箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

海と山の関係

2021年07月16日 11時41分00秒 | 教育・子育てあれこれ

豊かな森には、枯葉が積もってできた堆積層があります。

この層には多くの栄養分が含まれていて、水を蓄える役割もあり、海へ土砂が流れ込むのを防ぎます。

そして、森の栄養分は海の生き物を育てます。自然界はたがいに結びつき、助け合っています。

そのことを表した詩があります。
「森は海の恋人 森は海を、海は森を恋いながら悠久の愛を紡ぎゆく」(畠山重篤)

外国人の強制退去と日本で教育を受ける権利

2021年07月16日 09時39分00秒 | 教育・子育てあれこれ



日本に住む外国人にとって「在留資格」というものは大き意味をもっています。

在留資格がないと、働くことも、好きに移動することもままなりません。

かりに日本で育ち、日本語を習得し、日本の生活習慣を身につけている人も在留資格がないと「不法在留」となります。

日本の中には、いま、外国人であり、出身国同士で集まる人たちがコミュニティを形成しています。

とくにトルコ、シリア、イラクのどの中東地域に暮らしていた少数民族は難民として日本にやってきます。

日本政府に難民としての保護を求めますが、難民認定されず、在留資格が得られません。

在留資格のない外国人は、働くことも許されず、健康保険の加入も認められないのです。

在留資格がないと、多くの場合、国外退去処分を受け、本国に返されます。退去しなければ入管施設に収容されることになります。

さらに、学校も在留資格がないことを知れば、その子どもが入学するのを拒否する場合が多いのです。

でも在留資格がなくても、教育を受けることは法的に問題はないのです。

ここで教育と入管管理局のせめぎ合いが起こります。

この場合、法的に問題はないのだから、学校が子どもにとっての「聖域」となり、退去を命じる入管管理局が学校に入ることを拒否できます。

国際人権規約が憲法に次ぐ上位法となるので、法律上、教育公務員は、子どもが教育を受ける権利を守るという職務を優先させることができるのです。

人を信じる力をはぐくむ

2021年07月15日 09時08分00秒 | 教育・子育てあれこれ



赤ちゃんの頃、お腹がすいて泣けば、親がミルクを与えます。
おむつが濡れて泣けば、親やおとなが交換してくれます。
家の中にいて退屈して泣けば、外へ連れ出して散歩してくれます。

泣いたら、まわりのおとなが何か対応してくれる。
こう信じるから、赤ちゃんは泣くのです。


だから親子の間には強い信頼関係が生まれるのです。

そして、子どもは大きくなるにしたがって、信頼の相手は保育園・幼稚園・学校の先生、友だちへと広がっていきます。

人が人と交流したり、つきあったり、交わることができる人に共通しているのは、根底に「人を信じる力」をもっているということでないかと思います。

こんなふうに言えば、「いまの世の中、こわい人もいるよ。安易に人を信じるのも考えものだよ」という人もいます。

子どもを誘拐したり、危害を加える人が起こす事件が起こると、そう忠告する声も出てきます。

でも、それは心配にはいたらないと、わたしは思います。
人を信じる力は、信じられない人を見分ける力でもあるのです。

逆に、信じる力の弱い人ほど、信じてはいけない人を信じてしまうのかもしれません。

そして、その「人を信じる力」の源流は、親子の信頼関係だと思います。

その源流は下流へ行くほど、水の量が増え、いずれは大きな河になります。

花のようにひたむきに

2021年07月14日 12時10分00秒 | エッセイ
最近のハイビスカスは、赤色、黄色、ピンクなどさまざまな色の花が出回っています。

それでも、定番はやはり赤色の花ではないでしょうか。

人は花を見てなぜ美しいと思うのでしょうか。

それは、花がただひたすらに、ひたむきに咲いているからです。

人も花のように生きていきたいと思います。

花はなぜ美しいのか。それは一筋の気持ちで咲いているから。(八木重吉)

