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箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

「初任給を上げなくては・・・」

2024年06月15日 06時06分00秒 | 教育・子育てあれこれ

日本は、本格的な働き手不足の時代に入りました。


日本では2011年以降、人口が減少に転じました。


少し前から日本では「働き手不足」と言われてきました。


ところがその後も、じつは働く女性や高齢者の増加で働き手の数は右肩上がりで増えていたのでした。


ですが、2019年の6700万人が頭打ちで、その後は減少していくという見方が現実味を帯びてきました。


人口減少の影響に直接さらされるようになったのが現在です。


賃上げできない企業は、働き手がいなくて将来を描けない時代になった。


そこで、今年度の採用では、初任給を上げて30万円超えにする企業が現れました。


そういった企業には、就活中の学生の応募がやはり集まります。


そのように賃金を上げることに余裕がある企業には、働き手が集まります。


しかし、上げることができない中小企業は人を確保できないのです。


今は、働く意思があれば、収入を問わないなら、たいていの人びとが雇用される状況です。


社員に会社への「奉仕」を求めるような昭和の発想で企業経営をやっていると、若手だけでなく、30代、40代の社員も逃げてしまいます。


過去の経営とは決別する必要があるのでしょう。


そういう意味では、今は働き手が企業を選ぶ時代になっています。


今春入社の新卒募集を行った企業の4社に1社が計画で定めた人数を確保できなかったといいます。


もちろん、初任給だけで決めるのでは不十分です。


各種手当や残業代、ボーナスを含めた実質の年収がいくらになるかなど、チェックするべき点はあります。


とはいえ、「初任給○万円」という打ち出しは、新卒者には大きな影響を与えるのでしょう。


もはや、賃上げをできない企業は今後経営が行き詰まる時代になったのです。









人間関係でのボーダーを意識する

2024年06月14日 07時12分00秒 | 教育・子育てあれこれ
他人から誘いを受けて、応じる場合はいいのですが、事情があり断りたいとき、さっと断ることのできる人は少ないかもしれません。

とかく、人間関係は難しいものです。

断ったら相手はどう思うだろうかと気を揉む人もいるでしょう。

でも、そんなときは気にしすぎてへりくだる必要はないし、そっけなくぞんざいに断るのでもありません。 

断ったことで相手がどう思うかは、相手のテリトリーです。

嫌われるだろうか、気をよくされないのではと思い悩むのは、相手のテリトリーに自分が入り込んでいることになるのです。

断りたいときは、誘ったくれたお礼とお詫びを言い、できない理由を述べるだけで十分なのです。

つまり、人間関係では、相手と自分のボーダーラインを意識することです。

万事長くは続かない

2024年06月13日 09時08分00秒 | 教育・子育てあれこれ
人が生きて生きていく上で、上手く不調であったり、うまくいかないことは、よくあることです。

そこで悩みが起こるのですが、わたしも含めて、悩んでいるときはうまくいかないことが、いつまでも続くと思い込んでいます。

でも、考えてみればいいことも悪いことも、ずっと続くことはないのです。

そういう前提の心構えをもち、いい状態のときには、良くないことが起こる前に、今できることをやっておく。

悪いことが続いているときには、ちょっとでもいいようにしようと、粘り強く取り組むことです。

まさに、「沈む瀬あれば、浮かぶ瀬あり」「人間塞翁が馬」です。



脇役の花

2024年06月12日 07時14分00秒 | 教育・子育てあれこれ
かすみ草は、様々な花と抜群の相性を示します。

自己を主張せず、周囲の花を暖かく包み込み、全体を品格高くまとめます。

そんなかすみ草はフラワーアレンジメントのいちばんの脇役です。

できれば、自身の役割もかすみ草のようにありたいと願います。

地中海沿岸からアジアにかけての広範囲に生息するかすみ草。

寒さには強いですが、日本は多雨で湿度の高い気温や酸性の土が多く、かすみ草は生育を苦手とします。

国内で庭に植えるなら、風通しのよい涼しいところを選び、苦土石灰を混ぜて植えます。

白いのかすみ草の花言葉は清らかな心を表します。

ピンクのかすみそのは感激とか一途な思いを表します。

あなたは何人

2024年06月11日 09時05分00秒 | 教育・子育てあれこれ
水崎野里子さんが訳した詩が、『新・世界現代詩文庫2 現代アメリカアジア系詩集』におさめられています。「あなたは何人?」という詩があります。


