懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺民家  滋賀県愛荘町の民家

2016年06月12日 | 茅葺き民家
名神高速道路からこの民家は見えた。
最近は民家に近い高速道路は防音を高くして民家が見えない。
滋賀県も街を離れると茅葺が残っている雰囲気だ。

私は昔ながらに五感で探す。茅葺民家の残っていそうな家並を探す。
道幅や屋根瓦の古さ、集落の形成でなんとなく集落の歴史がわかる。
長年付き合っている家内も古い街並みには何かありそうという。
滋賀県や奈良県には昔ながらの集落が残されている。゛

滋賀県は私のところから三時間半の距離だが日帰りか一泊するかの場所だ。行く気
になれば行けるところだけにかえって足が向かわない。
滋賀は琵琶湖も一周し七回訪れたが印象が弱い。
通った道、行った場所を地図に記録していので忘れてしまう。
旅行から帰ったらすぐに撮影記録を残さないといけない。今頃になり反省している。

滋賀の民家の特徴がでている。破風飾りに前垂れがついている。アワビの殻を乗せるのも特徴。


日本茅葺紀行 NO,294 秋田県田沢湖周辺の民家

2016年06月11日 | 日本茅葺紀行
田沢湖は直径が6kmの丸い池で周囲はは20km
湖に沿って道路があるので車てもサイクリングでも一周できる。
茅葺民家を求めて走る何軒かの茅葺にであう。
しかし、7年して訪れたら茅葺は消えていた。
その時は近くの乳頭温泉郷に泊まった。

秋田の民家は棟に棟木を乗せるのだ。地元では鞍とよばれているようだ。
最初の秋田で中門造りをみる。

田沢湖はカルデラ湖で水深が日本で一番深い。423メートルの水深
標高が249メートルでそれより174メートル深くえぐられている。
ここも十和田湖と同様にカルデラ湖である。
カルデラは火山が噴火して火山灰を噴出するのでマグマの供給場所が陥没するとおもっていたがそうではないらしい。
NHKでカルデラ噴火の恐さを特集でやっていた。
カルデラ噴火はマグマ溜りが5kmから20kmkの円状に亀裂が入り一気に溶岩流が噴出し陥没するのだそうだ。普通の火山噴火とは噴出物の量も速さも範囲も違うそうだ。

阿蘇山の場合は火砕流が山口県の秋吉台まで流れたそうだ。
火山灰は北海道まで飛散している。
火砕流の100km/h以上の速度で高温が襲うので生物は絶滅する。
日本で最大のカルデラは阿蘇山と桜島の北側の姶良カルデラだそうだ。
富士山周辺でカルデラ噴火があれば首都圏は全滅であろうと放送していた。

田沢湖のカルデラ噴火の溶岩がどこに飛んだか分からないので湖の誕生には疑問が残るそうだ。
田沢湖には固有のクニマスが棲息していたが富士五湖の西湖で発見されて話題になった。
さかなクンくが発見に一役買ったのを天皇陛下が称えたこともあった。
田沢湖は玉川のPHの低い水を引き入れたため魚が絶滅している。
戦前に魚の絶滅を危惧してクニマスの卵を各地の湖に移したようだ。



昭和の遺物たち 炊事洗濯 その1

2016年06月10日 | 昭和の遺物たち写真展
撮影場所 栃木県芳賀町 
茅葺民家を求めて訪れた家で竈が現役で残っていたので撮らせていただいた。
9時頃にお邪魔したそら忙しいのに奥さんとお母さんが丁寧に対応していただいた。

茅葺民家の撮影はいままでどれくらいの迷惑を掛けたことか。
恥の上塗りも多々あった。
人生は無礼なことも失礼な事も時間と共に忘れないと生きていけない。

この竈は赤飯や郷土料理のシモツカレを作るのに使うそうだ。
NHKの郷土料理の番組でこの家の竈を使いシモツカレの実演を奥さんがやった。

シモツカレは栃木の郷土料理、大豆や大根の煮付け
節分で余った豆を使ったのがはじめとか
大根は鬼卸しと呼ばれる大根突きを使う。

県民ショーで栃木にはどこの家にも鬼卸しがあるとやっていた。

竈の横に置いてあるのがもみ殻クド、栃木ではヌカクドと言われている。
これで炊いたコシヒカリが最高にうまいという。
以前泊めていただいた栃木の農家の方がそう言っていた。