就活への影響 コロナ禍

2021年07月14日 07時23分00秒 | 教育・子育てあれこれ

今回のコロナ渦は大学生の就職活動に大きな影響を与えました。

コロナ渦で大きな打撃を受けた航空業界、ホテル業界、旅行・運輸業界、ホテル業界、飲食業界、ブライダル業界の多くが2022年の春の採用をおさえたり、見送ったりしました。

学生の中には、それらの業界を志望していた人も多く、たとえば航空業界を子どもの頃からめざしていた学生は、英語力に磨きをかけ、就職戦線に臨みました。

しかし、募集枠がほとんどなく、航空業界には就けませんでした。

また、コロナ渦は就活学生のとりくみ態度の二極化を生み出しました。

志望する業界が採用を抑制したり、見送ったりする動きに素早く対応して、他業界に方向がえした学生がいます。

その一方で、動きが遅く、大学にもコロナ渦で行けず、自宅にじっといて就活どころでない塞ぎ込んだ学生もいると聞きます。

大学の就活指導をするセンターが、電話をしても出ない学生がいたり、連絡がつきセンターへ来てもらい面談をすると、専門学校へ入学し、1,2年してから就活をするという学生もいます。

コロナ渦は、このように就活生の将来にも影を落としています。「不運だった」ではすまされないひずみが生まれています。

それにしても、現代はほんとうに何が起こるかわからない不確実な時代です。令和の元号になって大騒ぎしていたとき、誰がこの迫り来るコロナ渦を想像できたでしょうか。

インバウンドで沸く大阪ミナミは、街から外国人観光客が消えました。いまや地価が大きく下落しています。

「観光立国」とまで言われた頃とは打って変わったような激変です。

この不確実な時代を、いまの小中学生が生きていくようになることに思いを寄せると、教育関係者としては、「将来」とか「未来」、「夢」という言葉を使うのもはばかることもあります。