人々はいつもあたしに尋ねた

あなたは何人? あたしはいつも答えた

あたしはアメリカ人

彼らは言った 違う!何人だ!

あたしはアメリカ人よ!

あたしはアメリカで生まれた 怒りが煮えたぎる

お前は知らないのか この国は世界で一番偉大な国

(......)

彼らは言う もしここが嫌いなら帰ったらどうだ



学校にも「外国につながる児童生徒」・「外国にルーツをもつ児童生徒」が在籍し、毎日通ってきます。 

両親あるいはどちらか一方が、外国出身者である人の子どもを意味します。 来日したばかりという子どももいれば、日本で生まれ育った人もいます。

外国籍の子どもだけでなく、日本国籍の子、二重国籍の子もいますし、難民2世などで無国籍状態の子も含まれます。

近年、日本で暮らす外国人は増加しています。

それとともに、海外にルーツを持つ子どもが増えています。

三重県鈴鹿市や静岡県浜松市などの地域の公立小中学校にはたくさんの外国につながる子(外国にルーツをもつ子)が通っています。

それほど多くはない場合でも、全国の地域の公立学校に少数点在的に在籍しています。そこで各自治体の教育行政は学校への通訳派遣や「日本語指導」の教員を加配するとして支援を行っています。


しかしその支援体制が十分とは言えないなかで、子どもが日本語がわからず困難に直面する現状があります。
海外にルーツを持つ青少年やその家族にとって、「日本語の壁」はとても高いのが課題になっています。成長著しい時期に言葉の壁に直面することで、自尊感情が下がります。

また思春期の悩みやすい時期が重なり、時には「わたしは、いったい何人なの?」と自己のアイデンティティが揺らぐこともあります。心身の健全な発達に影響を及ぼすような深刻な事態に陥ることがあります。

さらにその影響は悪循環を引き起こしやすく長期化することも珍しくありません。

それらの課題に大きく揺れる気持ちをトータル的に綴ったのが冒頭の詩です。


学校教育の課題としては、日本語指導をはじめとする学力、高校進学を保障すること、ならびにつながることのできる、日本人児童生徒とのなかまづくりなどがいちばん必要です。

