静岡県知事選で応援演説をした外務大臣が、女性の支持者が集まる前で、「このかたを、私たち女性がうまずして(=当選させずして)何が女性でしょうか」と発言したことが問題になっています。
批判を受け、本人は「真意と違う形で受け止められる可能性がある」と発言を撤回しました。
しかし、「女性」が主語であり、「うまずして何が女性でしょうか」と言っているのだから、女性とは「出産」するものという観点を特化した表現です。
こういう感覚を心の底でもっているという事実が発言から明らかになったのでしょう。
悪意がなかったのに、発言の一部分を切り取られりと、真意とちがうように受け止められると弁明されています。
でも大事なことは悪意の有無にこだわることではなく、その発言を聞いていイヤと思う人がいるという現状にどう向き合うのかということが問われているのです。
その向き合い方のないまま、国会議員が問題発言を繰り返すことが多いのです。
そして、「真意と違う形で受け止められる可能性がある」「傷つけるつもりはなかったが」という弁解をするのですが、発言の問題はその点ではないのです。
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