橋下大阪市長の出自がいわゆる「民」だと言う連載を週刊朝日が載せ、それに橋下市長が抗議、即時に謝罪し連載を注視したという
同和問題と言う「タブー」に触れたと言う事らしい、
私の記憶には余りこの「民」と言う記憶は無い、言葉として「」とか「民」と言う言葉は聴いた事が有るが特定の個人で此処の出身者と言う人達の記憶は無い、
掛川市のある地域が固有名詞で呼ばれていて其処が「」だったのは知っているが其処に入ったところで特に変わった事は無いし普通に生活をしていた、確かに食用の牛や豚を殺す「」(今ではこの言葉は使えないらしいが)を生業にしているのはこの地域の人達だけだった様だが「民だからあんな仕事を」と言う物は皆無であの仕事は誰かがやらなければ成らないのは周知の事で余り気持ちの良いもんじゃないだろうに大変だね」と言う様な感想しかなかった、
東京生まれで東京育ちの女房に聞いたが「非民とかエタと言う言葉は知っているけど具体的に会った事も見たことも無い、知り合いからもそんな話は聞い事も無い」と言っていた、
自分がこの知識を得たのは藤村の「破戒」であり、白土三平の「サスケ」位である、全体中部以東には余りこの発想は無いのではないかと思う
東北でこう言う仕事に従事していたのは「山窩」と言う集団だが狩猟を生業として平地に住まいを持たない人達だが特に差別は無かった様だ、どちらかと言うと彼らが一般の人達との接触を嫌っていた様な印象がある、幕府の方も一般と違う扱いは年貢の免除と言う点位で身分制度のどの部分にと言う物は無かった様だ
陰亡と汚わい関連に多くの非民が居た様だがそれも血族と言うより仕事にあぶれた者達が最終的に落ちてくる様な者だったらしい
我々の年代でも生まれで貴賎が決まっている等と思う輩は層は居ないだろうと思って居たのだがどうも西の方はそうではない様だ、この考え方はおそらく東日本(沖縄と北海道は最初から無いようだが)の者には理解し難い気がする、
インドには未だにカーストと言う身分が有るらしいが日本では生まれで貴賎が決まると言う事は恐らくかなり昔から無くなっていたのでは無いだろうか
奈良時代から始まる日本の政治は「天皇家」と言う貴族が一党支配しているが実質彼らは飾り物でしかなく大化の改新から既に藤原一党が政治を握っている
その後武士の時代になると鎌倉・室町・江戸の覇者は元々農民の代表なのである、「お上の言う事は」と言うのも唯単に「強い奴ら」であって貴賎ではない
江戸時代士農工商と言う身分制度を敷いたというがそれ程はっきりした者ではなく結局一番下の商人が実質的に力を持っている、この世界は実力の世界で「百姓だから、大工だから商人になれない」と言う様な決まりは無い、江戸後期の大商人には引き売りから大きくなった者も多く居る
西日本に身分差別感覚が多く残るのは若しかしたら「京都=日本の中心」と言う考えに代表される貴族を頂点とする貴賎の考え方から一番下の平民が(こんな考え方もおかしいのだが)自分が最下層だと言う事を認めたくないが為に作ったガス抜きナのかも知れない、
余談だがイギリスで上院議員(此れも素晴らしく時代錯誤の呼び方だが)が警官を(平民が!)と言って辞職を余儀なくされたがあの国も少々情けない話だな、
肌の色では飽き足らず、出自で自らを上位の者だと考えるというのは自分の人間的な価値をその程度だと言っているわけだろう、「出自と肌の色以外彼方の自慢できる物は何?」と
面と向かって聞いて見たらどう言う返事が返ってくるのだろうか
同和問題と言う「タブー」に触れたと言う事らしい、
私の記憶には余りこの「民」と言う記憶は無い、言葉として「」とか「民」と言う言葉は聴いた事が有るが特定の個人で此処の出身者と言う人達の記憶は無い、
掛川市のある地域が固有名詞で呼ばれていて其処が「」だったのは知っているが其処に入ったところで特に変わった事は無いし普通に生活をしていた、確かに食用の牛や豚を殺す「」(今ではこの言葉は使えないらしいが)を生業にしているのはこの地域の人達だけだった様だが「民だからあんな仕事を」と言う物は皆無であの仕事は誰かがやらなければ成らないのは周知の事で余り気持ちの良いもんじゃないだろうに大変だね」と言う様な感想しかなかった、
東京生まれで東京育ちの女房に聞いたが「非民とかエタと言う言葉は知っているけど具体的に会った事も見たことも無い、知り合いからもそんな話は聞い事も無い」と言っていた、
自分がこの知識を得たのは藤村の「破戒」であり、白土三平の「サスケ」位である、全体中部以東には余りこの発想は無いのではないかと思う
東北でこう言う仕事に従事していたのは「山窩」と言う集団だが狩猟を生業として平地に住まいを持たない人達だが特に差別は無かった様だ、どちらかと言うと彼らが一般の人達との接触を嫌っていた様な印象がある、幕府の方も一般と違う扱いは年貢の免除と言う点位で身分制度のどの部分にと言う物は無かった様だ
陰亡と汚わい関連に多くの非民が居た様だがそれも血族と言うより仕事にあぶれた者達が最終的に落ちてくる様な者だったらしい
我々の年代でも生まれで貴賎が決まっている等と思う輩は層は居ないだろうと思って居たのだがどうも西の方はそうではない様だ、この考え方はおそらく東日本(沖縄と北海道は最初から無いようだが)の者には理解し難い気がする、
インドには未だにカーストと言う身分が有るらしいが日本では生まれで貴賎が決まると言う事は恐らくかなり昔から無くなっていたのでは無いだろうか
奈良時代から始まる日本の政治は「天皇家」と言う貴族が一党支配しているが実質彼らは飾り物でしかなく大化の改新から既に藤原一党が政治を握っている
その後武士の時代になると鎌倉・室町・江戸の覇者は元々農民の代表なのである、「お上の言う事は」と言うのも唯単に「強い奴ら」であって貴賎ではない
江戸時代士農工商と言う身分制度を敷いたというがそれ程はっきりした者ではなく結局一番下の商人が実質的に力を持っている、この世界は実力の世界で「百姓だから、大工だから商人になれない」と言う様な決まりは無い、江戸後期の大商人には引き売りから大きくなった者も多く居る
西日本に身分差別感覚が多く残るのは若しかしたら「京都=日本の中心」と言う考えに代表される貴族を頂点とする貴賎の考え方から一番下の平民が(こんな考え方もおかしいのだが)自分が最下層だと言う事を認めたくないが為に作ったガス抜きナのかも知れない、
余談だがイギリスで上院議員(此れも素晴らしく時代錯誤の呼び方だが)が警官を(平民が!)と言って辞職を余儀なくされたがあの国も少々情けない話だな、
肌の色では飽き足らず、出自で自らを上位の者だと考えるというのは自分の人間的な価値をその程度だと言っているわけだろう、「出自と肌の色以外彼方の自慢できる物は何?」と
面と向かって聞いて見たらどう言う返事が返ってくるのだろうか