ときどき、日本人の児童生徒から発せられる言葉「韓国へ帰れ」「ブラジルへ帰ったら」などは、その児童生徒への存在そのものを否定する言葉です。

このことを教師は、深く認識して、感度を高くもって、軽いからかいの言葉と受け流さずに、きっちりと対応できなければなりません。





人を励ますときの言葉

2024年06月10日 06時00分00秒 | 教育・子育てあれこれ
困難なことやたいへんなこと、つらいことに遭遇した人に対して、励ましの声をかけるとき・・・

「がんばれ」とか「がんばってください」と声かけすることは、よくあることです。

たとえば東北地震で被災した人に「がんばれ 東北!」というような声かけが、メディアに大々的にとりあげられました。

ただし、場合によっては「がんばっているのに、これ以上わたしにがんばれというのか」と思わせることもあります。

また、「上から目線のように言わないでほしい、あなたは何もしてくれないのだ。わたしは一人でがんばるしかない」

そのように受け手が感じることもあります。

そんなとき、相手の心に届く言葉は、「いっしょにがんばりましょう」です。



この言葉を、悩んでいる生徒にかけたらどうでしょうと、わたしはよく教職員に、生徒を励ます言葉として勧めてきました。

もちろん、「がんばれ」で励まされる場合もあるので、必ず声かけする言葉は固定的なものではありません。

時と場合、相手の性格、どんな文脈で声をかけるかによるとは思います。

また、別の声かけもあります。

「がんばれ」ではなく、「がんばってるね」。

「わたしはあなたのことを気にかけているよ」というメッセージが伝わるし、受け手は「わたしは一人でないんだ」と思えるでしょう。

ただし、それもオールマイティな言葉ではないです。

「がんばってるねなんて、わたしのことがなんでわかるの」と捉えられる場合もあり、一様ではないのです。

やはり、その場、その時、その状況で、悩む生徒に対していちばんふさわしい言葉を探して、発することができるのが、生徒指導の極意だと思います。

そのためには、生徒一人ひとりの「生徒理解」が欠かせないのです。



早まる教員採用試験

2024年06月09日 07時11分00秒 | 教育・子育てあれこれ
来年の春に卒業予定の大学生の就活で、面接とか筆記試験の実施が6月1日から解禁になりました。


この日程ルールには罰則がないこともあり、実際はもうすでに前倒しで5月15日の段階で、およそ8割の学生に内定が出ていると聞きおよびます。


この前倒し内定の理由は働き手不足で、早期の内定を出し優秀な人材を確保したいという企業側の意図がうかがえます。



働き手不足の時代は、いわゆる「売り手市場」を加速させています。


大手企業では、すでに「最終面接を行う段階」との声が多く聞こえてきます。




この就活情勢に穏やかでないのが、文部科学省です。


従来、翌年春の採用のための教員採用試験の1次試験は7月から行われました。


しかし最近企業の内定時期が早まっているのを受け、来年春に採用予定の教員採用試験は1次試験を6月16日にするよう、各自治体の教育委員会に通知を昨年出しました。


その結果、今年度の1次試験は6月から始める自治体が増えました。


しかし、今年はすでに上記の通り、多くの学生が5月15日段階で企業から内定をもらっています。


その内定を得ている学生は、「ぜったい教員になる」という人を除いて、もはや6月に教員採用試験を受ける気にはならないでしょう。


教員採用試験の倍率低下、教員不足はますます深刻になります。


そこで、文科省は今年再び通知を各自治体に向けて出しました。


その内容は、「来年行う教員採用試験の1次試験は5月11日実施を標準とする」というものです。


また、今年から大学3年で1次試験だけは受けれるように制度変更している自治体もあります。


年毎に早まる教員採用試験ですが、このままでは、教員志望の学生はその意向を早く固めて、2年次から本格的な準備をしないと合格できなくなるでしょう。


