15から上京し、2年を待たずに帰る家が無くなった、結婚した姉の家はやはり居心地は良くない、親しい友人の家に居た事も有る、しかし幾ら歓迎してくれても正月早々他人の居るのもやはり居心地は良くない。ある時友人の家に行ったら友人が高校の弓道部に所属していて初練習だった事が有る、彼の両親も歓迎してくれたがまさか友人本人が居ないのに居るわけにも行かない、後で又連絡しますと一旦彼の家を出て自分の家が有った村に行ってみた、彼の家からはバスで乗り換えて20分位の所だが2時間に1本位しかない、バスを降りてみると村は正月で外には誰も居ない、昔の農村の元旦は大抵そんな物で子供達も親から「元旦から金を使うと一年中金を使うように成るからお年玉は2日から使え」と言われていたので子供も外には居ない、どんよりと曇った空と自分の居場所の無い故郷は妙に寂しかった、この時「寂しきは人一人居ぬ我が村のその空重き年初めかな」と読みそれから毎年暫く年末に読んだ。
19歳から映画会社の食品部に職を替えたのでそれから7年程は正月が無い仕事になった、しかし年末と正月が困ったのは今とは違いコンビにも食堂もほとんど休んでいる事だった、蕎麦屋は年越しを終えると休業に成る、寿司屋しか開いて居ないのだ。仕方ないのでインスタントラーメンを買込んでおせち料理を買って置いて其れで過ごす、やはり友人や先輩が声を掛けてくれたが結局一人で過ごした、その頃が此れ「三界に帰る家もなし年の暮れ、浮世世間に鬼は無くとも」そして29の歳「今年こそ今年こそ今年こそはと思いつつあすはみとせの声を聴く春」その後はどんな物だったか覚えていないがそろそろそんな生活に慣れたのかもしれないし諦めたのかもしれないが当時に比べれば今は充分幸せなのかもしれない
19歳から映画会社の食品部に職を替えたのでそれから7年程は正月が無い仕事になった、しかし年末と正月が困ったのは今とは違いコンビにも食堂もほとんど休んでいる事だった、蕎麦屋は年越しを終えると休業に成る、寿司屋しか開いて居ないのだ。仕方ないのでインスタントラーメンを買込んでおせち料理を買って置いて其れで過ごす、やはり友人や先輩が声を掛けてくれたが結局一人で過ごした、その頃が此れ「三界に帰る家もなし年の暮れ、浮世世間に鬼は無くとも」そして29の歳「今年こそ今年こそ今年こそはと思いつつあすはみとせの声を聴く春」その後はどんな物だったか覚えていないがそろそろそんな生活に慣れたのかもしれないし諦めたのかもしれないが当時に比べれば今は充分幸せなのかもしれない
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