ちび庭日記

借り家住まいのちいさな庭の植物達を中心に、身近に感じたことを載せてゆければいいな~と思っています…(^_^)。

か・ん・こ・う・た・い・こ・く のゆくえ

2008年11月25日 | 北京旅行

え~、いつだったか、「東京をガーデンシティに」という話に目を輝かせたものの、その後それほど目覚ましい印象もなく。まあ、それでもすこしずつ、新しいスポットには緑が増えましたよね、と思っておりましたが。

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北京では、本当に圧倒されてしまいました。街の中に堂々とそびえるたくさんの大木、その樹冠の健康的なこと。どこまでもきっちりと手が入れられた、美しい緑地帯。その大規模なこと。奇岩を組み合わせたダイナミックな庭園、陳腐な想像を気持ちよく裏切る造形美。

やっぱり、大陸のスケールは違うのね~。確かに、こんなに公園やら施設やら何やらの規模が日本とは桁違いに大きくても。飛行機から見下ろせば、そんな北京の街も、深い深い無人の乾燥した山脈が広がる大陸の,ほんの、小さな一部分。どこに行っても家があり、誰かしらには出会う小さな島国の日本とは、ほんとうに違うんだ。

でも、どこかしらに、そんな島国に海を越えてやって来た、庭園文化のルーツを感じます。あの京都の、こじんまりした坪庭に納まるまでの、日本庭園の原型を。空海が、最澄が、はるばる大海を渡ってやって来た(といっても、彼らがたどり着いたのは北京ではなく西安でしたが)目には、都はさぞかし最先端のきらびやかなものに映ったのでしょうねえ。

悠久の大河、雄大な峡谷、大自然と優美な石橋、壮麗な寺院仏閣。大陸中のあらゆる風景が大国の都の庭園の中に縮景として表されて宮廷の人々の目を楽しませ、そんないくつかの風景の「お約束」が、はるか日本へと伝えられると、さらに縮景にされて、禅の庭に反映される。

頤和園の昆明湖にも、北海と呼ばれる故宮横の大きな湖にも、それぞれ「蓬莱山」を模しているであろう中の島が。この単位の湖が、日本では数十m単位の池となる。そして、蓬莱山中に数々建立されているお堂や祠は、灯籠や石塔として簡略に和庭に再現される。なんとおもしろいことよ。ずいぶんと壮大な伝言ゲーム、とでもいうべきか。命がけで海を越えた僧侶たちが本当に伝えたかったのは、こんな破天荒な感動だったのか、と、ただただひたすら感嘆するばかり。京都でみた数々のちいさなお庭たちを頭に思い浮かべながら、名所を歩き続けました。

どれも、桁違いの規模の人の手をかけて築かれた風景。日本のみならず、これだけはどう転んだって他のどの国も真似ることはできないだろう。

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そして、庭主が最も気になるところ。それは、10年、20年、30年後の北京の風景。もし、仮に、市場経済化が進んだとしたら? この国の人々が今よりずっと豊かになり、人件費も上がっていったとしたら?

そのとき、この美しい緑地帯は、公園は、まだ瑞々しく維持されているだろうか。日本のように、「お金がないので維持できない」、なんて、荒れて悲しく雑草ばかりが目につくなんて事がないように、世界第一級のガーデンシティであり続けてほしい、と思うのです。

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