
葉梨法務大臣が「法務大臣は朝、死刑のハンコを押し、昼のニュースのトップになるのはそういう時だけと言う地味な役職だ」と発言、更に「法務大臣になっても金は集まらない」とも発言し結局更迭された、
「朝、死刑のハンコを押し・・」とまるで支払いの決済をするがごとくの表現を淡々としたのはあまりに恐ろしい人格だと言わざるをえない、
弾を込めて、額に押し当てるまでは誰かがやったとしても引き金を引く役割をしなくてはならない、
普通の神経ではとても務まる話ではないだろうと思うのだが「(派手な)ニュースにもならない地味な仕事だと不満そうだ
東大出の警察官僚だそうだ、“成程わかる気がする“人種だ
しかしこのような感覚の人種が警察機構のキャリア官僚だとしたらその下に管理されている国民の生命は本当に羽毛の如きに認識されている訳だ、
たとえ極刑に値する極悪な人間でも生命は生命、犯罪者が人の生命を奪うのも死刑執行で犯罪者の生命を奪うのもその一点においては同じことだ
だからこそ世界の潮流は死刑廃止の方向に大きく流れを変えている、
宗教的な問題ではなく純粋に「生命の尊厳」と言う原点で問われているのだ、
殺された被害者の家族にとっては「なぜ生きている!」と言うのは解らなくはないが死刑執行は「合法的な殺人」である事も事実だ、
それでも法は法でありその重責を科せられたのが法務大臣と言う職責であり、死刑執行人のスイッチは複数ありその精神的負担を考慮されていると言われているのに特定個人の決定権者である
まるで朝のルーチンワークの如く「死刑の判を押しても昼のニュース程度」な地味な事なのか、
高級官僚言う組織は生まれ育った環境が一般庶民とは認識が全く違う様な異様な集団の様だ、
人の心を持たないとうより彼ら自身のアイデンティティでは「一般庶民は違う支配階級」という認識の様だ
池袋事故の気に「高級人民」と揶揄されたのもそう言う態度が滲み出て来ているからだろう
山際経済大臣もおなじ官僚出だったと思うが先の選挙で「与党は国会で野党の言う事なんか一切聞かない」と堂々と発言している、
国会を、治を自民党と言う組織の持物、野党は煩いだけの烏合の集団と言って憚らない
今回の葉梨大臣は「法務大臣というポストは金が集らない、票も集らない」と発言している
言い方を変えれば「他のポストなら金も票も集る」と言う事になる
大臣・閣僚と言うのは「金を集める」のが仕事ではない、その為に何千万と言う税金を支給しているだ
儲かる大臣と儲からない大臣などと言う事をいつも考えているからポロリと本音がでる
「正直者は馬鹿を見る」と言うが正直に「政治は儲かる」と言われてなぜ有権者はこんな連中を選ぶのか理解に苦しむ