梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

中国共産党と言う帝国

2014-07-23 18:37:32 | 雑記

日本には八百万の神々が居る、あらゆる物には神が宿る、記紀の世界では万世一系の天皇家が司る天上界から降臨した神々なんだがそれとは関係なく細かな神々がいる、火の神が居るがその他に竈の神も居る、火事を抑える火伏の神も居る、水の神も居れば雨の神も居て川の神様も居れば海の神様も居る、しかも上下関係はない、

ギリシャ神話もローマ神話もエジプトの神殿の神々も大凡は同じ様に多様な神々が居る、

しかしイスラム教の系譜をひく宗教は絶対一神教だ、キリスト教も原典である旧約聖書では見えなく名も無い絶対神がいてイエスは神の伝道者だ、

イスラム教は「宗教ではなく生き方だ」と何かの本に書いてあったが元来は同じ経典らしい、

儒教や仏教は宗教と言っても哲学や教訓に近い感じがする、釈尊も孔子も絶対神である訳もなく、釈迦に至っては生きる事に苦しみ、悩み其処から解脱する方法を考え続け自分なりに得た答えを共に語った弟子たちが経典としてまとめ師の教えと実践を互いに磨き上げる過程で多くの宗派に分かれて行きそれが世界に広まった、

論語はそういう意味では更に宗教とはかけ離れていて個人と社会の関わりを人間単位で的確に説いているだけである

どちらが良いかと言う事ではなく「そう言う物」なのだ、ギリシャ哲学も東洋哲学もあくまで「自分がどう生きるか」と言うところに重きを置かれているので宗教の目的とは若干違うのだろう、宗教自体発生はおそらく人間的不安を取り除く事と社会的な中心として法律から医療行為も含めて自然発生的に生まれ為政者のツール的に合致する方向に育って来たのだろう、そう考えると絶対神の宗教はやはり為政者が人民を統治するのに都合が良かったのだろうが伝道者であるイエスの説く教えが底辺の人々に浸透したと言う事だろう、

多神教における教えは最初から「あらゆる物に感謝」するというところに基盤を置いている、為政者はこの神々に使える使徒と言うより通訳の様な物である、

本来の仏教では為政者の目線は何処にも無くあくまで個人の問題に終始しているが此れが中国のフィルターを通って今の仏教になったと言う、

国民の総合体として社会を構成すると考えると孔子の教え、論語と言う教えは本当の意味で人の生き方、社会の在り方を実によく分析し教えとして完成して居ると思われるのだが、

今の中国から聞こえてくるのは「論語」の国としては本当に信じられない、無論中国大陸には非常に多くの人種が生活しているが今の中華民国を牛耳っている「漢民族」から孔子も孟子も出ているはずだ、中国にとって20世紀は確かに暗黒の時代だったろう、西欧列強と言われる絶対神の国から蹂躙を繰り返され、今迄属国以下だった日本にまで蹂躙され、それまでの儒教的考え方を根本からひっくり返されたのかもしれない、

しかし国民がそこまで変わってしまうとは容易に考えられない、今の為政の在り方と実際の国民の考えはかなりかけ離れているのではないのだろうか、

中国は3千年の歴史の中で何度も為政者が変わって来た、其の度に徹底的に粛清をして交代してきたが実際に経済を支えている国民にはさして影響は無かったはずだ、しかし現在の中国共産党の下では大きな格差が起き、一部の富裕層が多くの貧困層~搾取していると聞く、しかしこれでよく社会主義を名乗れる物だ、まるでロシア革命の前夜の様な有様だ、

まあ、安倍政権もこれに近い、だから当然中国とは相いれるわけは無い