ただ、教員免許を取得するため、大学4年の5〜6月には教育実習を受けるのが通常となっていたので、柔軟に対応する必要があります。








給与・待遇が決め手

2024年06月08日 08時40分00秒 | 教育・子育てあれこれ
わたしは、昭和、平成、令和と3つの時代を経験してきました。

半世紀以上を生きていると、考え方や習慣、文化、価値観などがかなり変化するのを実感します。

今までなら、「仕事が私の人生」と考えたり、公言する人がいて、そういう価値観は珍しいことではなかっように思います。

その点で仕事にやりがいを見出すことが求められてました。

しかし、いまは仕事は生活するための収入を得る単なる手段と考える人も増えています。

家族といっしょに過ごすとか、友人と楽しく過ごすとか、趣味を楽しむことを充実させたいという欲求が高いのです。

そうなると、給料は高い方がいいと思うのではないでしょうか。

実際、そのように思う若い世代が増えてきているように思います。

つい最近までは、「今の若い人はやりがい重視」「自分を生かせる場を求めている」と言われていました。

それは、雇用する側の思い込みであったのかもしれないと感じるほどの変化です。

学校の教員は、今まで教職にやりがいを感じやすい仕事と言われてきましたが、やりがいだけでは務まらないと考える若い教員が実際にいます。

もちろんほかの一般企業でも学校でも、いまも仕事にやりがいを求める若い人もいます。

でも、全般的な傾向としては、給料の額や休暇が取りやすいか、社会保険などの制度が充実しているかなどは、就職をきめる大きな決め手になるようです。

まして、働き手不足の時代です。就活生が会社を選ぶ時代に変化してきています。

実際、就職を支援する会社が来年の3月に卒業予定の大学生にアンケート調査をしました。

就職する企業を選ぶ条件として、給与・待遇を第一にあげた学生が45%でした。

この条件は10年ほど前では、6位ぐらいでした。だから意識はやはり、大きく変わってきているのでしょう。

円安、高齢化が進む社会の中で税金が重くなるなかで、社会保険料を支払う。日本を訪問する外国人観光客にしか買えないような高額な商品。
 
この現状を厳しく見ている若い世代の様子が伺えます。

















情報通信技術がつながりを広める

2024年06月07日 07時55分00秒 | 教育・子育てあれこれ


今までは、私たちの他者とのつながりは、狭く限定的でした。

仕事でのつながり、学校での友だちとのつながり、趣味のサークルでのつながりなどは、あまり広くなく、限定的でした。

しかし、情報通信技術が格段に発達した現在では個人が自由に情報を発信できるようになりました。

また、対面でなくても、リモートで離れた遠いところにいる人ともやりとりができます。

また、知らない人がフォロワーになってくれたりして、つながりの可能性はここ20年間で格段に広がりました。

それとともに、思いがけないところで、人とつながることができます。

いつもいっしょにいる人ではない。でも、SNSを通じて知っている。

そのようなゆるいつながりが増えてきました。

以前のような地縁的なつながりは苦手とする人が増えたいま、SNSはゆるやかにつながる格好のツールになっています。





教育に関する答えは現場にある

2024年06月06日 07時20分00秒 | 教育・子育てあれこれ
学校に登校できない子、登校しにくいという不登校について、国(文科省)は全国の学校に不登校調査を毎年行なっています。

それは、「問題行動・不登校調査」というものです。

このたび、文科省は不登校の要因について学校側の過半数が「無気力・不安」と回答していることを問題点として、調査項目を見直すというアナウンスをしました。

文科省がいう根拠は、児童生徒の思いと教員の認識のズレているから見直すというものです。

たとえば、不登校の理由を、いじめとしている児童生徒と比較して、教員はそう考える程度が低い。教師への反抗・反発と答える児童生徒側の捉え方と比較して、教師側はその認識が低い。