それでも、変わらないのは人と人のつながりであると考えます。学校教育では、一人ひとりの学力や力を高めることと人とつながることを教えたいのです。


一人になる時間をもつ中学生

2021年07月13日 07時16分00秒 | 教育・子育てあれこれ
人というものは、やっかいな存在です。

人一人の心の中には、たくさんの他者がいます。

あの人にあんなひどいことを言われたのは、わたしのことがきらいだからだ。

私って、あのチームに必要でないのかもしれない。

あの人のせいで、私がこんなに困ることになった。

私は、何度か中学生に、「ときには、孤独になりなさい」と、言ってきました。

それは、孤独になり、自分を見つめて、客観的に眺めると、自分の変化や成長がわかるからだと言ってきました。

もう一つは、雑多な思いから離れ、静かな時間を過ごすことで、無心になることができるからです。

つまり、人と比べて一喜一憂するのではなく、妄想から離れることが必要だからです。

そうすると、心はネガティブな方向へ傾かないのです。

ただし、無心になったからといって、悩みがなくなるのではないでしょう。

ただ、何かあった時の、気持ちや心の切り替えが早くなります。

平常心に戻りやすくなるのです。

こんな体験を積んでいき、中学生はおとなになっていきます。

そして、孤独から離れ、また人の輪の中に戻ることができるのです。




子ども食堂のいま

2021年07月12日 07時18分00秒 | 教育・子育てあれこれ


いまの日本では、子どもの貧困が進行しています。

それを示すのは、相対的貧困率であり、世帯の所得が日本の全世帯の所得の中央値の半分に満たない家庭の比率です。

2020年では13.5%でしたので、子どもの7人に一人が貧困状態にあると言われています。

地域の子どもに無料または安く食事を提供する子ども食堂は、大阪府内だけでも400カ所以上あります。

その多くは、貧困対策としてNPO法人や地域住民で運営されていて、地域コミュニティのなかの子どもの居場所としての役割を果たしています。

子ども食堂は食事を提供するだけでなく、学校に通えていない不登校の子どもが集まっていっしょに学習する活動を行っている場合もあります。

多くは大人が食事を作りますが、なかには子どもたちでメニューを考え、作る場合もあります。

新型コロナウイルス感染防止のため、子ども食堂を開かず、週に数回お弁当を配っているところもあります。

子ども食堂は、地域の特性に応じた活動をしています。

生活保護率が高い地域では、子どもだけでなく、家庭を地域で支えています。

飲食店が多い地域では、界わいの飲食店で働く外国人が多いこともあり、子ども食堂を利用する子の多くは外国につながる子どもたちです。

コロナ渦が長期化し、経済的に困窮する外国人家庭が急増しています。

貧困の問題は、個人の努力がたりないから起こっているのではありません。社会のしくみが生み出している構造的な問題です。

そこで、大阪のコープ(生活協同組合)は宅配で余った食材を、子ども食堂に無料で配達しています。

地下鉄の駅から地上へ出ると、あいにく雨が・・・。
おばちゃんが近づいてきて、100均のカサを差し出し、「このカサもっていき!」。

大阪では、「困っているときは助けなあかん!」「ほっとけへんで」という精神が根っこのところでは健在なのです。

「男らしさ」にもがく男性の今

2021年07月11日 07時30分00秒 | 教育・子育てあれこれ


「女の子らしくしなさい」という言葉は、以前の日本社会では子育てをする家庭でふつうに使われていました。

「もっと女の子らしい格好をしなさい」

女の子らしく、おしとやかにするのよ」

「この色の服の方が女の子らしいよね」・・・・・・・

ランドセルの色は、赤色が女の子の色と決まっていました。

それが固定的なものの見方・考え方(ジェンダー)につながるものとして、日本では21世紀になり、ようやく世間で広く認識され出しました。

だから、いまは上のような日常の会話に違和感をもつ人が増えてきています。


その一方で、どちらかというと女子よりも問題にされにくいのが「男らしさ」という概念です。

男の子でしょう。めそめそ泣かない」

男らしく正々堂々としていなさい」

男は黙って○○ビール」(1970年のビール会社のCM)

昭和の当時は、このような言葉に違和感をもつ人はほとんどおらず、当たり前のように人びとは使っていました。

この「男らしさ」という価値観は、昔の社会や日本こ企業社会を観念的に支えてきたと言ってもいいでしょう。
平成の時代に入るとビタミン飲料のCMがはやり、高らかにうたう歌が流れ、「モーレツ社員」がもてはやされました。

男は競争社会で勝者になり、出世するべきだ。だから、弱音をはかない。これも「男らしさ」というジェンダーの例です。

このようなジェンダーに根付く価値判断や意識に、今は変化が生まれています。

たとえば、昔は許されなかった女性が秋祭りの神輿に乗る習慣が今は許される地域も増えてきました。

でも、男性がお人形のコレクションをしていると聞いて受け入れることができない人は多いのではないでしょうか。

女性のジェンダーからの脱却と男性のそれでは、男性の方が,見方によってはハードルが高いとも言えます。

男性の社会では、今の時代、出世して社会的に評価されるというような「男らしさ」を発揮しない・できないで苦しむ男性が増えてきています。

たとえば、就活の面接時に、男性の大学生は今も残存する「男らしい」働き方を会社から求められることに疑問を抱いたり、押しつけと考える人が増えています。

日本の社会では、男女の格差は大きく、女性の地位を向上させるのは重要な課題です。女性を抑圧するプレッシャーから解放されるべきです。

しかし、男性同士の中にも、「強い男」が「弱い男」を支配する構造が根強く残っており、男性の生きづらさをなくすようにしなければ、いま声高に叫ばれる真のジェンダー平等は実現しないと思います。

