箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

ハッシュタグが手がかり

2021年10月27日 08時38分00秒 | 教育・子育てあれこれ


ハッシュタグ(#)をつけ、考えや意見を主張する習慣がSNS上で定着しました。

これにより、人がいついつに、どこどこの場所に集まり、ひとつの活動を行うということが減りました。

もちろん新型コロナウイルス感染をさける意味もあり、それがハッシュタグ運動の浸透を加速しています。

昔から、「数はチカラ」と考えられ、署名やデモ行進はその代表的な運動形態でした。

提唱者(リーダー)がいて、それに共鳴する人が集まり、デモ行進をすると、社会的な影響力が備わってきたのでした。

しかし、いまは提唱者はほんの少数でも、極端な場合一人でも、また行進しなくても運動をつくり共鳴者を集めることができる時代に入りました。

その典型が、「東京オリンピックは中止!」というカードをもって京都の界わいに立った高校生の無言の抗議です。

たった一人の高校生の、この「静かな行動」はSNSを通して「拡散」され、15000ほど閲覧されました。

「(高校生なのに)勇気がある」「応援する」といったコメントがSNS上に並びました。

こうなると、「自分を支援してくれる人がいる」という思いやうれしさを抱くことができます。


この例が示すように、ここ20年間ほどでインターネットは、私たちの生活に入り込み、大きな影響を与えるようになったと、わたしはしみじみと思います。

その一方で、場合によっては、思いもよらずネット上で「炎上」して、不特定多数の知らない人から叩かれ、大きなナタで心をえぐり取られがごとく、深く傷つくこわさやリスクも紙一重でひかえています。

もともと、日本社会はわたしが知る限り、自分の子どもの頃の「安保反対」「全学連」の時代のデモの激しさはありましたが、その後はデモに参加する民衆は減り続けてきたと、認識しています。

しかし、いまの若い人は、直接は集合しないが、共感できる意見や考えには、SNSでそれを支持するコメントを寄せ、「運動」に参加することがふつうになっています。

それはたたかれるこわさやリスクよりも、「自分に共感してくれ人がいてくれれば」という他者への希望であり、ときにはある意味での人への信頼であると感じることもあります。