銀座二丁目交差点から銀座通り口交差点へ向かって散策を続けていきます。この界隈も人通りはもちろんですが、車の通行量もほとんどないといった状況でした。
明治時代に舶来品などが並んだ銀座は高級商店街として発展してきました。昭和初期のデパート進出などにより、銀座は東京随一の盛り場としての地位を確実なものにしていくが業態は少しずつ変化していったのです。
「ブルガリ銀座タワー店」前を通り抜けていきます。
ファッションビルの「メルサ銀座二丁目店」も1月2日からの開店とのことでした。
銀座一丁目交差点に到着しました。ここで「銀座柳通り」を通り抜けていきます。柳の木々は銀座発祥の地、堺から移住してきた銀細工職人が故郷を懐かしんで移植したのが起源とされていて、現在では「中央区の木」にも指定されています。
1874年に日本初の街路樹として、桜・松・楓が銀座通りに植樹されたのですが、埋立地である銀座の土地が水分の多いことから根腐れを起こしてしまい、1877年に湿地に生育する柳に植え替えられました。道路の拡幅で一度は伐採されたのですが、1932年に朝日新聞社の寄贈で再び銀座通りに再び柳が復活し、同年4月には第1回柳まつりが開催されました。
従来は高級婦人服飾店といえば銀座マギー、マミーナ、小松ストア、銀座ダイアナ、三愛、創作洋品店(オートクチュール店舗)、日本初のセレクトショップであるサンモトヤマなどが代表だったのですが、1990年代のバブル崩壊以後は海外の有名ブランドが続々と旗艦店を銀座に構えることになります。
銀座は、百貨店の集積地でもあり、松屋・松坂屋・三越・プランタン銀座のほかにも、隣接する有楽町の阪急MEN'S TOKYO、ルミネを含めると6店に及びます。なお有楽町西武は2010年、有楽町そごうは2000年に閉店しました。
1966年にはソニーがソニービルを建設するのを皮切りに家電メーカーがオーディオ製品を中心にしたショールームを銀座に相次いで開設しました(松下電器=テクニクス銀座ショールーム、日立製作所=Lo-Dプラザ、東京芝浦電気=東芝銀座セブン、日本ビクター=ニッパーズギンザ[9])。また、日産自動車も銀座ギャラリーを開設しました。
銀座地区と京橋地区の境界線に当たる「銀座通り口交差点」に到着しました。首都高速道路の高架橋を抜けた先が京橋のオフィス街となっています。
「京橋3-1プロジェクト」として建設が進められてきた高層ビルですが、正式名称が「東京スクエアガーデン」に決定しました。建物の高さは124メートルとそれなりなのですが、銀座・京橋地区には高層ビルが少ないので意外と遠くからでも目立つ高層ビルです。2013年の3月竣工予定となっています。
振り返って銀座四丁目方向を撮影してみました。
銀座通り口周辺の専門店なども閉まっていました。
首都高速道路の高架橋の下から撮影してみると、真っ直ぐな直線として新橋まで続いている中央通りを送まで撮影することができました。
これで新年の中央通りの散策は終わりです。この後は少し歩いて帰省客で大混雑している東京駅へ向かいました。
京橋のオフィス街に程近い銀座一丁目地区を散策しました。