昭和、平成に続く令和の時代にあって、日本でこの問題に取り組まないと、多様性社会や外国人労働者との共生という問題も解消に向かっていかないのです。

激しいしかり方はよくない

2021年07月10日 07時57分00秒 | 教育・子育てあれこれ


学校の生徒の中には、先生がしからなければならないことをする生徒もいます。

厳しい口調で叱りつけます。

「わたしは生徒をしかりたくてしかっているのではない。しかることがあるから、しかるのだ。」

教師は、そのように言います。

しかし、この場合の教師は、生徒が先に変わることを要求しています。

でも、変わるのは,先に教師の方です。

大人が子どもより先に変わる。これが教育の鉄則です。未熟な生徒より大人の方が,先に変わることができるからです。

家庭ではどうでしょうか。
わが子をしかりたくてしかっている親は,まずいないと思います。

そして、多くの親は「しからずに育てることはできない」と考えています。

事実、子どもはしかられるような行動をします。

そうなると親は、「わが子がしかられるようなことをしなければ、わたしもしからずにすむのに」と考えます。

ここでちょっと考えてみてください。

子どもに先に変わってもらおうと要求しています。

でも、変わるのは親の方です。

親がわが子をしからなくなれば、子どもはしかられるような行動を減らし始めます。でも、しかり続けていたら、子どもはしかられるような行動をやめません。

考えてみてください。

1日に何回もしかかれ、どなられると、自尊心は深く傷つき、屈辱感だけが残り、劣等感を植えつけられます。

そうではなく、「こんなことするのは、よくないね」「こうしたらどうかな」とふつうに言えばいいのです。

つまり、怒鳴ったり、力を誇示したり、,命令する必要はまったくと言っていいほどないのです。

真の親は、わが子の欠点や短所をののしるようなことは、ぜったいにしません。

冷静になって考えてみると、わが子のいいところが見つかります。

子どもを支える大学生

2021年07月09日 05時37分00秒 | 教育・子育てあれこれ


いま、大学生がボランティアに取り組むNPO法人の活動が注目を集めています。

ボランティア団体のもとにボランティア希望の大学生が登録し、小中高校生の学習支援や野外活動に従事します。

学生は生活困窮世帯の子どもへの学習支援として、勉強を教えます。また、放課後の居場所となり、子どもをサポートします。

なかには、自治体(市町村教育委員会)から事業を受託する場合もあり、たとえば学校に来にくい不登校の子への学習支援として、学校の一室を借りたり、なかには家庭へ出向き勉強を教え、登校復帰を支援します。

教師ではなく、学生が学習支援をするメリットは、子どもにとっての身近なロール・モデルとなるおとなになり得ることだと、私は考えています。

生活困窮家庭の子どもや家庭環境の厳しい子は、将来の展望が描きにくく、その現状の中で立ちすくんでいる場合がよくあります。

大学生は、「わたしもこうすれば大学生になれる」という近未来の目標を示すことができるのです。

学生は、その子どもたちと年齢も近いからこそ、子どもにすぐ先の将来像を示すことができるのであり、これは教師にはできにくいことなのです。

阪神地域のあるNPO法人の場合、学生の登録数は500人にのぼり、学生はキャンプや野外遊び、スポーツなどさまざまな行事を企画し、NPO本体がそれをサポートしています。

学生は企画した以上、運営をすすめ、安全に行われるよう責任を負うようになります。

たとえば、野外の活動を運営するなら、熱中症対策も万全に計画に盛り込み、事故を防止する対策もついてきます。

これらのボランティアの学生は、大学当局から言われてボランティア活動をしているのではないのです。文字どおり、自発的に課題に取り組みたいと考え、活動しています。

つまり、自分の意思で決定し、選んだことにチャレンジして、社会に主体的にかかわろうとしているのです。

この点で、この活動にかかわる学生は、まだ社会には出ていないかもしれないが、「社会人」であるのです。

教育は、学校の教員の専売特許のように捉えられがちですが、けっしてそうではありません。

東北地震で家や家族を失った子どもたちの学習支援にかかわり、励まし、勇気づけ、元気づけるために果たしたボランティア学生の役割は大きかったのです。

教員でなくても、真摯に子どもと向き合い、子どもの悩みに共感し、寄り添い、なんとかその子たちが自立できるように、「伴走型」の活動している人たちがいることを、私たちは知っておきたいと思います。

