最近は、人里でシカやイノシシを見かけることが、ほんとうに多くなりました。
わたしの家のまわりでも、シカやイノシシが出没します。
シカは若木の新芽を好んで食べます。イノシシは雑食性で地面を掘り起こしミミズを食べたり、畑のさつまいもなど、何でも食べます。
こうなると、シカやイノシシは人間にとっての「害獣」になります。
さて、小学校4年生の国語の教科書には『ごんぎつね』という物語があります。
ずっと前から教科書では取り扱っている、不朽の名作だと、わたしは思います。
いつも独りでいるごんぎつねのごんは、人里に出ては人にいたずらばかりをしていました。
この日も兵十(へいじゅう)が捕ったウナギの入ったビクをひっくりかえして、ウナギを逃したりしました。
ところが、村人である兵十も母をなくし、独りぼっちになっていたので、ウナギは兵十が母に食べさせたかったのだと、ごんは知ります。
今までの悪行を償おうと、ごんは毎日栗の実を兵十の家まで届けます。
兵十は栗を届けてくれるのは、神様のしわざだと思い、ごんが運んでくれていたとは思いもよりませんでした。
今日も栗を届けにきましたが、家に入ったところを兵十に見つかります。
「この前のウナギといい、またイタズラをしにきたのか」。
兵十は火縄銃を取り出して、ごんを撃ちます。
ごんはバタっと倒れ、口元には栗が落ちていました。
それをみた兵十はつぶやきます。
「栗を毎日運んでくれていたのはごん、お前だったのか」
これで物語は終わります。
お互いに「独り」である者どうしが最後までわかりあえなかったという、なんとも悲しい結末です。
ごんは善行が理解されず、害獣として扱われ、最後は人間により、殺されてしまう。
とことん人と動物がわかりあうことができず、動物は、そのいのちをもって、やっと人は理解にたどりつく。
出没するシカやイノシシは、わたしから見れば害獣です。
でも、シカやイノシシは人を困らせてやろうとは思わず、ただいのちをつなぐためけん命に生きているだけなのです。
それが、人間社会というフィルターを通してみたとき、「害獣」の扱いを受ける。
『ごんぎつね』は、今の時代も色あせず、というか、これほど人里に姿をあらわす現在にこそ、そのテーマは鮮やかに色づき出します。
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