銅版画制作の日々

ぼちぼち更新致します。宜しくお願いします!

僕がいない場所◎I am / Jestem

2008-12-02 | 映画:ミニシアター

 

大人は誰も愛してくれない。

11月23日、京都みなみ会館にて鑑賞しました。上映が5日間という短い期間なのが、残念です。こういう作品をこそ、もっと多くの人に観てほしいなあと思うのです。

そこには僕の居る場所がなかった。

ポーランドから世界に投げかける。

現代社会の子供たちの心の孤独。

親から虐○を受けたり、捨てられたりという陰惨な事件は、今ひとつの社会問題となっています。日本でも、本能のままに生きる母親に捨てられた子供たちを描き、大きな注目浴びた是枝裕和監督の「誰も知らない」が国内外で大きな反響を呼び、多くの賞を受賞したのは皆さん、覚えておられると思います。そしてこのお話が実際にあったことだというので、凄い衝撃を受けたことを今も心に残っています。

最近は子供にまつわる事件が、頻繁に起こり、テレビで報道されます。また今日もか!何か慢性化していることに恐ろしいものさえ感じます。

“僕がいない場所”も身勝手な母親の養育放棄によって、ひとり生きていこうと決意する少年の苛酷な生き様を描いています。決して明るい未来があるというものではありません。厳しい現実です。登場する大人たちはそんな少年に、目を背けて見て見ぬふりをしているのが、何か哀しいです。親や大人の愛情を受けてこそ、子供は心豊かな人間に成長していくはずなのに・・・・。観ていて辛いものを感じてなりませんでした。少年はそんな状況の中で、心を閉ざしていきます。大人への不信感なのでしょう。だけど少年がたったひとりで生き抜くというにはやはり限界があることも、この作品は伝えているのだと思いました。

そういえば、以前鑑賞した“この道は母へとつづく”を思い出しました。今回の作品とは随分違い、主人公の少年の未来に希望の持てるものがあって、しかもプラス志向なお話。実話から、映画化されたものでした。多分そのようなケースはほんの僅かでしょう。おそらく今回のような行き場のない子供たちが世界中にたくさんあるのではないか?と思います。そういった意味でこの幼い子供たちの心の孤独を、私たち大人は目を背けてはいけないんだと思うのでした。

STORY

国立の施設に預けられている少年クンデル(ピョトル・ヤギェルスキ)は将来詩人になりたいと思っているが、施設内での反抗的な態度で職員をてこずらし、友だちもできない。一人孤独なクンデルは、意を決意して施設を抜け出す。目指すは母の元だ。森を抜け、列車の網棚に身を潜めて母の笑顔を思い浮かべていた。

ようやく家にたどり着いたクンデルは、ベッドに寝ている母の毛布をはがす。何と横には知らない男と寝ている母の姿があった!母はわが子の久しぶりの姿を喜びながらも、男の愛がないと生きていけないと、クンデルに言う。そんな母の姿を嫌うクンデルは母に噛み付いて塀を越えて姿を消す。

母親役(エディタ・ユゴフスカ

町をさまようクンデルは、顔見知りの不良少年たちに追いかけられるも、振り切って町外れの川べりに打ち捨てられた艀舟を見つけ、そこに身を潜めることにする。船の中には空き缶がたくさん転がり、時々誰かが捨てていく。クンデルはその空き缶を集めて顔見知りのくず鉄屋に持っていくが、鍵がかかっており誰も出てこない。しょうがなくクンデルは町の食堂の調理場をのぞく。ここには以前いたおばあさんが食べ物を恵んでくれたのだ。しかしそのおばあさんは亡くなっていた。

再び母の家に戻ってみるも、悩んだ末階段を降り、地下室へ・・・・。そこで見つけたものは手巻きのオルゴール♪それをもって艀舟に戻る。そのオルゴールを見ながら、自分の赤ん坊の頃を思い出していた。暖かな部屋の中でオルゴールを持って微笑む赤ん坊の自分を。

翌日、もう一度くず鉄屋に行ったクンデルは、空き缶と引き換えに僅かなお金をもらい、食堂へ向かった。クンデルにスープを出したウェイトレスは、お金はいいからと言うが、同情的なほどこしは受けようとせず、テーブルにお金を置いて出て行く。

母が町の人たちと楽しそうに騒いでいる姿を見ながら、一人孤独に打ちひしがれていた。艀舟に戻ったクンデルは身体を丸めて寝ていると、ひとりの少女クレツズカ(アグニェシカ・ナゴジツカ)が現れた。酒の匂いをぷんぷんさせてその少女に、最初はとまどったクンデルだったが、彼女が艀舟のそばにたたずむ裕福な家の子であり、彼女もまた美しく賢い姉に劣等感や誰にも愛されないと思う気持ちを、アルコールで紛らわせていたことを知る。

少女もまた孤独な心を抱えていた。

 実は少女の姉の美しさにクンデルは気になっていた。

いつも船内から少女の家を覗いていたのだ。

クンデルと知り合いになった少女は、学校に行く際、食料を用意してくれた。そんな彼女とクンデルは寂しさを抱えるという同じ気持ちを持つようになり、絆を深めていく。

少女の姉(バジア・シュカルバ)はそんな二人の関係に気づいていたが、見て見ぬふりをしていた。

クンデルは周りの大人たちを冷ややかに見ていた。不信感もあったに違いない。不良少年たちにこの場所も見つかってしまう。

彼は少女に一緒に町を出ようと話すが、少女は返事を濁した。おまけに不良少年をたばねる男が母と関係を持っていることを、男から聞かされる。傷つくクンデルは意を決意して自分の気持ちを伝えるために会いに行く。だが母はクンデルのことより、男が来ないことを心配し、「二度とここに来ないで」と言い放った。

この言葉にクンデルは大きなショックを受ける。

川べりに伸びる木の上から、川に向かって自ら落ちていくのだ。船上でずぶぬれになったクンデルの姿があった・・・・。

傷ついたクンデルは少女に話す。母に嫌われて死のうとしたと・・・・。

涙を見せるクンデルに、少女はこの町から出て行くと約束する。だがこの約束は少女の姉によって邪魔されてしまう。

姉はクンデルのことを電話をかけて知らせる。

結局はまたクンデルは施設へ連れ戻されることに。彼は名前を聞かれるが、答えようとはしなかった。彼はさらに心を閉ざすことになる。

少女に心を開き、クンデルはやっと唯一の心の支えだったのに、それさえ奪われてしまう。哀しい結末である。

主人公クンデルに抜擢されたピョトル・ヤギェルスキ、そして少女役アグニェシカ・ナゴジツカ、いずれもまったくの素人だそうです。しかしその演技は素人とは思えないくらい、自然でリアルなものでした。

先の見えない、希望もない、愛さえ受けることが出来ないなんて・・・・・。何か虚しいです。それが現実なのだと改めて実感した作品でした。

町でシンナーや酒に溺れる不良少年たちも同じく町で見つけた子供たちだそうです。腐敗した状態を鋭く描かれているので、衝撃的です。

追記:この作品も実話の数々を元に脚本を起したものだそうです。

 

監督: ドロタ・ケンジェルザヴスカ

 

 オフィシャル・サイト
http://boku-inai.jp

 

 

 

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする