梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

別に後悔していると言う事ではないのだが

2018-01-20 13:51:04 | 雑記
子供達とは8歳と12歳で一緒に暮らし始めた、各々家を持ち孫も出来たが未だに自分があの子たちの父親としてちゃんとできたのか今一つ自信がない、
こんな考えは子供達にとって返ってひどい話なのかもしれない、無論おくびにも出していないし女房が聞いたらかえって悲しむと思うので当然女房にも全く知られていない、と思う。
息子の方はやはり中学校からだったので負担は有っただろう、
特に女房が離婚後の生活で片親だと言う事を負い目にかなり甘やかして育てていたので一緒に暮らし始めてからかなり厳しく育てたと思う、
息子はそのこと自体に反抗したことは無かったが今考えれば自分の気追い込みすぎで厳しすぎた事も多々あると思う、
高校生になってから遅い反抗期が始まり女房とも衝突していたが夫婦の間で決めていたことがある、
小言は必ず女房からする、それでも言う言事を聞かない時には「お父さんに言って貰う」と言う事、絶対に同じことで両親から責めない事、落ち込んだら慰めても本筋の所は夫婦で一致させる、と言う事、
もし夫婦で意見が分かれたら先に子供を交えず夫婦で意見を集約すると言う事を夫婦間の取り決めとしていた、
義父と言うつもりは全くなかったがつもりだが心の奥に(俺は本当に親になっているのか?)と言う問いかけは何時もあった、
本当の親子はどれだけ衝突しても親子は親子なんだが自分は親である事に努力する必要が有った気がする、
「お前なんか親でも子でもない!」と言うのは自分と子供にとってはシャレにならない禁句である、
毎年父の日と誕生日にお祝いをくれる子供達だが未だ(あの子達は本当に俺の子供で良かったのか)と言う滓は何処かにありそれが又かえって申し訳ない考えをしているのかと自問自答する、
結婚して数年したころ女房が「子供を作りたい」と言ったことが有る、
「そうだな、3ヵ月考えてやはりそうだったら作ろうか」と答えたが結局それきりになった、
二人の子供を作ると言う事には自分の中で躊躇する事が有った、
一つは(今の二人と出来た子供を自分は同じ様に扱えるのか)と言う事、自分では出来としても子供の方に差が有ると感じてしまうのではないかと言う事、
そしてこれが一番大きかったのだが(自分とそっくりな子供)が生まれる事がとても心配だった事だ、
無論これは今の夫婦、生活とは全く関係なく「自分の性格を持った子供」が生まれ育つのがたまらなく嫌だった、
実をいうと私は私自身の性格がとても嫌いだ、ある程度大人になってから子供の頃の事を思い出すと自分ながら張り倒したくなる言動をしている、
今の若者が言う「自分が嫌い」と言う事とはやや違う気がする、
それをある程度の年齢になって押し込めているのは本当に“自分の性格が自分で嫌”のおかげで、“何とかしろよ、その性格”とずっと自分自身に言い聞かせてい来る事が出来たからで、我慢だとは思わず社会とのコミュ二ケーションとして必要なスキルだと納得しているからに他ならない、
我慢をしていると考えたら何処かで漏れてしまうか最終的に爆発するだろう、
(我慢していると思っている限り我慢しているとは言えない)と自分に言い聞かせそれが自分の第二の性格として身についたとの自負はある、
しかしあの頃の自分とおんなじ性格の子供がちょろちょろしていたら腹が立つだろうし自分の嫌な所を目の当たりにしなければならなくなる、
当然女房は「あの嫌な性格、あんたそっくり!」と言うだろうと思う、
残念ながら夫婦をやっているとどうしても細かな所から我が性格を熟知している、
現在は現役の仕事をしているので未だ大丈夫だと思うがリタイアでもして夫婦だけの生活になったり、万が一独り暮らしになったらあの性格が顔を出しかねない、
こいつだけは御免被りたいものだ、そうなったら山奥に隠遁するか、キャンピングカーでも蹴って放浪でもするか、
まあそれはそれで子供におお迷惑かもしれないな