緑には、東京しかない

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

新年の中央通り(3):銀座五丁目交差点から銀座四丁目交差点まで

2013年01月05日 11時40分50秒 | 中央区全域・銀座


銀座五丁目交差点から引き続き中央通りの散策を続けていきます。銀座五・四丁目周辺は百貨店やファッションビルが何棟も建てられており、銀座地区の中で一番人通りが激しく賑やかな場所なのですが、元旦の散策では人通りはほどんどといっていい程皆無に近い状態でした。




日産ギャラリー、サッポロ銀座ビル、銀座コア、ニューメルサといった商業ビルが整然と建ち並んでいる銀座の中で一番活気がある銀座四・五丁目交差点周辺を散策していきます。普段はこんな人のいない銀座を歩くことは生まれて初めてなので、ものすごく新鮮な気がします。




銀座五丁目交差点の横断歩道を渡って東銀座よりの歩道に移動しました。松坂屋銀座店の巨大な建物前から北側を見ると、正面には銀座四丁目交差点前に建っている「銀座和光」の時計台の建物が見えました。




有楽町側のニューメルサ銀座店周辺の歩道も人通りは閑散としていました。この界隈は以前は「尾張町一丁目地区」と呼ばれていた地域でしたが、1930年(昭和5年)の区画整理の際に銀座五丁目地区に編入されました。




銀座五丁目交差点で中央通り都交差している「みゆき通り」と、ニューメルサ銀座店の建物を撮影してみました。みゆき通りの街路灯には日章旗ではなく、2013年を祝う旗が吊り下げされていました。




正面に銀座和光の時計台を眺めながら散策を続けていきますが、普段と違って車の往来も人通りも桁違いに少ない中央通りの雰囲気に逆に圧倒されそうです。銀座和光の時計台を見上げると、あと少しで正午の時刻になるところでしたが、普段の日の正午の時間帯の銀座と比較するとその差に驚きます。




銀座地区の建物は戦後復興の1960年代までに建設されたものが多く、当時の建築基準法により高さ31メートルに制限され、統一された景観を形成してきました。銀座周辺の東京駅、日本橋、京橋、新橋(汐留)の業務地区ではここ10年ほどで高層化がかなり進みましたが、ついに銀座にもその高層化の波が押し寄せることになります。




老朽化した建物の建て替えに際して、多くの建物が容積率制度の導入される1964年以前に建設されたものであることから、建て替え前よりも小さい規模での建設を余儀なくされることや、建物の高層化により統一した景観が阻害されることを懸念した地元と中央区が協議し、1998年に地区計画「銀座ルール」が制定されます。




普段は路上駐車の車の列が並んでいる日産ギャラリー周辺も自動車は一台も見かけることはありませんでした。




しかし、2002年に都市再生特別措置法の「緊急整備地域」に指定されたために、容積率が大幅に緩和され、銀座においても再開発による建物の高層化の機運が高まることとなります。同時期には東京駅前で丸の内ビルが竣工し、JR新橋駅の東側では汐留シオサイトの高層ビル群の建設工事が佳境を迎えていた頃です。




これとは別に、2005年に都市計画法の特定街区制度を活用して銀座八丁目に121メートルの銀座三井ビルディングが建設されます。この流れを受けて、2004年に地元企業は資生堂名誉会長の福原義春氏を代表とする「銀座街づくり会議」を発足させました。




そのなかで、 松坂屋が森ビルと共同で松坂屋銀座店と隣の街区を合わせて大規模な再開発をする計画が浮上します。また、ほぼ同時期に歌舞伎座でも建て直しに伴う一部高層化の計画が発覚し、再び「銀座ルール」の見直しがされることとなります。




2006年に施行された新ルールでは、昭和通りより西の銀座中心部では一切の例外を禁止して建物の高さを56メートルに抑え、今まで規定のなかった屋上広告についても最大で10メートルまでとしました。




銀座四丁目交差点に到着しました。中央通りの交通量はかなり少なかったのですが、有楽町から晴海方向へ伸びている晴海通りは比較的交通量が多いと感じました。交差点周辺の人通りも皆無というわけではなかったのですが、普段と比較するとその数は圧倒的に少なかったです。




銀座四丁目交差点から撮影した「和光銀座」の時計台の建物です。太陽がちょうど南側から照りつけてくる位置となったので、背後の青空の鮮やかさがこの世のものとは思えないほどです。ただ時計台の建物に銀座日産ギャラリーの建物の影が大きく写ってしまいました。




中央通りと晴海通りが交差している銀座四丁目交差点周辺も人通りは閑散としていました。

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