学校が事実に即して答えているのではなく、主観に基づき回答しているからということです。

しかし、この根拠にわたしは疑問を感じます。

わたしは、教育課題の答えは常に現場にあると考えています。

だから現場の教師が、自らの現場感覚で答えたものには、一定の信頼性があります。

そもそも、児童生徒の心情は揺れ動くもので、「何があなたの不登校の理由ですか」と問われたとしても、本人自身にもわからないことが多いのです。

なんとなく学校が落ち着かない、安心できない、意欲がわかないというのが、児童生徒の実感であることがしばしばあります。

そのように、竹を割ったようにスッキリとしない状況が、不登校問題の本質であることが多いのです。

それを、学校は「無気力・不安」と表現して回答しているのです。

教育行政は、こと児童生徒に関わる問題であるので、学校側が出してくる回答を「主観で答えている」とせず、尊重すべきです。






首都圏と地方の大学進学の差が広がってきています

2024年06月05日 07時26分00秒 | 教育・子育てあれこれ
東大への首都圏からの進学の割合が大きくなっています。

また、国立の旧帝国大学である北海道大学・東北大学・東京大学・名古屋大学・大阪大学・京都大学・九州大学への進学も首都圏の高校出身学生が増えているのです。

大学進学に関して、旧帝大に進学する価値観がすべてだとは言いませんが、首都圏の学生と地方の学生の間に進学格差が大きくなっていることには問題点が見いだせます。

問題点を焦点化するため、東大への進学状況をとりあげます。

現在の東大の学生は3分の1から半分ほどが首都圏の進学校、それも私立の中高一貫校出身者です。


その学生の多くが大手予備校や進学塾などで、東大に特化した受験対策を受けてきた人たちです。


「周りが東大を受けるから自分も受験した」という場合も多いのです。


東大志望じゃない方が少数派などと話す人もいます。


一方、地方では予備校自体がない地域もあり、受験における都会との格差が浮き出ています。


高校の学習だけで、東大を受験してもなかなか合格しないし、第一、東大をめざす学生も多くないのです。


また、ジェンダーバイアスも存在します。


地方では、親が女の子の浪人を認めてくれない場合が多いのです。


女子本人も浪人を避ける傾向があります。


東大などの国立大学で首都圏出身の生徒が占める比率が増え続けることには問題があります。


地方からの進学者が減ると、東大進学に力を入れる高校がさらに減り、塾や予備校もさらに首都圏に集中するという循環になってしまいます。


また、地方の進学者の受け皿になっていた旧帝大にも首都圏出身者が流れることで、地元の生徒の進学先も狭まってしまうのではないかと危惧します。


日本の未来を担う学生の属性に偏りがあれば、将来的には裕福ではない家庭の人には不利な政策が生まれてしまうかもしれません。


多様な生活背景を持つ人が多ければ、社会に新しいアイデアを生み出せるのではないでしょうか。


地方には「私には東大なんて無理」と、自己評価が低い高校生が多い傾向にあります。


もっと大きな世界を見るために一歩踏み出すためには、出身者に多様性のある方がいいのです。


改善しないと、少子化で大学そのものの存亡に関わってきます。


ものごとはとらえかた次第

2024年06月04日 05時59分00秒 | 教育・子育てあれこれ
アスリートにケガはつきものです。

試合や大会を前にして、ケガでその競技ができない、中断しなければならない事態に直面すこともあります。

しかし、それは考え方次第でもあります。

周囲からは逆境や不遇に思えるようなケガをしても、本人には休息のとき、再起動しリセットする機会、リスタートする機会ととらえればいいのではないでしょうか。

ここは、休むとき、今までつづけてきた中で、自分に負荷がかかっていたのを、再起動してあらたな気持ちでスタートするのでいい。


そのようにとらえられるか、「自分はなんとついていない」と思うかは、その人の捉え方によるのだと思います。


そしてその捉え方は、アスリートだけでなく、おしなべて、様々な分野、多くの人に通じるフィロソフィーだと思います。





真意ではないかたちで受け止められる

2024年06月03日 08時19分00秒 | 教育・子育てあれこれ

静岡県知事選で応援演説をした外務大臣が、女性の支持者が集まる前で、「このかたを、私たち女性がうまずして(=当選させずして)何が女性でしょうか」と発言したことが問題になっています。


批判を受け、本人は「真意と違う形で受け止められる可能性がある」と発言を撤回しました。



しかし、「女性」が主語であり、「うまずして何が女性でしょうか」と言っているのだから、女性とは「出産」するものという観点を特化した表現です。


こういう感覚を心の底でもっているという事実が発言から明らかになったのでしょう。


悪意がなかったのに、発言の一部分を切り取られりと、真意とちがうように受け止められると弁明されています。

でも大事なことは悪意の有無にこだわることではなく、その発言を聞いていイヤと思う人がいるという現状にどう向き合うのかということが問われているのです。

その向き合い方のないまま、国会議員が問題発言を繰り返すことが多いのです。

そして、「真意と違う形で受け止められる可能性がある」「傷つけるつもりはなかったが」という弁解をするのですが、発言の問題はその点ではないのです。








合理的配慮は事業者の義務

2024年06月02日 06時41分00秒 | 教育・子育てあれこれ

障害者差別解消法は、2015年に施行されましたが、民間の事業者に対しては、「合理的配慮」を行うことは、努力義務にとどまっていました。


「合理的配慮」とは、障害者の活動が制限される社会的な障壁(バリア)があった場合、本人から申し出があれば、負担が重すぎない範囲で事業者側が配慮を行うというものです。


