ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

8 月

2005年08月12日 | 随想録

 沖縄戦、特攻、原爆、8月15日。
 毎年この時期は、人生とか、命とか、あるいは戦争や、自由について語られることが多い。
 また、近年の自衛隊の海外派兵、教科書問題、靖国問題、反日色を強めるアジア諸国などの問題を見聞きするたびに、得体のしれない不安を感じる人も多いのではないだろうか。


 人間にはさまざまな価値観があり、一方的にある特定の意見を否定することはできないとは思うが、それにしても、論理的にどうも妙だと思わざるを得ない考え方もまかり通っているような気もする。


 「日本だけが悪いわけじゃない」「何度謝罪すれば(中・韓は)気が済むのか」「日本はアジアを解放したという側面もある」「日本人なのになぜ日本のことを悪く言うのか」…
 

 日本以外にも暴虐を振るった国があるとしたら、日本のしたことは許されるのか?
 かつて日本人、日本政府の手によって戦争(犯罪)は裁かれたか?
 そもそも日本は侵略されたのか、侵略したのか?
 良いことをしていれば、良くないことの免罪符になり得るのか?その論理でいくと、ヒトラーやポル・ポトだって「良い一面」はあるわけだから…
 日本に批判的な意見をすべて肯定する必要はないと思う。正しく歴史を見ることと、必要以上に自国を悪く言うことは違うと思う。しかし、「できるだけ日本は悪くないことにしよう」という雰囲気に対しては、大きな疑問を持っている。


 一番不安になるのは、自分と違う意見(自分とって都合の悪い意見)だからという理由だけで、相手を徹底的に攻撃する風潮があることだ。
 今叫ばれているのが、「ある方向へ導くための」間違ったナショナリズムでないことを祈りたい。


 ぼくは、本質をきちんと見ることのできる人間でありたいだけなのだ。



<2020年追記>
上記の価値観は、この記事を書いて15年経っても変わっていません。
しかし「日本の暴虐」を非難する人たちが擁護している国が日本と同じことをしていても、その人たちはそれには目をつむって(口を閉ざして)いることについては甚だ疑問を抱いています。
歴史を紐解くと、日本を非難する国が他国を侵略したり、他国で残虐行為をはたらいていたりするのは珍しくない事実です。
平和や反戦を叫ぶことをどこかの国を貶めることに使う人たちこそが、世の中を平和とは反対の方向に導きたがっているんだと思います。
非難されるべきは特定の国でしょうか。
人間の尊厳を破壊するがゆえに戦争を二度と起こしてはならない、というのが平和運動・反戦運動のもともとの主旨だったのではないでしょうか。




 

コメント (2)
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