梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

映画の話、中村錦之介

2012-08-29 20:21:38 | 雑記
掛川は小さな町だがそれでも映画館は3館あった、東映を主に掛けていたのは「栄劇場」日活を掛けていたのは「掛川座」、東宝、松竹は「中央劇場」で洋画は浜松まで行かないと見られなかった、しかし中学の頃見ていたのは殆ど東映の映画だったのでさほど苦にはならなかった。
小学生の頃は映画館に行く事は滅多にない、村の公民館か季節によってだが小学校の校庭で掛かる映画位だった、校庭で見る映画は大抵夏休みの頃なので映写機の前に大量の蛾が寄ってきてスクリーンには蛾の影が躍っているが誰も気にもかけていない、
各々自分達で筵を持っていって地面に座って見る、渋団扇も必需品である、この頃の映画はちょくちょくフィルムが切れる、大抵いい場面で切れる事が多かったと思うが若しかするとそうでもない時も切れたのかも知れないが夢中になってみているときに駒が流れたと思ったらスクリーンが真っ白に成るのでその時の印象が強いせいかも知れない、
大抵は先にニュース映画を20分位流し、漫画映画を数本、この頃の漫画映画といえばディズニー物だったがなんだったか覚えていないな、
正しく老若男女が村中から集まる、従って全ての希望に沿う様に組み合わせるのだろう、就学年齢以下から70位の爺婆まで居るのだから仕方はない、
しかしそれでも村人にとっては年に何回かの娯楽で本当に楽しみにしていた、大抵映画館で掛かってから数年経った物だったのだろうがそれでも「愛染かつら」や「次郎長三国志」なんかもここで見た様な気がする、
中村錦之介を最初に見たのは恐らく小学校近くの「三区公民館」だったと思う、題名は覚えていないが「源氏九郎なんとか」と言うちゃんばらで錦之介は幾つ位だったのだろうか、かなり若かったと思うが此方が子供だから「若い」と言う印象はない、ストーリーは全く覚えていないがモノクロ映画で総髪の真っ白な着流しで今考えるとまるで経帷子みたいな格好だがあの当時はこんな剣士がやたらに多い、足を揃えたまま真っ直ぐに立って両手に刀を垂直に持って構ええる、確か「胡蝶剣」とか言う剣法だが大刀はかれこれ一貫目近くある、此れをまっすぐに延ばした両手で垂直に立てて構えるというのは相当な腕力が要る、どう見てもあの優男では考えられないが、
そんな事を考えるより踊るような殺陣を素直に皆楽しんでいた、通称「ナカキン」の映画は随分出まわった、年に何本撮っていたんだろう?彼の役で覚えているのは「一心太助」「森の石松」だが中学の時に始めて汚れ役をやった、「鮫」と言う映画だが此れを学校で見に行ったのだがこの映画では野武士の下っ端で村を襲い村娘を強姦するシーンが有ったが何であんな映画を学校で見せたのか、確かに何か賞を取った文学作品だったが14~15の餓鬼にはその深い内容より村娘を折り敷いて着物を剥ぐと脂ぎった表情で笑いながら体をゆすっているナカキンの表情の方が生々しく頭に入って来た、
子連れ狼でブレイクしたが結局晩年は余り良くは無かった気がする