梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

原爆投下は戦略的攻撃だったのか

2012-08-06 15:33:50 | 雑記
又広島原爆の日が来た、長崎の日、そして敗戦となる、実際には20年3月10日の東京大空襲時点で既に「死に体」状況になっていた、制空権は略完全に消滅し無防備の状態で主要都市は次々と空爆を受ける、太平洋岸の都市は僅か数キロから艦砲射撃を受けると言う状態でとても「戦争状態」を維持しているとは言える状況ではない、外地も玉砕と撤退以外の戦況は無く弾薬も燃料も医薬品も食料すらも無くなっていた。
この状況は日本国民の殆ど知らされていなかったようだが「日本帝国陸軍」より米軍の方が正確に知っていた筈である、
戦争はどちらかの戦闘能力が失われた時点で終わる、そう言う意味では既に戦争は終えていた、
無意味の無い抵抗続ける日本の軍部にも大きな責任はあるが米軍少くない日本軍の戦闘力を排除して行くだけで充分戦争を終わらせる事が可能だった筈である。
制空権も制海権も完全に消滅しているのだから上陸用舟艇を日本の長い海岸に一気に上陸させるだけで充分制圧は出来た筈だ、
ノルマンディ上陸よりずっと簡単だろう、国内に戦闘員は殆ど居ない、大本営の軍人が抵抗する力なぞ有るわけも無いし竹槍が何の役にも立たない事は誰もわかっていた。
連合艦隊は沖縄に玉砕し、戦闘機も燃料も無い事をアメリカ軍は知らぬわけは無が米軍はそうはしなかった、
19年の秋頃から重点的に非戦闘員を標的に空爆を激化させる、「日本の家屋は木と竹と紙で出来ているから直ぐ燃える」一番効率の良い焼夷弾を開発し日本中の都市を絨毯爆撃した、焼夷弾は軍事施設には殆ど役に立たない爆弾で軍需工場は通常爆弾を使用している事でも意図的であることは明白である、戦闘機は逃げ惑う国民や一般人の乗った列車まで機銃掃射した、
そして原爆、当時のアメリカ政府は軍部の「戦争を終結させるには絶対に必要でありこの事で我が国の国民もしいては日本人も救った」と言うコメントを繰り返していたがこの年代の退役軍人が死んでやっとその資料が出始めた、「原爆は都市に投下してその効果を確認したかった」と言う資料も発見されている、あれは米軍幹部と産軍共同体の「終戦後の国体維持」の為の甚大実験だった。
「生物兵器は非人道的だから国際条約で禁止」されている、しかし放射生物質の影響は細菌兵器より除去する事が出来ない、数千年と言う期間を待つしかないのだ。まあ「人道的な兵器」などはありようも無いのだが
戦争はどちらかの戦闘能力が喪失すれば終結する、此れは誰も分る筈である、しかし人間は全く違う戦いをする、まるで戦争を楽しむが如く戦争をする。
戦略的には直接意味の無い非戦闘員を殺戮するのは肉食人種の性なのだろうか、それでも近代戦争になってから都市を狙った攻撃はナチスドイツが行ったロンドン大空襲とV1・V2号位だろう、
しかしアメリカ軍は日本に対して執拗に且つ徹底的に行った、その後もベトナム戦争でも第二次中東戦争でも頻々とアメリカ軍が一般市民に銃口を向ける事が起きた、其れが「アメリカ人」と言う人種なのかと考えた時「アメリカ人と言うIDは一体m何なんだろう?」と大きな疑問が湧いてきたのだ、
「アメリカ人」と言う人種は居ない、アメリカと名づけた地域で非常に多様な人種が集まっている団体でしかない、こう言う集まりだから「人」をまるで物の様に或いは荒野に履いている雑草のように邪魔だから焼き払えと言う発想を生んでいるのだろうか、カナダやオーストラリアの国民のアイディンティティと言うものとアメリカとは違うのか、この様なアメリカ国が世界の覇者になる事は決して人類の為にはなるまい