1月上旬の平日、東京都新宿区の西新宿地区にある緑地帯「新宿中央公園」にやってきました。平日の午前中の人通りもほとんどなく、ひっそりとした雰囲気に包まれている新宿中央公園を散策していきたいと思います。全体的な雰囲気としては、約500メートルほど離れた場所にあるJR新宿駅西口の喧騒が信じられないほど閑散としていました。
本年(2013年)は、今まで取り上げてこなかった淀橋台、宇田川、豊島といったJR山手線の西側の山手地区を積極的に散策していこうと思います。山の手の閑静な住宅街と、副都心として整備された業務地区のビル街が共存している風景を中心に歩いてみたいです。
緑地帯入口(水の広場)前から振り返って西新宿の高層ビル群を撮影してみました。高層ビルの周辺は吹き抜ける風がものすごく強かったです。
新宿中央公園の緑地帯の面積は8万8065平方メートルあり、新宿区内の緑地のうち新宿御苑・明治神宮外苑・戸山公園に次ぐ面積で、新宿区立公園の中では最も広いのです。
緑地帯の中で見上げてみれば、どこでも西新宿の高層ビル群が目の前に広がることになります。
元々この場所は現在隣接する熊野神社の敷地の一部であり、戦前には小西六写真工業(現:コニカミノルタ)の工場敷地などになっていました。それに戦後新宿副都心計画の一環として、淀橋浄水場の跡地と併せて、西新宿に勤めるサラリーマンなどへの憩いの場として公園として整備されることになったのです。
緑地帯のほぼ中央にある水の広場から階段を上り、南側(富士見台がある方向)へ向かって散策していきます。敷地内は意外と起伏の多い地形となっていて、立体的な都市公園となっているのがわかります。
緑地帯の小山である「富士見台」周辺ではなにか工事が実施されている状況でした。・・・それにしても人間の気配がほとんどなく、歩いていて少し寂しくなってきました(汗)。
新宿中央公園の緑地帯や、西新宿の高層ビル群があった場所は、かつては東京都水道局が運営していた「淀橋浄水場」の施設が置かれていました。1965年(昭和40年)の浄水場機能が東村山市の東村山浄水場へ移転したことに伴い、後に高層ビル街や緑地帯として整備されることになるのです。
明治維新以前の江戸の水道は玉川上水と神田上水を水源とした7つの分水組合によるものであったのですが、東京府が設置されて組合が解散した後もこれら2系統による給水が続きました。
新宿中央公園の敷地はふれあい通りという東西方向に伸びている大通りを挟み、北川と南側の敷地に分かれています。これから公園大橋を渡り、南側の敷地へ進んでいきます。
ふれあい大橋の上から西新宿の高層ビル群を撮影してみました。
ふれあい大橋の上から撮影した「東京都庁第一本庁舎」です。「ポストモダン」をコンセプトに設計された高層ビルで、1990年(平成2年)12月に竣工しました。
第一本庁舎の南側に建っているのが「東京都庁第二本庁舎」です。第一・第二のどちらの建物も、丹下健三氏によって設計されました。
南側の敷地の「ジャブジャブ池」は工事が行われていました。
元来た道を引き返して再びふれあい大橋を渡り、緑地帯の北側を散策していきます。
敷地内の木々はほぼ全てが枯れ木状態になっているので、公園内の日当たり加減はものすごく明るいと思いました。
新宿駅周辺の賑わいが嘘みたいに静まり返っている新宿中央公園内を歩いていきます。