ところが、今年の4月に改正され施行された法律では、民間事業者に障害者への合理的配慮の提供を努力義務ではなく、実行を義務づけることになったのです。


たとえば、はやっているラーメン屋が昼時に行列ができ混み合う時間帯に、「車いすの人は昼どきの混雑時には、入店お断り」という貼り紙をしていました。


これが、合理的配慮を提供すべきという考えでは、車いすの人が入店してラーメンを食べるうえでの配慮が、とくに店側にあまり負担をかけないならない程度なら、断ることは法律違反になるのです。


法改正の前から、事業者側から「何をしていいかわからない」ととまどいの声が多くありました。

そして今年に入り、車いす利用者の介助を巡る映画館でのトラブルがSNSで炎上するトラブルがありました。


各企業は対応を誤り、ネガティブな評判を受けることをとても危惧しているというのが現状です。


しかし、改正法の考え方では、事業者側に「過重な負担」が生じる場合は合理的配慮の提供義務が除外されます。当事者からの申し出にすべて応じる義務があるわけではないのです。


もちろんそれを盾に、すべて合理的配慮が不要としてしまうのは問題外です。


障害者に対する差別解消の理念を理解した上で、できること、できないことを明確に示す姿勢が求められます。


ところが、現状では検討が進んでいない企業が多いようです。


そうなると、できる・できないの線引きの基準はないのかという疑問が浮かびます。


しかし、事業者の財務状況や人的な資源はそれぞれ違うので、政府がはっきりと基準を示せるようなものではありません。


今後は、同業の他社の動向を見て「あそこがここまでやっているなら、うちでもできそう」という合意が徐々にできるのだと思われます。


事業者ができること、できないことを整理するには、障害者のニーズをくみ取り、よく対話をする必要があります。


障害者は配慮が足りないと思っても、あきらめて主張をしないことが多いという傾向も現状ではあります。


声を上げるべきです。事業者も対応できない時は、はっきりと伝えるべきです。


互いの立場を話し合うことで、合意形成が見えてくると思います。


国内には1000万人近い障害者がいます。さらに、障害がない人でも、高齢になれば、からだの機能が低下し、企業に求める対応が障害者と重なってきます。


そのように考えると、障害者にとって住みやすい社会の実現は、どの人にとっても暮らしやすい社会です。


そうした人々への配慮ができる事業者は、価値のある事業者として、模範として君臨できるという可能性があります。


そのような発想で、可能な合理的配慮の提供に取り組んでほしいと願います。



遺伝子を検査すること

2024年06月01日 07時15分00秒 | 教育・子育てあれこれ
科学や医学が発達して、現在では遺伝子検査の
実用化が可能になってきました。

10万円弱の費用で、学習とか運動の素質、肌の特性や睡眠の質、遺伝子変異までさまざまに調べることができるそうです。

その結果をもって、親はこんなふうに育てていけばいいという指針が得られるのです。

この子には、この習いごとをさせようとなるのです。

わたしは、それがいいのだろうかと思います。

遺伝子で子どもの一生がすべてきまるのではないのに、遺伝子がこうだからと人生を固定化していくことに危惧を覚えます。

教育関係者としては、学校でどんな人に出会うかという機会、またクラスなどの環境面の教育力が子どもの成長に及ぼす影響力を思うのです。

ただ、親がこの遺伝子検査になびくとすれば、その気持ちはわかります。

親なら、子どもの才能をみてそれを最大に伸ばしたいと願うのは当然です。

失敗させたくないという願いは、周りの子に遅れをとらせたくないという思いと重なり、遺伝子検査に頼ろうとする親がいても不思議ではないでしょう。

ただ、教育の主人公は子どもです。子どもがやりたいこと、やって楽しいと思うことができることがいちばん大切です。

それはときとして、遺伝子検査から見えた才能と違うものかもしれません。

それでも、子どもが夢中になって楽しむのであれば、飽きることなく長く続きます。

教育の可能性とは、そのようなものだと思います。