歴史的、瞬間が近づいた

2016年06月09日 | 日記
歴史的瞬間が近づきつつある。

イチローのMLB(メジャーリーグ)3000本安打の時が近づいている。自分の生きている間にこんな大記録に遭遇できるのは喜びであり生きていてよかったと思う。私の人生の中でも一番のスポーツトピックスになるとおもう。
今後、日本人で野球の世界では100年間でてこないであろう。韓国のスーパースター秋信守は、高校校卒業後すぐMLBに入団しているが11年で1170安打である。3000本打つのはアジア人で初めてである。

今年のイチローへの専門家の予想は年間31本安打であったがすでに59試合で36本打った。残り29本はリオオリンピック開催中に到達しそうだ。昨年はもう引退かと懸念されたが今年は大きなスランプもなく走攻守に活躍が目立つ、ヨタヨタでやっと3000本ではなくみんなからレジェンドとして祝福されて達成してほしい。

世界の大男や猛者が集まるMLBでの活躍だから素晴らしい。
柔道でもボクシングでも国内ではいくら勝っても世界の舞台で活躍しないと本当の実力ではない。

野球は歳をとると速球が打てなくなる王や長嶋の時代は140km/hを越えれば快速球だった。王とて同じで快速球が打てなくなった。今は150km/h以上の投手と対戦しなくてはならない。イチローは豪速球も打ち返す力をもっている。
相手に研究されても常に向上させていったのであろう。MLBでは常に研究しないと生き残れない。

体重がMLBに入った時から1キロしか増えていないそうだ。
節制の賜物である。選手が故障するのは不摂生が原因だ、試合が終わり朝まで飲みに行く。金もあり女、ギャンブルなかには薬、これで身を崩す。これは選手に限らず庶民にも当てはまる。漂流老人にならないためには真面目に慎ましく生きるしかないのだ。

外人はイチローよりはるかに大きいので体を大きしたいがそれをすると緩慢になり怪我も増える。
日本のプロ野球も筋肉トレーニング大きくするがすぐに故障する。
ヤクルトの山田哲人のようなしなやかな体でもホームランが量産できる。
早稲田実業の清宮は高校生で腰痛持ちである。やることが豪快だからプロも注目するがあの体では故障で短命に終わりそうな気がする。

イチローは高校生の時に59キロしか体重がなくプロのスカウトもあれではプロでは通用しないと言われた。MLBでも入団時はあんな細身でやれるのかであった。しかし、三塁封殺のレーザービームで評価は覆った。
(あの時、張本勲氏はあの程度の三塁封殺で驚くのは大リーグのレベルとはその程度のものだと言ったのをよく覚えている)

今回は国民栄誉賞を受賞してほしい。過去に拒否した二回は現役で発展途上だったし政治的に利用されていたので拒否もわかる。しかし、今度拒否したら国民栄誉賞はつまらない物と言っているようなものだ。過去にもらった人に対して失礼だ。国民栄誉賞も前回の長嶋と松井の受賞は基準がおかしい。何一つ世界レベルの記録がない。人気は評価の対象にすべきではない。

これから3000本のカウントダウンが始まる、この歴史的一瞬をこの目で見とどけたい。

岡山県の茅葺民家 岡山県吉備中央町

2016年06月09日 | 茅葺き民家
旧加茂川町にあった茅葺民家、加茂川にも茅葺民家はあったが一軒一軒と姿を消し最後になったこの民家も建て替えて姿をけした。
隣に足王大権現という足の神様を祀る小社がある。
足の悪い人が信仰にきたのであろう。
目の神様や子宝、安産の神様と日本は何でも神様にする。
猫も犬、キツネ、馬、牛も信仰の対象になる。

田舎のはずれの小さな神社を巡り歩くのも面白いとおもう。
私はあるけないのでこんな趣味はできないが定年後時間のある人はライフワークにすると面白い。

加茂川町はブッポウソウの生育地でも有名、渡り鳥でブルーの羽の美しい鳥だ。
絶滅も懸念されている。加茂川町には100つがいが棲息している。全エリアが保護エリアになっている。今がちょうど子育て期


茅葺民家  広島県熊野町の民家

2016年06月08日 | 茅葺き民家
広島市のすぐ隣の熊野町には今も茅葺民家が残る。
私のところから140kmくらい、 この距離だと一般道日帰りコースである。
昼はお好み焼きを食べるのが定番だ。
熊野町へは高速道が近くまでできているので便利だ。
現在は山陽道の分岐から呉まで無料区間で交通量も少なくお得な道路である。
広島の茅葺民家の所在は写真や絵の展覧会で知った。
隣の県なので展覧会に六回足を運んだ。

