新型コロナウイルスの流行に伴い、緊急事態宣言が出されていました。
緊急事態宣言は、多くの県で解除されましたが、実質的には人びとの意識は緊急事態であることにちがいはありません。
この状況下では、「国難だ」とか「いまは非常時」だと言われます。「非常時」という言葉は第二次世界大戦にも使われました。
「非常時だから自粛しなさい」という言葉は、一定の「権威」をもって個人に我慢や協力を強いることになります。
時間を守って開店しているのに、店に嫌がらせの落書がある。
自粛していない人や自粛していないと思われる人に対しては、ネット上に非難や中傷の声がたくさんあふれています。
そのとき後ろ盾にする言葉が「いまは非常時」です。
もちろん自粛要請に対しては、協力しなければ新型コロナウイル感染拡大がとまらないので自粛すべきです。
ただ、いまの言葉の使い方や考え方で気になるのは、「いまは非常時だ。映画や演劇、コンサート、ライブハウス、お笑い、歌舞伎、美術展などの文化は二番手・三番手だ」という点です。
また、たとえば教育に関しては、一定程度その重要性がみんなに認識されているので、休校による学校教育への影響に対しては多くの人が理解と関心を示します。
つまり、文化と教育はその大切さという点で、人びとの意識の段差があるのです。
そもそも、多くの人が人の命はいちばん大切だとすることに異論はないでしょう。
しかし、命の次に大切なものは何かとなると二番手にくるものは、人それぞれで異なるのです。
ある人は、「子どもの教育だ」という人もいれば、「仕事だ」、「経済の安定だ」という人もいます。「音楽こそ大切」、「ライブだ」、「ファッションだ」、「映画だ」、「歌舞伎だ」、「絵画を観ること」「旅行だ」というように、それぞれ人によって違うのです。
だから、それぞれの人が大切にしているものを否定せず、尊重し合うことが必要になります。
ところが、日本の社会は伝統的に、「人の和」とか「絆」や「一体感」「一致団結」という価値を重んじる傾向があります。
それらにあてはまらないこと、はみだすことをよしとしないのです。
最近、国内で外国人もふえてきて、「グローバル化とは、ちがいや多様性を認めあうこと」と共通理解されています。
しかし「非常時」という場合には、「みんなが同じでなければ」という伝統的価値観が、日本の場合、ムクムクと起き上がってくるのです。
新型コロナウイルスは、異なる考え方、習慣、行動、価値観に関する日本社会の課題をあぶり出しています。
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