最近、国内で外国人が増え、接する機会が増えています。
それを背景に、乗り物のアナウンスが日本語とともに、英語などの外国語でも放送されることが増えてきました。
そのアナウンスについて、
飛行機に乗ると、CAの機内アナウンスはおきまりの「Ladies and gentleman・・・」から始まりました。
でも、今年の秋から日本航空JALでは、性別を前提としない「Good morning ,everyone」に変更しました。
また、国内では、家庭をもち妻である人が、家族外の人と話しているとき、自分のパートナーのことを「うちの主人が」という慣習は今でも残っています。
その会話には、男が一家の主(あるじ)であるという固定観念に基づく言葉としての「主人」が使われます。
一方で、「主人」のかわりに「夫」を使う人も最近ふえてきました。
また、「うちの嫁さんは」という「嫁」は書いて字のごとく、「女は家にいるもの」という固定観念に由来しています。
でも、心得た人は、「うちの妻」とか「わたしのつれあい」と言います。
このような変更は、とるにたらない小さなことかもしれません。
でも、おなじみの言い回しを変更することは、性のあり方をきめつけたコミュニケーションの方法を見直すきっかけになります。
人びとが言動や言葉を変え続けると、意識が変わることにつながります。
つまり、行動の定式化は、意識の変容になるのです。
学校でも、教師が児童生徒のことを、名前を呼び捨てにするのは問題外だとしても、「くん」「さん」と呼び分けすることを見直す動きがあります。
また、スカートにするかズボンにするかで、制服を選択できるようにする学校も出てきています。
きめつけや偏見は、じつは、どこにでもあり、私たちの日常生活のなかに組み込まれていて、知らず知らずのうちに使ってしまいます。
でも、それにより、傷つく当事者がいます。
そこから抜け出すためには、何げなく使っている言葉や従っている習慣を意識的に変えてみる、小さな行動や工夫を積み重ねることが効果的だと思います。
学校の中で、教職員が行動を変えないと、児童生徒は固定化したものの見方、考え方しかできないままなのです。
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