写真の民家は土塀に石垣のいい民家だった。
枝垂れ桜が満開の写真を見たことがある。素晴らしい。
今は個人の家でないようだ。前に芝桜を植えて興覚めである。茅葺民家は余計なことはしないほうがよい。すればするほど嘘くさくなる。

一度は桜の頃に行きたいと思うが場所を忘れてしまった。車一台の道で車椅子を降ろし通行するスペースがないように思う。車が来たら交わせる広さがないのが厳しいところ。
枝垂れ桜は美山町や京北町に池は沢山あるので我慢しよう。





日本茅葺紀行 NO,293 京都府旧美山町の民家

2016年06月07日 | 日本茅葺紀行
美山町の東の端に佐々里峠がある。これを越えれば京都市の広河原
さらに進めば久多や花背に行ける。
茅葺ロードと呼ぶべき地域である。
三十年も前はどんなにすばらしかったのであろうか。

京都市と言っても街からだとかなり時間がかかる。一時間半は掛るだろうか。
山道、峠道、鞍馬への道も険しいがそれから花背峠を越えてひたすら山道を走る。
私も茅葺を探しにこの山道を何度も走った。

ガソリンと時間を使い山道を走り回った情熱はなんだったのだろうか
次来たら茅葺民家が消えるのではないかという脅迫観念だろうか
茅葺民家を沢山撮ったからと褒められるわけでもない。
何歳になっても何かに情熱を持って燃えていたいのであろう。
佐々里峠にあった茅葺民家、峠のふもとの民宿に泊まり久多に向かった。

ここ10年以上民宿なとに泊まれなくなった。
地元の話が聞けなくなり詰まらない旅行になっている。
この民宿には鹿の角を沢山飾ってあった。毎年生え代わるのを拾って帰る。鹿は毎日川辺に降りて水を飲むそうだが雪の多い時に川に落ちて這い上がれなくて命を落とすのがいるそうだ。
川辺で拾う鹿の角は溺死低体温だそうだ。


昭和の遺物たち 路地 その2 リアカー

2016年06月06日 | 昭和の遺物たち写真展
撮影場所 岡山県寄島町大浦

古い町並みとなまこ壁民家のところで写真にふさわしい人が通るのをひたすら待った。
リアカーにトロ箱を積んだ自転車が来た。ラッキーとシャッターを押する

こんな木のトロ箱も少なくなった。ほとんどが発泡スチロールの箱に代わった。
一升瓶の箱も姿を消した。一升瓶の木箱を山の様に積んであったのが昭和の風景である。
一升瓶の木箱、こんな写真を残している人は時代を意識していた人であろう。

トロ箱とはトロール船から獲った魚を入れる箱からつけられた名前だそうだ。
リアカーも最近では見なくなった。こんな事を家内の友達と話していたら兼業農家をやっているのでうちはまだ現役で使っている。モンペ姿で麦わら帽をかぶりモデルになりましょかと面白くいう。
このリアカーは後ろの荷台を引くのでリアカーと名前が付いた。和製英語だそうだ。

私は写真のヒントにするために庶民の生活の場が出てくる番組を欠かさず見ている。
1.フラタモリ タモリはよく勉強している。地形や地質、地割は街並み探訪にはかかせない。
2.家族に乾杯 鶴瓶の人と仲良くなるテクニック、庶民の暮らしいろいろ
3.ドキュメント72 72時間同じ場所で人の動き観察、写真を撮るのはこれが基本
4.小さな旅 観光地でもない ごく普通の日本各地の人々の暮らしが見える。

死ぬまでにやっておきたい五ッの事

2016年06月05日 | 日記
死ぬまでにやっておきたい五ッのこと

以前、映画で「死ぬまでにやっておきたい10の事」というのがあった。若くして末期がんの女性が残される夫や子供のために10の事を実践した物語だった。

私は56歳で歩行障害になった。定年の60歳では杖が必要になった。それでも定年後二年半は再雇用で勤めたが杖二本で何とか歩行しながらの勤めだったがついに解雇になった。
何度も入院して検査と治療したが改善しなかった。
医者からは神経の難病と診断された。足から手、目と抹消部が次第に悪くなっている。
特効薬がないから難病に指定されるのだと思った。
会社を辞めてからは車椅子生活になった。
私の先輩や同僚は70歳までは半数が仕事をしていた。私も定年後は70歳までは働くつもりだった。
家庭でも仕事でも社会でも何の役にも立たない人間になった。生きてゆくためには出来ない事を悔んでも仕方が無かった。こんな自分でも何ができるかを考えた。

