10月2日のわたしのブログで、関西大学の学生がコロナ禍のもとでつくった川柳を紹介しました。
繋がらぬ ネット回線 人づきあい
忘れてる 提出期限と 通学路
二度寝して また二度寝しても 間に合った
帰省して いない下宿に 金払う
オンライン授業が多く、対面授業が少なく、大学のキャンパスに入れない大学生の思いをうまく、巧みに表現していました。
このような制約の多い大学生活の不満や不安をつづった川柳が多かったですが、一方では次のような川柳もありました。
向き合った コロナの期間 無駄じゃない
自粛中 やりたいことが 見つかった
家にいて、自分自身のことや自分の将来について考えることができたという大学生もいます。
同じように、自粛期間中が無駄でなかったという人は、大学生に限らずアーティストの中にもいたようです。
ライブ会場が閉鎖され、ライブやコンサートができない間、「ひたすらこもって曲を作っていました」、「自分の音楽をずっと考えていた」とアーティストが言っているのを、先日聞きました。
「3密」という言葉が今年になり、急に現れました。それまでは学校でも社会でも、友だちや仲間と気兼ねなく過ごす機会や時間は十分にありました。
でも、いまは時間と空間につねに気を配り、人との距離を考え接することが必要となったのでした。
それは、窮屈でしんどい思いもしますが、その反面で「一人になる時間をもちやすくなった」という側面があります。
一人になると、今に日本人の多くがはまっている「みんなと同じようにする」という同調圧力から解放されます。
必要以上に周りと合わせなくてもよくなりました。自分のやりたいことをする時間も持てます。
やりたいことといっても、それはスマホのゲームやSNSに没頭するという意味ではないです。
自分自身のことを見つめることです。自分の夢とは何か、そのために何を学んだらいいかなど、自分の生き方について考えるという意味です。
アーティストなら、作詞に没頭するとか、自分の曲作りを極めるとか、自分の音楽はどこへ向いていくのか、絵画の作品づくりに集中するとかです。
人は、人といっしょに過ごすことは大切であり、いっしょに働いたり、活動したりすることで社会生活を送ります。
人との関係の中で生きているといっても言い過ぎではないです。
ただ、自分の生き方や人生の主人公は自分自身です。「孤立」するのではなく、時には「孤独」になり、自分の時間を大切にする中で、自分の感じ方(感性)や考え方(思考)、生き方(人生)を考えることができるのです。
わたしは、全校朝礼の時や個別に話す機会で、中学生によく話していました。
「中学生は、孤立するのはよくないが、孤独になることは大切です」と。
思索して、自己を見つめ、メタ認知を働かせ、他者が見るように客観的に自己を見つめることができるのは孤独になったときです。
12月もコロナ禍が続き、国全体が沈滞し、閉塞感が漂いネガティブな気持ちになりがちです。
でも、コロナ禍が与えてくれるプラスの面もあります。
思索して、自己を見つめ、メタ認知を働かせ、他者が見るように客観的に自己を見つめることができるのは孤独になったときです。
12月もコロナ禍が続き、国全体が沈滞し、閉塞感が漂いネガティブな気持ちになりがちです。
でも、コロナ禍が与えてくれるプラスの面もあります。
「新型コロナウイルスが自分を見つめる機会を与えてくれた」とポジティブにとらえるのもいいのではないか。こう思います。
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