箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

「静かになった電車」から思うこと

2020年12月04日 07時20分00秒 | 教育・子育てあれこれ
電車に乗っていて、最近思うことがあります。

一言でいえば、「静か」なのです。満員電車でも、会話をする人はほとんどおらず、行儀よく静かなのです。

これは、新型コロナウイルス感染防止のため、飛沫が飛ばないように話さないから静かというわけではないのです。

コロナ以前からも、電車の中で人びとは行儀よく、静かでした。

昭和時代の電車を知っている私からすれば、昭和の頃には、電車で泣き止まず「ワーワー」と騒いでいる小さな子はたくさんいました。

親も大声で子供を叱っていました。
騒がしい電車内というのがふつうでした。

そして、周りの人にも、「子どもは泣くものや」という寛容性があったように思います。

でも、今の時代、車内で泣く子も減りました。もし、泣き出すようなことがあれば、親は周りの乗客に申し訳なさそうにしています。

また、電車の中でも、大人同士がけっこう大きな声で世間話をしていました。それがふつうの光景でした。

でも、いまは「電車の中では静かにする」というマナーが徹底されています。


電車だけではありません。

町の中でも、よく似たことがあります。
昭和の時代、町なかはもっとごちゃごちゃしていました。

道にはゴミがいっぱい落ちていました。放置された自転車は、あちらこちらに散乱していました。
通行人どうしが怒鳴りあったり、飲み屋街では、ときにはなぐりあいのケンカも珍しいことではなかったように思い出します。

また個人の家庭でも、町全体でも、衛生的になりました。犬のフンが道に落ちているということも少なくなりました。

でも、いまはスマートに整然とした街並みになっています。

地域でも、かつては子ども同士のケンカは当たり前で、子どもは遊んでいるうちに物を壊してしまうこともよくありました。

もちろん保護者が相手に謝りに行きましたが、相手のほうも、地域の人も「おたがいさまだよ」と許してくれました。

でも、今の時代は、子どもが誰にも迷惑をかけないようにという、強いプレッシャーが、親にかかってきます。

スマートな社会は、そこに当てはまらない人には、たいへん窮屈を強いることになるのだと思います。


そういえば、私の教員時代の35年間でも、中学生の様子は大きく変わりました。

教師になってから20年ほどの間には、中学生の中にはやんちゃな子がたくさんいました。

さまざまな非行や問題行動がしょっちゅうあり、生徒指導をしてきました。

でも、最近では、やんちゃな子は皆無といっていいほどいなくなりました。

教師に逆らう中学生はめったにいません。「きまっていることには逆らわない」という習慣ができ上っているのです。

令和の今の時代、社会全体がスマートになり、ハイレベルの、きれいな社会に変わったのです。

その社会を貫く価値観は「人に迷惑をかけてはいけない」です。

でも、この社会のあり方は、私には少々窮屈に思えます。

いまや日本の社会では、自己主張しない人にはやさしいです。でも自己主張するならば、「出る杭は打つ」とばかりに、容赦なく攻撃の刃が向きやすいのです。

SNSでの炎上、SNSを通じた誹謗中傷、「自粛警察」なども、社会の変化と人々の意識・価値観の変化とともに生じている問題かとも思います。

このように、平成の30年間で、私たちの社会は大きく変化しました。このことをあらためて気がつくのです。


かといって、「昭和はよかった」では問題はすまないのです。

昭和の時代には、昭和の時代としての問題がありました。

地域の人間関係は温かい反面、人を束縛する側面をもっていました。人々は人間関係のしがらみから自由になることを望んだのでした。

そして、自由になった今、「みんな同じであれ、行儀よく、人に迷惑を変えずに」という令和の「窮屈さ」にとまどう人もいるのです。

昭和に戻るのではなく、令和時代のこの「スマートな行儀のよい社会」のなかで、できることをやっていくのです。

人が人として尊厳を保ち、ゆるやかな人間関係のなかで、多様な個人の行動や生き方(多様性)が許される社会を志向していくのです。


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