梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

トオルの事

2012-08-02 18:34:49 | 雑記
集団就職で紡績工場に行った姉が結核を患って戻って来た、当時の紡績はあまり環境は調っていなかったのだろう、細かな繊維を吸い込んで肺に溜まったらしいが病名は「結核」だった、
天竜川の東側に結核療養所が有って其処に半年くらい入っていたのではないか、
自分は未だ小学校低学年だったと思う、療養所から自宅療養になって秋口に家に戻って来た、
しかし、我が家は極貧である、結局市内のパチンコ店に働きに出かける事になった、今のパチンコとは随分違う、椅子などは無く立って打つ、左手で玉を流し込んで右手でハンドルをはじくスタイルだ、玉は台の上をレールで流れて来るが詰まった玉や入賞しても出ないことなどの対応に「台裏」と言う従業員が居る、トラブルが少ないので大抵娘さんが入っていた、まあ「娘さん」とは言い難い人もかなり居たが、
姉に会いに日曜に出かけて初めてラーメンと言う物を食べさせて貰った、残念ながら味は良く覚えていない、数ヶ月で客に誘われて喫茶店に勤めを代えた、実を言うと私はここで初めてお菓子ではない「ガム」を食べた、
未だその頃姉は田舎の家からバスで市内に通っていたのだが何年頃だったのか覚えていないが村に1人若い男が住み着くことになった、
「トオル」といった筈タだが歳は多分17歳か18歳位だと思う、二十歳には届いていなかったのではないか、
終戦間際に村の寺に東京から疎開して来ていた家族が有ってその中の1人だった、
終戦で東京に戻ったが家は焼けてしまい両親も亡くなっていたらしい、親戚か知り合いのところで過ごし生活が荒れて子供なりに不良グループと粋がっていたと言うのは本人から聞いた話である。
丁度流行っていたジャックナイフを持っていて子供を集めて見せびらかしていたがその度に和尚に怒られていた、しかしこの村の生活がそれ程嫌でなかったのかそれとも都会に嫌な思い出でもあったのか「村を出る」と言う雰囲気は全く無かった、
ナイフの他に良く見せたのは太股に残るナイフの跡と二の腕に入れた刺青だった、模様はもう覚えていないがこの刺青が私の記憶の中に大きく残る事になる