「人と人が間隔を開ける」という意味で使うソーシャル・ディスタンス(social distance)は、英語を日常的に使う人たちの間では、通じないと言われています。
social distancingとかphysical distance,safe distanceなら通じるようです。
さて、新型コロナウイルス対策として、他の人との間隔を開けることが強調されて、ずいぶん長くなってきました。
そこで、ふと思うのは自分自身という存在と自分の内面との間隔はちゃんととれているかということです。
いま自分がどんな状態かを、まるで他人が見ているかのように、ちょっと離れたところから自分で見つめてみるのです。
自分をいわゆるメタ認知するのです。
何か腹立たしいことや悲しいことがあったとき、冷静に自分を客観的に見てみたら、気持ちが変わることがあります。
私って、あの人のあの言い方に腹を立てていたけど、よく考えてみると、最初の非は私にあったのかもしれない。
腹立たしいとか悲しいというのは、その人の感情です。
この感情が前面に出て、冷静に考えることができないのです。
ところが、自分を少し離れたところから眺めると、感情が離れていき、理性が蘇ってきて、ものごとを見つめ直すことができるのです。
内面の自分を見るというのは、その人の「余裕」とか「ゆとり」または「あそび」があってこそできます。
わたしは、学校教育のなかで、長年中学生と接してきましたが、中学生も年齢が上がると、だんだんと、自身を客観視できるようになります。
じつは、客観的に自分を見つめることができるようになることは、教育的にはとても意味のあることです。
「今までは気がつかなかったけど、過去の自分といまの自分を比べて、これができるようになったね。わたしって成長したんだ」
こんな気づきを手に入れた子に、たくましさを感じたことが、私には何度もありました。
自身への自信を高めた子は、生活や学習への意欲も向上するのです。
内面の自分との距離を開けることを、中学生には伝えたいと思います。