「ありがとう」と言い合える家族関係

2021年07月08日 06時33分00秒 | 教育・子育てあれこれ


「ありがとう」という言葉は、人間関係を良好に保つのに、大切な言葉です。

うちの娘は、車で送ったり、迎えたりしたあと、降りるときに必ずと言っていいほど「ありがとう」と言います。

もう成人していますが、自然にその言葉を適切に使える子になってくれたという点で、うれしく思います。

子育てにおいても、「ありがとう」と言える子になってほしいという考えで、子どもが小さいうちから「ありがとう」というように、親がしつける親御さんは多いと思います。

ただし、無理やり言わせることと,素直に言えるように育てることは、ちょっとちがうと私は思います。

「ありがとう」が自然に口から出てくるようになるのが理想です。

そのためには、家族の普段の会話が重要だと思います。

お父さんが、ふだんから「ありがとう」とお母さんに言っている。お母さんがふつうに「ありがとう」と言っている。

このような周囲の大人のやりとりを子どもは聞いて、それをまねして言葉を覚えていきます。

「もう、うちの子は中学生だから,手遅れだ」ということはないと思います。

思春期は、人と出会い直しをする時期でもあります。第一、「ありがとう」と言われていやな思いをする子はいません。

自分のことにお母さんやお父さんは、ありがたいと思ってくれている。そうだったのか。それにふたりの間でも「ありがとう」と言っているじゃないか。

その積み重ねは、自分で考えて、自分も「ありがとう」と言ってみようという気持ちにさせてくれます。

また、私にも思い当たるふしはあるのですが、「ありがとう」は言っているが、「ごめんなさい」と言いあえる家庭は少ないかもしれません。

謝ることが、自分の非を認めるようで言えないという人もいるでしょう。でも逆に「いいよ」とか「大丈夫」とか言われるとホッとします。

「ありがとう」「ごめんなさい」を、ふつうに言いあえる家族関係を築いていきたいのです。

基礎基本をおろそかにしない

2021年07月07日 06時56分00秒 | 教育・子育てあれこれ


今の時代、日本の学校の学習では、知識も大切ですが、その知識を活用する学力に重きが置かれています。
その活用力は社会で将来、子どもたちが生きていくのに必要となります。

そのことはその通りであるし、異論を挟むつもりはありません。

ただし、活用力にだけ焦点を当てることで、知識を軽視した授業になっているのなら、それは問題だと考えます。

じっさい、大学入試関係者が言うには、基本的な知識を問う問題なのに、正確に答えられない受験生が多いのが現状です。活用力よりも、これで点数がとれず不合格になるとも聞きます。

基礎基本となる知識は、すべての学習の土台です。

基礎基本を軽視して、活用力を伸ばそうとするのは、地盤が緩く土台が危うい上に家を建てるようなものです。

このことは、英検やTOEIC、TOEFLなどの語学試験、資格を取る試験でも、スポーツでも音楽でも同様で、基礎基本となる知識や技能の習熟度によって、資格習得や大成するかに影響を与えるのです。

