信楽高原鉄道の人っ子一人いない山中の駅の名は「紫香楽宮跡駅」。
駅からほど近い林の中に宮跡がありました。
「あおによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり」と詠まれた
平城京も、藤原広嗣の乱などで政情不安になり、聖武天皇は都を恭仁
京へ、さらにこの紫香楽の宮へ移そうとしたのだそうです。なぜこんな
所へと思わずにいられない山深い辺境です。その理由は今もはっきり
せず、規模も平城京に比べれば格段に小さかったようです。
信楽の陶器屋のおばさんが「聖武さんも、ここがあんまり山の中やよって
じきに逃げ帰らはったそうやわ」と言っていたように、火事やら何やら天
変地異が続いたこともあって、都造営開始からたった4年ほどで、元の
奈良の都へ戻ったとのこと。都造りに関係した人々は「一体何だったん
だ」と思ったことでしょうね。
紫香楽の宮は別の場所で、ここは甲賀寺跡だという説もあるようです。
そういえば、ここは滋賀県甲賀の里。あの忍者で有名な伊賀、甲賀の
甲賀です。ともあれ、鬱蒼とした木立の中に、礎石がたくさん残ってい
て、1300年も前、束の間にもせよ、ここに日本の都があったのだと思
うと、不思議な感覚に襲われます。