梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

経済的には

2013-08-11 17:24:45 | 雑記
少し前の事、ニュースで児童手当と保育所の話が流れている時夫婦で「児童手当なんか無かったよね」と言う話になった、我々が子供を育てている頃「児童手当」は確かに貰えない時代だった、教科書は無料配布だったと思うが制服も体育着も当然の様に購入しなければならなかったし、修学旅行の積立てもPTA会費という奴も結構馬鹿にならず、子供に惨めな思いをさせない為に晩酌は夫婦2人で一番小さなビールを1本づつ(当時は180mlの奴があった)で我慢して「子供が卒業するまで頑張ろう」と言っていた、
しかし自分達を育てた親の世代はもっと厳しかった、教科書も全て購入で時代も貧しい家庭が多く教科書の内容に大きな変更が無ければ進級や卒業に合わせて教科書を譲る事も珍しくなくその為に教科書はなるべく綺麗に使うのが当然だった、学校も其れが特別の事でなく新教科が増えるときには「補追版」と言う小冊子を配る位だった、
時代が変ったのだしそれに越した事は無いのだが随分今の親は恵まれていると思う、
しかし少し前に「団塊の世代は恵まれている、若者世代をもっと豊かにする為に年金も減らすべきだし選挙権の重さを変えるべきだ」と言う様な事を言う若者が出て来た事がある、
昭和20年代産まれのいわゆる団塊の世代はある意味損なめぐり合わせの世代だ、
未だ戦後の影響が色濃く残り一部の金持ちを除いて殆どの家庭は食べるのに精一杯の生活で学費が払えないから上の学校に行けないと言う層より「口減らし」に就職する層が多く居た、「ああ上野駅」がヒットしたのにはそう言う下敷きがある、
年金は「あなた方がリタイアしたら現役時代の6割は年金で出ます」と言われて積み上げた年金は「破綻した」と言う一言で減額され、支給延期される、50代後半になったら63からに成り、60を超えたら65歳になり、今は「70歳から」と支給額も減らすという、我々より少し先輩は共稼ぎの夫婦で両方が貰っていたら先に無くなった者の半分を遺族年金として受け取っていた、しかし我々は「どちらか一方」しか貰えない、
失業保険の退職手当も20年ほど前に全く無関係の筈の「年金と退職手当を合わせてもらう事は出来ない」様になった、社会保険の個人負担も高齢になったら1割だったがそれも無くなる、介護保険費用も年金から天引きされる、何時もあと少しと言う所で条件は崩れてゆく、
確かに世の中は高度成長時代であり右肩上がりの社会は努力すればその分上に行ける時代でもあったがその上の生活と言うのは今の若者が「底辺だ」と言う生活が目標だった、
ニートと言う言葉がある、引こもりと言う連中が居る、団塊の世代には殆ど居ない、其れは決して世の中が良かったからではなく子供が何もせず家に引篭もっていても生活が出来るような社会基盤も経済基盤も無かった時代だった、口減らしに就職をする時代なのである、それでも子供た義務教育の期間は必死で頑張っても何もしないで家に居たら食費も被服代もとても出せる状態ではなかった、それでも駄目なら一家心中も考えるか親子の縁を切ってたたき出すしか生活を保てる訳も無い、そんな状態は子供達も育った環境から充分に理解している、家に引篭もるなどと言う事は衣食を欠く事は火を見るより明らかだ、だから悪くなる奴は積極的に悪くなる、仕事も転々として結果的に犯罪者になるにしても家に引篭もってしまうなどと言う事は考えもしなかった、
確かに日本経済は飽和状態になり閉塞感もある、しかし努力しても結果が出るかどうかわからないのは何時だって同じだ、世の中の仕組みと自分の力を信じるしかない、この局面を変えるのもやはり彼ら若者の筈だ、自分の境遇を自分以外の責任にしていても何も解決はしない、まあこんな事を言っても仕方ないだろうが「我々は損をしている」と真面目な顔で公言している者を見ると一言くらい言ってやりたくなる