一昔前に「究極の選択」と言う言葉が流行った事がある、解散があろうと任期満了だろうと近い時期に選挙が有る。
正しく次の選挙は「究極の選択」をしなければならない、恐らく選挙制度が始まって依頼最悪の選択を迫られる事になる、当然棄権すると言う事は幸せになる為のいやこれ以上不幸にならないための権利を放棄することになる、
だが「この政党を支持する」と言うのは責任が取れない選択となってしまう、
むしろ「この政党には絶対に任せられない」と言う意思だったら幾つでも表明できるがその替わりに「この政党なら」と言う政党がない、いっそ投票用紙に「適任者なし」と書いて出そうかと考えているのだがこれ以上日本が沈下する事は絶対に避けなければならない、
民主党が経験不足なのは最初から解っていたがあれだけ言う事とやる事に乖離が有ると今後は何を言っても信用は出来ない、かと言って今迄好き放題をやった結果で民主党に政権を渡した自民党が過去の問題を反省したとはとても見えない、
むしろ此れで与党に帰り咲いたら「国民は我々の50年は正しかったと評価した」と更に好き勝手に酷いことになる事は党首選挙を見ていると良く解る。
「維新の会」は明らかに人気先行でしか有るまい、出てくる政策も思いつきと言っては言いすぎだとは思うが深く検討したとはとても思えない、インパクト狙いとしか見えないのだ、
公明党も殆ど具体的な政策が見えて来ない、組んだ党にあわせての応援党と言ったら問題かもしれないが、どうも宗教の組織票頼みと言うのは政治政策とは相容れない、
みんなの党はどうもはっきりと見えて来ない、社民党は既に過去の党になった、その他の党は分裂の残渣の様な党ばかりだ、
唯一歴史を持ちその政策も結構具体的で庶民感覚なのは日本共産党だが党是が「共産主義・社会主義」ならやはり支持は難しい、社会主義が根本的に国政に向かないのは近代史で証明されているのだ、
性善説では不特定多数を御する事は難しい、一時的にでも国家が成立したのは抑圧が限度を超えた上被抑圧者の割合が極端に多くなった為で元々被抑圧社が社会主義の指導者になるとやはり抑圧搾取をするようになる事は歴史的、統計的に証明されている、
究極の選択をするまでに「この政党になら」と言う政策を示して貰いたい物だ。
正しく次の選挙は「究極の選択」をしなければならない、恐らく選挙制度が始まって依頼最悪の選択を迫られる事になる、当然棄権すると言う事は幸せになる為のいやこれ以上不幸にならないための権利を放棄することになる、
だが「この政党を支持する」と言うのは責任が取れない選択となってしまう、
むしろ「この政党には絶対に任せられない」と言う意思だったら幾つでも表明できるがその替わりに「この政党なら」と言う政党がない、いっそ投票用紙に「適任者なし」と書いて出そうかと考えているのだがこれ以上日本が沈下する事は絶対に避けなければならない、
民主党が経験不足なのは最初から解っていたがあれだけ言う事とやる事に乖離が有ると今後は何を言っても信用は出来ない、かと言って今迄好き放題をやった結果で民主党に政権を渡した自民党が過去の問題を反省したとはとても見えない、
むしろ此れで与党に帰り咲いたら「国民は我々の50年は正しかったと評価した」と更に好き勝手に酷いことになる事は党首選挙を見ていると良く解る。
「維新の会」は明らかに人気先行でしか有るまい、出てくる政策も思いつきと言っては言いすぎだとは思うが深く検討したとはとても思えない、インパクト狙いとしか見えないのだ、
公明党も殆ど具体的な政策が見えて来ない、組んだ党にあわせての応援党と言ったら問題かもしれないが、どうも宗教の組織票頼みと言うのは政治政策とは相容れない、
みんなの党はどうもはっきりと見えて来ない、社民党は既に過去の党になった、その他の党は分裂の残渣の様な党ばかりだ、
唯一歴史を持ちその政策も結構具体的で庶民感覚なのは日本共産党だが党是が「共産主義・社会主義」ならやはり支持は難しい、社会主義が根本的に国政に向かないのは近代史で証明されているのだ、
性善説では不特定多数を御する事は難しい、一時的にでも国家が成立したのは抑圧が限度を超えた上被抑圧者の割合が極端に多くなった為で元々被抑圧社が社会主義の指導者になるとやはり抑圧搾取をするようになる事は歴史的、統計的に証明されている、
究極の選択をするまでに「この政党になら」と言う政策を示して貰いたい物だ。