クラスに30人から40人ほどの生徒がいれば、おとなしい子や目立たない子もいます。
教師はふつう、にぎやかな子や社交的な生徒に注意が向きます。
そのような生徒は、自分から人間関係を広げることに長けており、ユーモアがあり、周りを和ませることが多く、教師からの注目も集めやすいのです。
ただし、ここで注意しておきたいのは、「目立たない子」というのは、どこに行っても目立たない人ではありません。
教師の子どもを見る視点が、元気でにぎやかな子、自主的に活動する子という点に注意力が向いているからであり、その教師のフィルターを通してみたときに「目立たない」というだけです。
つまり、目立たない子がいるのではなく、教師の子どもを見る目が一方に偏っているので、目立たない子をつくりだしているのです。
そのことを踏まえておいたうえで、目立たない子がクラスで輝くようにするにはどうすればいいかを考えます。
とかく、目立たない子は、教師や周りの子がなんの働きかけもしないと、「地味」とか「よく忘れられる」とか「存在感が薄い」と自分のことをとらえがちです。
これが高じてくると、自分への自信が揺らぎ出し、自分の価値を見失いがちになります。
このようにならないためにも、学級担任は意識してその子に話しかけます。
たとえば、プリントを配るときでも、手渡しで意識して「○○さん、はい」と言って渡す。「おはよう、○○さん」、「○○さんの掃除のあとは、いつもきれいになるね。ありがとう」のように、名前を呼ぶのです。
些細なことかもしれませんが、人間は名前を付けることで、命が吹き込まれるのです。だから、名前を付けることを「命名」と呼ぶのです。
その名前を呼ぶことで、教師とその生徒の間の距離はぐんと縮まります。
また、クラスでの生徒たちのものの見方は、教師やおとなの態度や価値観に影響されます。
教師が、アクティブでリーダー性のある生徒ばかりをクラスの中心に置くならば、そうでない子は価値のない子としてクラスメートがとらえる、目立たない子が輝くことはありません。
しかし、人間の価値はそのような活発さとかリーダー性だけできまるものではありません。
じっと人の話を聴く、忘れ物をしない、最後までものごとをやりとげる、人が好んでやらないことでもする、登校途中に立ち止まり道端の花に心を傾ける・・・。
このような例を取り上げ、学級担任が、人にはさまざまなよさがあることをクラスの生徒に本音で話すことで、それらを価値づける必要があります。
それを続けていくと、クラスが多様な価値を受け入れる集団に成長していきます。
そのようなクラスでは、目立たない子もみんなと意見がちがっても言えるようになったります。
少しずつチャレンジすることができるようになります。
表情も明るくなってきたりするものです。
目立たない子の存在感を高めることは、学級担任がしなければならない責任です。
目立つ子ばかりにかかわっていては、なんのための学級担任でしょうか。どの子のことも理解して個と集団を伸ばしていくのが教師です。
ただし、経験の少ない教師に覚えておいてほしいのは、そのような教師の指導やクラスづくりは、目立たない子を輝かせるかかわりです。
クラスが終わり、違う環境になって、スポットライトを当ててくれる人たちがいなくなると、また目立たない子に戻ってしまうかもしれません。
大切なことは、その子が自分から光を発して、自分から輝こうとするように変えていくことだと覚えていてほしいのです。
目立たない子が自分の存在に価値を見つけ、自信をもち他者とかかわりあっていくことこそ、クラスづくりでめざすことです。
また、現在進行中のオンライン授業やリモートでの通話では、このような集団の成長を通じて、個々の子どもを成長させるのは難しいのです。
学校の教育活動や授業の存在意義は、ここにもあると、わたしは考えます。
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