いわゆる「一流大学」といわれる大学の学生は、基礎基本をしかっりと身につけ、その大切さもよくわかっています。

だから、学習という活動に強く、社会に出てからも、新しい知識を身につけていくのです。

では、基礎基本を身につけるにはどうすればいいか。

それは、子どもの頃から、学習を毎日、ちょっとずつでも続けることです。

ほんの短時間でも、学習を欠かさずコツコツと続けることは簡単ではありません。

だからこそ、学校教育関係者はよく、「学習習慣の形成」を重要視するのです。

私は,学習習慣をよく歯磨きにたとえます。

歯磨きは、歯の健康を保つのに欠かせない習慣です。これを毎日、毎晩続けていると、習慣になり、磨くのが面倒に思わなくなります。

その結果、知らない間に、虫歯の少ない健康な歯になっているのです。

基礎基本の知識が確かな人は、社会に出てからでも、知識を身につけたいという欲求が強く、生涯にわたって学習をしようとします。

そして、その知識を活用して、実生活に役立てようとする態度をもつのです。

(続)50歳は折り返し点 成熟度を増す

2021年07月06日 07時17分00秒 | 教育・子育てあれこれ
人生100年において50歳は折り返し点と、前回のブログで述べました。

人間としての成熟度が大切になります。

50歳を過ぎたらニコニコしていたいのですが、たんにニッコリとするだけではありません。

黙ること、待つこと、聴くことの三拍子が必要です。

人は歳がいくほど頑固になります。そして待つことができなくなります。

人生経験が長いからといって、「君たちに何がわかるんだ」と、経験豊かな自分が正しいと一方的に口をはさみ、聴くことをしようとしない。

言いたいことがあっても黙り、微笑みながら、話に耳を傾けていると、職場でなら存在感のある上司になります。

成熟とは、世の中のしくみがわかっているので、恐れがなくなります。

若い頃は、エネルギーがありますが、世の中のことがわからず、そのぶん不安になります。

歳を重ねると、常識や思い込みから解放され、かえってやりたいことが自由にできるとも考えることができます。

人は成熟するほど、若くなるとも言えます。



50才は折り返し点

2021年07月05日 07時42分00秒 | 教育・子育てあれこれ

人生100年と言われるような超高齢化社会が進行しています。

もし100歳まで生きるなら、50歳はUターンの折り返し点となります。

人の一生が長くなるということは、老年や高齢や老いとつきあっていく時間が長くなるということです

50歳を過ぎて若さをなくし始めたとき、「昔はよかった」と懐かしむか、これからもイキイキと過ごすのか。

これからは多くの人が、この問題に直面することになります。

わたしは、何度か中学生が涙を流すのを見てきました。その泣いている事情はいろいろありますが、事情はともあれ、若い子の流す涙は美しいと思います。

しかし、50代になり齢(よわい)を重ねたら、美しさという基準を変えるのがいいようです。 

美貌とか肉体的な若さではなく、人間としての成熟度をみるのです。

ところが、それはけっこう難しいのです。

歳がいくほど、不機嫌になる人がいます。イライラすることが増える人がいます。

新型コロナウイルス対策で、自粛をしない人に強く当たるのも、不機嫌が高じてイライラするからかもしれません。

老いて体の自由がききにくくなったときには不機嫌になるのではなく、あえてニコニコとしていたいものです。

50歳を過ぎたら成熟がキーワードになります。

歳をとっても、ニッコリとできる人は、ものごとを成し遂げる気力と情熱があることの証(あかし)です。

だれかのために

2021年07月04日 08時18分00秒 | 教育・子育てあれこれ


AKB48は「誰かのためにプロジェクト」を展開しています。

これは、2011年3月11日に起こった東日本大震災での被災地支援プロジェクトです。

募金活動やミニライブの提供、握手会の開催など、ずっと活動を継続しています。

キャンペーンソングには、「誰かのために -What can I do for someone?-」や震災復興応援ソング「掌が語ること」があります。

「私たちにできることは、子どもたちを笑顔にすること」という想いが込められています。また、これからも被災地への支援活動を継続していくAKB48グループの意思を込めて作られた曲です。

じっさい、私も思うのですが、学校の教員なら、子どもの輝く笑顔を見てうれしくない人はいないでしょう。

また、子どもの成長を感じて、親御さんが喜ぶことも、教員の喜びになります。

とくに、子どものことを真ん中において、教師と保護者で協力しあい、子どもを育ててきた関係にある場合は、子どもが成長した結果に接するとき、喜びはひとしおです。

教職を通じて実感するのは、「だれかのために活動することは、自分のために活動するよりも価値がある」ということです。

自分のことはどうでもいい、自分のことは犠牲にしてでもというメッセージではないです。

そうではなく、他者が喜ぶことが、同時に自分の喜びとなるのです。この経験則を、教職につく人には知ってほしいと思います。