人生の総決算に自分史を残す人が多い。しかし、自分には自分史に残せるものは無かった。勉学も仕事も家庭も精一杯やったかとなるとあやしい。生きる工夫やノーハウの蓄積もあまりない。
過去に図書館で自分史を何冊か見たがあまり面白くない。失敗や愚かさやトラブル、夫婦の不仲、セクハラやパワハラはなかったのか。人間叩けばホコリもでるでしょうとおもった。
一万二千人買春した横浜の中学校長の自分史も綺麗ごとを並べるのであろう。
だから自分史なんか絶対に書きたくなかった。

自分には長年撮影してきた写真しか遺すものはなかった。
写真はカメラを覗きシャッターを押すだけと思われがちだが四十年も経過すると写真がメッセ―ジを発してくれる。
過去の写真を整理していると写真は自分の思考の記録だなと思った。ボンクラでも撮る必要性や将来予測をしてシャッターを押しているのだ。それは本人が亡くなっても未来永劫、本人の化身としてメッセージを発するのである。(写真が時代を語るものは人々の生活の写真にかぎられる。自然はだめ)

私は長年、茅葺民家の写真を撮っている。写真の整理と共に死ぬまでにやっておきたい五つの事を設定した。

1.茅葺民家を四千軒撮影する。
人間は数値目標にしたほうが頑張りやすいし「見える化」される。これは24年間掛けて4500軒撮影できた。撮影に要した延べ日数は460日。車椅子生活者が撮影を続けるのはハンディであるし家内に全面的に手伝ってもらわないとできない。しかし、やるのに健康は関係ない。情熱があるかやり抜く精神力があるかで決まる。健康でも何もしない人は大勢いる。 私よりはるかに茅葺民家を撮影した人はいるが、私はこれで満足している。撮影を始めたのがイチローのオリックスに入団した頃だった。イチローの安打をライバルに頑張った。

2過去に撮影したフィルムのフィルムスキャンをする。
ネガなど今の時代残されても子供は迷惑なだけ。パソコンで見られるように電子化の必要がある。フィルムスキャナーを購入しコツコツとほぼ毎日30枚以上やった。今は外注でスキャンをやってくれるが高画質スキャンだと250万円かかる。フィルムスキャナーは需要がないので高いがそれでも自分でやるとはるかに安い。仕事を辞めて七年半ですべてのスキャンは完了した。

3.スキャンした写真をプリントし写真展を定年後、五回以上行う。
昨年9月に五回の写真展を実施した。一回目、茅葺民家、二回目、昭和の古い町並み、三回目、昭和の蒸気機関車、四回目、岡山の茅葺民家 五回目、昭和の遺物たち
9月に六回の写真展を行う予定                   

4.写真のアルバムを作る。
A4プリントをクリアーファイル50冊作る。A3サイで500枚プリントする。アルバムにすることでみんなに見せやすい

5.撮影のため訪れた土地の紀行文を残す
 ワードで文と写真 300箇所

難病になって14年、死ぬまでにやっておきたい五ッのこともほとんど終わりに近い。これが健康であれば終わっていたか疑問だ。健康であれば整理作業など面白くないカメラを持ち日本中、世界中を駆け回っているに違いない。健康な人は体を動かした方が楽しい。何の整理もしないために亡くなって処分される人も多いと思う。健康ならば女あそびで妻に愛想をつかされる熟年離婚していたかもしれないな。

人間死ぬ間際がくるといろいろ生きた証に作品を残すがこれは残された子供たちにとってありがたい事かどうか疑問におもう。押入れを一つ占領する資料の量、遺書に書いておかねばならない。
興味が無ければ人にあげるかゴミとして処分してほしいと。


蒸気機関車 日豊線南延岡の8620形

2016年06月05日 | 蒸気機関車
大正時代に製造の8620型蒸気機関車にはいとおしさを感じる。
蒸気機関車の終焉まで残ってくれたのは嬉しい。
現在も復活した8620型蒸気機関車もあるようだ。

8620型は南延岡に開業当時から終焉まで所属していたそうだ。
細島線や入れ替え作業に使っていた。
門鉄デフタイプの8620型も南延岡には所属していた。
写真の一台はプレートに型式が入っていた。

過去に撮影した蒸気機関車を一人でこっそり眺めていると心が落ち着く。
高齢になっても若い頃の思い出として私のように楽しんで人もいるだろう。

病院に入院している時に自分の撮った写真をDVDに入れて見た事があった。