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出勤途中の道路にカンナの花が咲いている、ずいぶん前から気になっていたのだが中々時間がなく本日少しだけ早く出て写してきた
残念だが少し遅れてしまって赤い花は萎れていた
昭和30年頃、掛川城は廃城となって城は無く城址公園となっていた、
南側に堀変わりとなる「栄川」が流れていて”さかがわ”と言う、太平洋側の川は北から南に流れるのが通常だがこの位置は地形の関係で
南から北に流れているのでそういうらしい、
川の城側に隙間なくカンナの花が咲いていた、黄色と赤だったがこの画像の赤よりもっと濃い臙脂色に近い花でそれが余計に暑さを際立たせていた、
城跡の公園は細く急激に高くなりセメントの石段が廻りつく様に続き頂上の手前に茶店が有った、
その前庭に釣瓶のついた井戸があり、籠城戦の為にだろう深い井戸の底に水が見えた、おそらくふもとの川まで掘り込んであったのだろう
此処から少し右回りに回り込むと更に石積みの3~4mの高さで台があってその上に観音像が立っていた
日露戦勝記念に建てられて「線聖観音」と言われていたが敗戦から「平和観音」と名前を変えたらしい
山奥から掛川に出てくるとこの城址公園に上って街と自分の住む山を眺めるのが好きだった、
17歳の時親父が脳溢血で倒れ「危篤だ」と連絡があって当時住んでいた次姉の家に駆け付けたのだが倒れて数日、5日くらいだったのか10日位だったのか
夕方息を引き取った時は徹夜続きで頭がぼんやりとしていた
町内会の方々が葬儀の準備をしてくれているのをあとめにふらふらとそこからさして離れていない城址公園に歩いて行った、
入口に熊の折が合って小さな人造の滝がありその落ち口付近にあるベンチに座っていた
「どうしたの?」と声をかけたのは友人の妹で買い物に町まで来てなんとなく寄ったと言う
どんな風に話したのか覚えていないが親父が今死んだことを伝えると驚いた表情で涙ぐんでしまった、
どんなふうに分かれたのかも覚えていないが夕陽が木立にかかり薄く暮れてゆく公園と彼女の姿が霞がかかったように覚えている
帰り道は左手にずっと逆川が流れていて7月の夕闇にカンナがずっと咲いていた事を覚えている
その後彼女は膠原病を発症し結婚して子供もいないまま30になる前に亡くなったと友人から電話を貰った
先日その友人と飲んだ時「お前と一緒になると思っていたんだが」と言われたので「お前をお兄さんと呼ぶのだけは避けたんだ」と言っておいたのだが
自堕落な生活をしている自分には彼女を幸せにする自身が無かったのかもしれない、と言うのは言い訳か