地にある海兵記念碑にもなった伝説の報道写真「硫黄島での国旗掲揚」。硫黄島の摺鉢山の頂上に星条旗を揚げる6人のアメリカ兵(5人の海兵隊員と1人の海軍衛生下士官)の姿だった。

日本のほぼ最南端に位置する東西8キロのの小さな島「硫黄島」を占領する戦いは1ヶ月間以上の長期戦となった。国をあげての団結を生み出したこの写真がなければアメリかは日本との戦いから撤去しなければならなかったもしれない。長期化する戦争にアメリカ国民が半ば背を向け始めた時、この写真が国民の心を一つにした。

しかしこの写真の裏には覆い隠された事実があったすりかえられた山頂での出来事語られることのなかったもう一つの星条旗の存在、英雄に祭り上げられた兵士たちの苦悩祖国に生還した彼らは誰もが英雄とは思わなかった。

一人は自滅の道を歩み一人はチャンスを掴もうとそしてもう一人は生涯沈黙を守り続けた事実に基づくドラマ硫黄島で、何が起こったのか彼らは何を見たのか何故沈黙し、何を忘れようと、何を守ろうとしたのか

この原作本となった「FLAGS OF OUR FATHERS」邦題「硫黄島の星条旗」は生還した“英雄”の一人ジョン・“ドグ”・ブラッドリーの息子ジェイムス・ブラッドリーとロン・パワーズによって書かれたもの。父親は死ぬまで語らなかった。父の死後、息子は父の過去を知るために何年もの歳月をかけ、硫黄島の真実に辿り着くのである。

この原作を、クリント・イーストウッドが監督・製作・音楽を担当またあのスピルバークも製作に携わっている脚本はクラッシュのポール・ハギスと豪華な顔ぶれだ

史上初、日米双方の視点から映画「硫黄島」二部作の第一弾今回はアメリカから見た硫黄島。

第二弾「硫黄島からの手紙」 日本から見た硫黄島。12月9日公開です

  


生還した3人の兵士。運命はそれぞれ・・・・

キャスト ジョン・“ドグ”・ブラッドリーライアン・フィリップ(クラッシュで刑事役!)
      レイニー・ギャグノン   ジェシー・ブラッドフォード
      アイラ・ヘイズ       アダム・ビーチ
      マイク・ストランク     バリー・ペッパー(グリーンマイル)
      ラルフ・“イギー”・イグナトースキージェイミー・ベル
      ハンク・ハンセン     ポール・ウォーカー
      キースー・ビーチー   ジョン・ベンジャミン・ヒッキー

 公式サイト 父親たちの星条旗/硫黄島からの手紙

 ※追記:感想等戦闘シーンはかなりの迫力で、観ている側も息を呑むくらいの怖さを感じるクリント・イーストウッドは実際に硫黄島に、日本政府の許可を得て、訪問している。長期にわたっての戦闘シーンの場所を探すために、地質学的や地形を調べたようだ。そうして見つけたところがアイスランドのレイキャビック南西にある火山性の半島レイキャネスだ。俳優はあまりメジャーな顔ぶれではない。ライアン・フィリップ、思い出したクラッシュで若い刑事役を演じていた。あのリーズ・ウィザースプーンと結婚している人それにバリーペッパーは「メルキアデス・エストラーダの三度の埋葬」に出演していたのがかなり印象的という感じで・・・・。後の方たちは良く知らない人ばかり

 

 

Comments (15)
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