懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺民家  福島県伊南村の民家

2016年06月21日 | 茅葺き民家
福島県の茅葺民家の撮影を終えて磐越道の坂下インターを目指し走っていた。
その頃は舘岩村にも茅葺民家はあったが伊南村に入ったらあっちにもこっにも茅葺だらけ。
早く切り上げたかったが千載一遇のチャンスとばかり撮影する。
見える範囲だけは撮ったが二時間は要した。
ほとんどの家が曲がりやで懐かしさ一杯の民家だった。

それから坂下インターまで二時間はかかる。高速に乗ったのは16時、福島から岡山は12時間かかる。次の日は仕事だった。そんなことも考えずに撮影に夢中になっていた。
馬鹿な思いでの一節である。

それでも無理して撮影してよかったと思う。次に訪れたら随分減っていた。

今は東北からの帰りは10時までに出発し22時につくようにしている。


日本茅葺紀行 NO,296 富山県相倉

2016年06月20日 | 日本茅葺紀行
世界遺産の富山県相倉集落

岡山県の人で写真をやっていない人は相倉と言っても知らない人が多い。
世界遺産の民家を見せて素晴らしいと言わせることはできる。
それは何か詐欺をしているようでもある。
茅葺民家の写真を撮っている人ならば観光地を撮ってもつまらんという人もいる。
茅葺民家の写真展には極力使わないようにしたいと思う。


昭和の遺物たち  屋根 その1

2016年06月19日 | 昭和の遺物たち写真展
昭和の風景で大きく変わったのに瓦屋根がある。
倉敷市下津井に行くことがある。上から屋根を見るがあたりの風景も変わったが屋根が昔ととまるで違う。
集落を撮るにも何枚か集落の全景や俯瞰写真がほしかった。
神社や小山や高い建物にのぼり写真を残すべきだったと思う。
30年、40経過して時代の変化が分かる。
いらかの波と唄たわれた鯉のぼりの歌の頃は一面が日本瓦であったと思う。
度重なる大地震で瓦屋根は住宅メーカーに悪者にされた。
軽い屋根材が多くなった。
いまでは広島や山陰の石州瓦屋根の集落に懐かしさを感じる。


定点観察で各地を記録している人はこんな撮り方をするのだろう。
東京の新宿副都心が出来る前からビルが立ち並ぶ現在までの写真を見たがその人の人生の記録でもあると思った。

こんな事ならば誰にでもできそうだが、なかなかできるものでない。発想がない、テーマがない、根気がないで終わりそう。。
それでも人間生きているいる間に何かひとつ残さにぁいかんな。

岡山の茅葺民家  岡山県旧旭町の民家

2016年06月18日 | 茅葺き民家
旭町にはダムが出来たこともあり平野は少ない。
山の斜面に棚田を作り家を建て暮らしている。
人口密度の多い西日本の山間地の暮らしである。

東北では考えられない生活環境である。
茅葺民家の撮影は日本各地の暮らしを目にしてきた。
目にはしてきたが茅葺民家の撮影ばかりで生活の実態は見聞きしていない。

今後集落が存続するのは厳しいと思う。
限界集落を取り上げた本がでている。
消滅するかのように報告されているが実態は希望あるように書いてある本が多い。
たしかにそんな場所に暮らしている人と話をすると今の生活を楽しんでいるし空気はいいし水はおいしいし、することが沢山あるという。全くの悲壮感がない。

しかし、現在暮らしている人がなくなるとその家に戻り暮らす人はいないだろう。
元気なリタイアの人が戻るかもしれないが。
東京の一極集中と地方の衰退は政治課題だが具体的に見えてこない。
東京に一局集中は地震災害などに大変弱い。真剣に考えている政治家はいるのだろうか。壊滅しないと動き出せないのだろう。

私も時間を作り20年前にカメラを持ち走り回ったこんな土地の現状をもう一度みてみたい。

こんな山間の茅葺民家は斜面に建っているので正面からはスペースがなく撮りにくい。
夏場は蛇に注意しながら細い道をかき分けていく。草むらから何にと鎌首を上げる青大将は気持ち悪いものだ。





茅葺民家  兵庫県三木市の民家

2016年06月17日 | 茅葺き民家
兵庫県三木市や神戸市の茅葺民家は塀をして庭木も植えて庭を整備している家が多い。
いままで茅葺民家は新規の発見ばかり目指し新しい地域を飛び回ってきた。

ゆっくりと塀の種類や庭木の特徴、民家の特徴、下屋の有無、棟木の有無、屋根の構造、破風の有無と破風飾り等をこまめに記録していない。撮った直ぐに整理しないと忘れてしまう。
写真も撮りっぱなしで場所の記録もしていない。
か整理しておくとどんな分類になるかどんな写真を撮っておけばよかったがの知恵がついていたるように思う。
老人のお遊びだが統計的にちゃんと整理した人とだだ撮るだけでは差になる。反省



日本茅葺紀行 NO,295 岐阜県神岡町

2016年06月16日 | 日本茅葺紀行
茅葺民家を長年撮っている人から神岡町の民家を教えてくれた。

教えてくれて何年もなるが撮影にいかなかった。
高速道路も東海北陸道が出来て行きやすくなった。
トンネルばかりの道路だが高山まで一気に行ける。
歳を取り身体も不自由だとすぐにあきらめてしまう。
思い立ったら吉日で動かないといけない。
神岡に14時頃に着いた。
それから撮影ができた。
神岡は鉱山で栄えた。今は坑道を利用してスーパーカミオカンデがある。
高原の集落に何軒か茅葺き民家が残っている。
人が生活する茅葺民家であえて満足する。
それらか白川郷に初めて立ち寄りる.
世界遺産だったので撮影は重視していなかったが折角近くにきたので立ち寄る。




