梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

祭囃子が聴こえる

2013-08-14 17:19:49 | 雑記
夏祭りもそろそろ終わり、私の田舎は秋祭りで10月に集中する、しかし大きな祭りは京都の祇園祭りも東京の三大祭も東北も阿波踊りも夏祭りの様だ、
実を言うと私は余り祭りが好きではない、特別嫌いと言う訳ではないが強いて参加したいと思う事は無い、
人混みが苦手と言う事も有るのだがもっと根本的に祭りの雰囲気が苦手だ、思い返してみると多分それはやはり貧しかったせいではないかと思う、又親が偏屈で村の人との間に壁が有ったせいかも知れない。
しかし記憶に有るのは祭りが楽しそうなんだが其処には自分の居場所が無かったのは貧しかったからだと思う、
村に何時もとは違う音が溢れ、神社には出店が並ぶ、友人達は店の品物を嬉々として選んで歩く、しかし自分の手の中に有るのは一番安い物でも三つと買えない金額しかない、
恐らくその時(もっと家に金があれば)などとは考えていない、只、羨ましいだけだけだ、
結局皆が遊んでいる声を振り切る様に家に帰る、金が無い事も有るが仕事もある、段々遠ざかるざわめきと祭囃子は甘い思い出より切ない思いでしか無かった、
その気持ちが今でも祭囃子で蘇る、祭りのざわめきも夜店の明かりも妙に遠くに有って自分の前に有るのに画面に映る景色のように見える、
昔好きな漫画家に真崎守と言う人が居た、ガロやCOMの時代だったが独特の暗い画風で陰を多用する作品だった、その作品の中に「祭囃子が聴こえる」と言う読みきりがあった、そう言えばこの作家は連載はあまり書いていなかった気がする
確か天保水滸伝を独自の視点で書いたものだったと思うがその後映画で「天保水滸伝」(名前は違ったかも知れない)を見た時に同じ様な場面を見た記憶がある、
其れは利根川べりの芦原で労咳で動かない体でやくざの出入りに駆けつけて竹やりや刀で切り刻まれ恐らく眼も見えない状態で刀を振り回し既にやくざたちは其処には居ずに1人で刀を振り回しやがて崩れ落ちる平手の向うで祭囃子が響いている、
この祭囃子が自分にとっての音だった、遠くから響く祭囃子をぼんやり聞いていてもけっして其処に向う気は起きない、こんな詰まらない話を女房子供に話しても仕方ないと言うより雰囲気を壊すだけだから話す事は無かった、
笑って子供の手を引いて祭りに行ったが子供が大きくなったらもう行くことは無い、偶々女房も「人込みは疲れるから」と行こうと言わないがもしかしたら何となく気が付いているのかも知れない、
「本場の阿波踊りや風の盆が見たいね」と言う、そろそろ自分の中でも単純に楽しむ事が出来るかも知れない