箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

がまんではない

2020年12月05日 08時02分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
思春期の子どもの成長を考慮したとき、親が子どもに口や手を出しすぎることを控えるべきです。 
 
そのことは、以前から何度もブログの中で書いています。 
 
子どもが自分の直面する問題を、自分の課題として引き受け、自分で解決をしようとすることで、子どもは自立に向かうことができるからです。 
 
このとき、親には「待つ」という態度が求められます。 
 
「待つことが大事なのはわかるのですが、でも、子どもをみているとそのままにしておけないのです。すぐ手を出してしまうのです。」 
 
こう、話される親御さんもいます。 
 
これは、「待つ」ことが、親御さんが「がまんすること」になっている場合が多いのではないでしょうか。 
 
子どもが悩んだり、苦しんだりしているのをみると、がまんしきれず、手を出してしまう。 
 
こうなると「待つ」こと=がまんになってしまいます。 
 
しかし、「待つ」ことは「がまんする」ことではないのです。 
 
「この子はこの問題に対して、ここまではできる子だ。だから信じて任せている」という状態です。 
 
このことはできるのだから、手を出さずに任せて見守っている。
 
これは端からを見れば、待っているように見えるかもしれませんが、そうではなく、子どもを認めていることなのです。 
 
ただし、信じて任せることができるためには、おとなが平素から子どもをよくみていて、この子には何ができて、何ができないかを知っている必要があります。 
 
この子にはこれができると知っていても、この問題はどうだろうか、あの子の力で大丈夫だろうかと親が思うときもあります。 
 
そんなとき、確固たる確信がもてなくても信じて任せてみるのは、日頃から子どもの様子をよくみているからできることなのです。  
 
ただし、この「待つ」ことは、どんな場合でも頑なに徹底して貫き通さなければならないというものではありません。 
 
子どもが、自分だけで解決しようとしてみたが、ちょっと無理。親や学校の先生など、大人に助けてほしいという場合もあります。 
 
そのとき、子どもはどうしていいかわからない状況にはまっています。 
 
いまの子どもの力では対応できない壁が立ちふさがっているときは、大人が助けることも必要です。  


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