昭和の遺物たち 炊事洗濯 その2

2016年06月15日 | 昭和の遺物たち写真展
今回はは金盥(かなだらい)

昔は洗濯や行水に盥があった。。
木の盥はタガがはずれたりで慎重に入る必要があった。
その点、金盥は強度があった。

子供を行水に入れるため夏の日中は盥に水を張り温めていた。
今なら天日の温水器があるとフロは沸かさなくて済む。
しかし、温水器の購入価格と燃料削減を見比べる大してメリットはない。
冬場の凍結トラブルで破損させるデメリットや地震時に落下する危険もあり私は撤去した。
電気温水器の普及で天日の温水器は少なくなった。国家的には夏場のエネルギーを各家庭で回収するのが省エネになるのだが

金盥や盥も昭和の死語になった。
NHKの午後昼のラジオ番組で30代のアナウンサーが金盥をカナダ ライと読んだ。
いつもイジラレ役のアナウンサーに忠告のメールが多数。

電化製品の普及やエネルギーの変革で昭和の時代は大きく変わった、
岡山文庫に昔の農具、漁具、家庭用品の本がある。
昭和の記録をした人がいるのだ。民俗学の研究をしていた人は細かく記録している。
それも20代から
自分も何か一つテーマをもって記録していきたいものだ。

蒸気機関車 伯備線

2016年06月14日 | 蒸気機関車
撮影場所 岡山県伯備線清音付近
冬の朝の早い時間に高梁川の土手から撮影する。
逆光で白い煙を狙ってみた。
冬場の霜の降りている無風の早朝は一番煙が美しい。
霜が降りるということは風がないということだ。
気温が三度くらいの朝の煙が美しい。平坦路でも白煙をだす。
晴れた日中だと気温が10度まで上がると白煙は時にはでなくなる。
蒸気機関車の写真はアングルだけではなく煙との勝負でもある。


今も蒸気機関車の撮影は人気があるようだ。
今は三脚でビントも露出も合せてくれし連写なので失敗が少ないのだろう。

私など茅葺民家で静止したものを撮るのに失敗が多い。
カメラの扱いを十分理解していないのが要因。持ち運びの時に手があたり設定モードが変わっている。いつも絞り優先で撮っているのに速度優先になっていて露出が開放になって甘い画像。
夕暮れに撮り感度絞りを戻さず次の日も撮ったり。
フードキャップが緩み画像の角に影、車から撮るので水平が分からず傾いた画像ばかり。
取り扱う人にボケが来ているのが要因だが、これからも失敗するのたろう。















岡山県の茅葺民家 岡山市西大寺

2016年06月13日 | 茅葺き民家
岡山市西大寺に茅葺民香が三軒続くところがあった。
何回か撮影に訪れる。夕方に畑の奥さんが作業をしていたので撮影させてもらう。

写真はその場所に行かないと撮れない。その場所、その時に遭遇しないととれない。
また本人がシャッターを押さないと撮れない。

そんなアホらしい事はわかっているという。
それならあなたの青春時代の人々の暮らしや町の様子をカメラに収めたかというとわずかな人しかやっていない。それは関心がなかったためと、目的意識を持たなかったからだ。
そんなことには興味を持たず生きたか仕事や家庭に頑張ってきたかであろう。

過去には戻れないし若くはなれない。
自分は今日が一番若い自分にもやれることがある。。


写真は自分の生活の記録でもある。ライフログなのだ。
一庶民の生きた人生の記録である。

何をテーマにするかは日頃からニュースやネットをみて自分の関心のあるものにアンテナを張る。それは何でもではなく好きなものに絞ることにしている。関心がないのにAKB48のことまで知らなくてよい。

いいかげんにしてよ

2016年06月12日 | 日記
東京都知事の舛添氏の一連の記事が我々他府県の者にも毎日耳に入る。
マスコミは鬼の首を取ったようにあらさがし。確かに舛添氏のやった事は姑息で常識を逸脱している。
マスコミも都民も辞職するまで追いつめている。辞任に追い込めばマスコミの大勝利だ。
辞任すれば都政は改善するの?
都政のことより辞任させる事が目的に思える。都政の将来より視聴率向上や本が売れればよい。
二年しか持たない都知事が続く。辞職に追い込むのは集団リンチである。庶民まで日頃の不満を舛添氏にぶつけている。
部外者から見るとヒステリックにしか見える。ママスコミの記事を書く人もあんたは出張旅費を姑息に浮かしたり会社の経費で私的に飲んでないか、

どこかに落としどころを見つけるべきだ。
辞任させてまた選挙に50億の費用がかかる。
それよりも任期中の舛添氏の給与、賞与を三割カットで折り合いをつけるべきだ。
どちらが得策か都民が提案すべきだ。
だれも調整をできる人がいないのも情けない。

私が懸念しているのはこんなにごたごたしてはオリンピックの準備にも支障がきたす。一番怖いのは災害時の対応である。災害や事故は弱点を襲う。組織や個人のレベルの低さや設備の弱点を突いてくる。
東日本大震災がその典型だ。時の民主党党首の対応、東京電力福島第一原発の設備の設計の悪さ。
塩水をかぶったら電気設備は機能しなくなる。電気設備や非常用ディゼル発電機を地下に置さ浸水してしまった。
最後の砦の心臓部を海水につけては助けようがない。
津波は押し寄せたが浸水を免れた福島第二原発や女川原発は最悪のメルトダウンはまぬがれた。
東京は直下型地震の懸念がある。人口が尋常でない。どんな災害になるのか想像もできない。
災害は組織、人、設備の脆弱なところを必ず襲う!!