肩書きにこだわる人がいます。
たとえば、「団塊の世代」の人が会社を退職して、地域のボランティア活動に参加するとき、なかには現役のときのような「肩書き」がないことを物足りなく、淋しく思う人がいます。
そこで活動をとりまとめる人が配慮して、退職した人に「第◯班班長」という名刺をもってもらうようにしたら、意欲をもって活動するようになったという話を聞いたことがあります。
おそらく、現役時代は肩書きを持って生きてこられた方かもしれません。
おそらく、現役時代は肩書きを持って生きてこられた方かもしれません。
もともと肩書きがつくと責任が重くなるのが一般的です。
責任は英語のresponsibilityです。
この言葉はresponse(応える) + ability(力・能力)であり、責任とは「あなたをその状況の中で、最適の対応ができる人として任せます」という意味です。
したがって、肩書きを肯定的に捉えるのが望ましいのです。
でも、一方で、肩書きがあるだけで、重く、煩わしく感じる人もやはりいるようです。
詩人で彫刻家の高村光太郎は次の言葉を残しています。
「重いものをみんな捨てると
風のように歩けそうです」(高村光太郎)
捨てるものは物だけとは限りません。
人間関係のしがらみ、肩書き、責任、高すぎる目標などを捨てることで、道が開けることもあります。
でも、一方で、肩書きがあるだけで、重く、煩わしく感じる人もやはりいるようです。
詩人で彫刻家の高村光太郎は次の言葉を残しています。
「重いものをみんな捨てると
風のように歩けそうです」(高村光太郎)
捨てるものは物だけとは限りません。
人間関係のしがらみ、肩書き、責任、高すぎる目標などを捨てることで、道が開けることもあります。
高村光太郎は、父の期待を受けて海外留学しましたが、そこで芸術の道に触れ、帰国後は独自の芸術活動を展開しました。
重荷から解放されることで、芸術の道が開かれたのです。