私は以前教員の頃は、担任しているクラスの女子生徒が髪の毛をカットして登校してきたときに、ふつうに声をかけていました。
「髪の毛を切ったんやね」
「はい」
さらに突っ込んで
「何かあったの?」
「いいえ。長かったら部活で暑いから」
「あっ、そうやね」
こんなたわいもない会話でしたが、言われる側もまんざらでなく、「先生は私のことを気にかけてくれている」と思ったようです。
しかし時代が変わり、職場で今、同僚の女性が髪の毛をショートにしてきても、わたしは何も言いません。
身体的特徴で人を評価するのは、今の時代では
ルッキズム(=外見至上主義)に根付く問題発言につながることがあり、受け手がどう思うかに敏感になるからです。
そんなときです。先日職場の女性が髪をかなりカットしてきました。
もちろん、それに言及はしませんでしたが、気にはなります。
そうしていると、同じ職場の別の女性と話しているのを、傍で聞いていてカットした理由がわかりました。
「こんな時代(コロナ禍で制限がいろいろかかり、気が滅入る)から、自分から何かかえてみようとして」ということでした。
わたしは「なるほど」と思い、深く納得したのでした。
コロナ災禍の中で生活するとき、私たちはつい周りが変わることを求めがちです。
ワクチン接種を速やかに準備してよ。
保健所は早く連絡をくれないと。
いつまで営業を制限するんだ。
・・・・・・
このように、私たちは周りが変わることばかり求めていることに気がつきます。
変わることのできない自分を置いておき、変わらない状況ばかりに目を向けていることが多いのです。
そんな中にあって、自分が変わるという方法をとった彼女に、大事なことを教えられた。
そう感じたのでした。
そんな中にあって、自分が変わるという方法をとった彼女に、大事なことを教えられた。
そう感じたのでした。
新型コロナウイルス感染症は、ここ1年半ほどの間に、私たちの行動や考え方に大きな影響を与えてきました。
もし、このコロナ災禍が収束したとしても、行動や考え方がコロナ前とまったく同じようには戻れないのではないかと思います。
自分から変わろうと、なんでもいいので、一歩踏み出すのがいいのだと考えます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます